第683話

 何が何なのかさっぱりだ。

 前文明の都市らしき壁画を見ても、天井のフォーレンを見ても、今までの情報と全く繋がらねえ。

 ここからわかったのは、フォーレンに滅ぼされた前世界が思いの外発達した世界だったらしいってことくらいだ。


『主殿、ひとまずこの石板を確認されてみては?』


『そ、そうだな』


 トレントの提案で、俺は頭を下げ、石板へと目を向けた。

 どうやら壁画と石板では年代が違うように思う。

 石板の方が後に造られたものなのではなかろうか。


 とにかく石板が読めれば新しい情報が得られるかもしれない。

 場合によってはここがどこなのかもわかるはずだ。


 石板には、大量の文字が羅列されていた。

 俺にはさっぱりだった。


 ……どうにもスキルの〖グリシャ言語〗は、文字にはあまり対応していない節がある。

 歪な扱いになってやがるぜ。

 せっかくなら両方賄ってくれ。


『……アロ、読めるか?』


「わ、私……えっと、た、多少なら! 頑張ってみます!」


 アロは石板に顔を近づけ、懸命に読み解こうとし始めた。

 ただ、明らかに難航しているようであった。


 ……アロも元々、もっと小さい女の子だったのだ。

 こっちの世界じゃ俺の元いた場所より識字率がいいとは思えないし、リトヴェアル族自体がその辺り疎そうな節があった。


『アロ、駄目そうなら諦めるか』


「が、頑張ったらいけそうなんです! ただその……ちょっとこの文字自体が、私の知っているものとは違うみたいでして……。大昔のもののようなので、もしかしたら細かい点が変わっているのかなと……」


 む、むう、厳しいか。

 俺はアロと共に石板へと顔を近づけては、どうにも読めそうにないと首を捻っていた。


「飛ばし飛ばしで文意を拾うくらいであれば、私でもできそうなのですが」


『ちょっとそれでやってみてもらっていいか?』


「は、はい! えっと……リヨスの違うかな。リビアスの……じゃなさそうで……。で、でも、固有名詞みたいだからとりあえず流してもいいかな? リビアスの石による警告……」


『ヨルネスの啓示石、ですな』


 すぐ下から〖念話〗が響く。

 俺とアロは、同時にトレントを見た。


『主殿……私でよければ、読み上げさせていただきましょう』


 トレントは照れたように口許を翼で隠し、こほんと咳払いを一つ。


『トレント、読めんのか!?』


「うっ、嘘! なんでトレントさんが!?」


『私もあまり文字を目にしたことがなかったので気が付かなかったのですが……グリシャ文字でさえあれば、いつの時代のものでも何となくわかってしまうようです』


 トレントが胸を張って口にする。


『な、なんでトレントだけ!? 別にそんなスキル持って……』


 ふと俺は、かつてトレントが口にした木の実のことを思い出した。


【〖知恵の実:価値L(伝説)〗】

【原初の人類へと知恵を与えた、神の作った果実。】

【原初の人類に言葉を与え、文明を与え、魔法を与え、技術を与え、そして戦争を齎した。】

【その時の言語や力は口で伝えられ、血で伝えられ、未だに人々に根付いている。】

【役目を終えた知恵の実の木は、天使達によって焼き払われた。】

【今では人々の寄り付かぬ最果ての地に、ただ一本を残すのみである。】


 そう、最西の巨大樹島……通称アダム島にあった、謎の木の実。

 トレントはアレを口にして〖知恵の実を喰らう者〗の称号スキルを得ていた。


『……そ、そうか、持ってたか』


「トレントさん……凄いけど、私、トレントさんに言語能力で負けてたんだ……」


 アロが少しショックを受けたようにそう零す。

 元人間の黙示録の竜と、最高位アンデッドの魔女が、木のお化けに識字力で完敗した瞬間であった。


「あ……でも、お揃いですね、竜神さまっ!」


『お、おう……そうだな……』


 アロはちょっと嬉しそうな様子であったが、そうだな、としか返しようがない。


 しかし……ヨルネスの啓示石、か。

 ヨルネスは過去の聖女だ。

 確かミーアを模した魔物であるクレイブレイブが装備していた鎧に、彼女の名前があったはずだ。


【〖悪装アンラマンユ:価値L〗】

【〖防御力:+255〗】

【かつて歴代最強の聖女〖ヨルネス〗が災厄の竜を従え、その炎を以て造り上げた鎧。】

【本来ならば聖なる光を帯びた鎧ができあがるはずであったが、鎧に彼女の黒い心が反映された結果、強烈な呪気を帯びてしまったという。】

【〖ヨルネス〗の祈りの力により、常時魔法反射障壁を展開しているが如くの凶悪な対魔法性能を誇る。】

【だが、身に着けたものは鎧の呪気に心を喰われ、廃人になるとされている。】

【これまでに歴代の勇者四人が魔王を討つべくこの鎧に手を出し、例外なく悲惨な末路を遂げたため、長くある王城の地下迷宮に隠されていた。】


 ……あの説明文から考えるに、ちょっとヨルネスは信頼できないんだが、大丈夫なんだろうか?

 ま、まあ、当時どんな状況で、どういう意図で造ったものかわからない以上、とやかく言ってもしかたがないが。


『では、読み上げてみますぞ、主殿、アロ殿』


『ああ、頼んだぞ、トレント』


 それからトレントによるヨルネスの啓示石の読み上げが始まった。


『私は聖女ヨルネス。かつてここには大きな遺跡があったが、この壁画と地下へと続く螺旋階段を保全、また秘匿するべきと考え、ここに聖神教の大聖堂を建造した。私は自己を、最もこの世界の神秘に触れた者だと信じている……』


 トレントの言葉に、俺は息を呑んだ。


 やはりここは既に元の世界のようだ。

 恐らくはリリクシーラのリーアルム聖国……そして、その大聖堂の地下なのだ。


『未来の聖女、そして救世主のために、ここに私が知ったことを、聖神の怒りに触れない範囲で記しておく。聖神……神の声のことと、それから神の声の故郷にして、邪神フォーレンに滅ぼされる前の旧世界……理想郷イデアのことを』


 かっ、神の声の故郷!?

 いや、改めて言葉にされるとインパクトはあるが、過去に邪神フォーレンの滅ぼした文明があったのはわかっていたことだ。

 邪神フォーレンに滅ぼされる前に何かしらの文明があって、神の声もそこと何かしらの関係があるんだろうということは、俺も薄っすらと考えていた。


 しかし、理想郷イデア……か。

 ……まず間違いなく、アレのことなんだろうが。


 俺は周囲の壁画へと目をやった。

 一目でわかる、未知の超文明。


 今のこの世界にも、俺の元いた世界にも、あんな場所はなかった。

 ただ、ざっと見てわかることがある。


 アンテナのようなものや、何かの装置のようなものが目につく。

 それでいて、俺の地球の常識が全く当て嵌まらない造形をしている。


 恐らくアレは……魔法のある世界で際限なく発展した、科学の到達点の世界なのだ。

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