第628話

 俺はミーアと顔を合わせた。

 彼女を前にしていると、自身の勘が警鐘を鳴らす。

 ミーアは俺よりもずっと小さいが、しかし俺より遥かに強い。

 ステータスを確認したから知っているのもあるが、対峙しているだけでそのことを肌で感じられる。


 ミーアの潜ってきた修羅場は、俺なんかよりずっと多い。

 俺も色々とやっては来ていた。

 だが、聞いていた話通りであれば、ミーアは俺とは比べ物にならない程に悲惨な経験を積んできている。

 エルディアの仕えていた魔王ノアの竜の軍団をたった一人で殲滅し、聖女に嵌められて人間相手に俺より遥かに大規模な戦争を繰り広げ、その果てに神の声に挑んで敗れている。


 纏う雰囲気から、本人の強さや積んできた経験の一端を感じる。

 彼女と対峙していると、得体の知れない大きな存在を前にして、今にもそれに押し潰されてしまいそうだと、そういうふうに感じてしまうのは、恐らくそれが原因なのだろう。


「自己紹介は必要かな? ドラゴン君」


『……いや、悪いが、ステータスを見させてもらった。それに、勇者ミーア……お前の話は、俺の代でも有名だった』


「勇者ね……今となっては、何とも皮肉な称号だね。しかし、そうか。君はまだ、その辺りのスキルを抜かれてはいないんだね」


 ミーアやここの魔物達には、〖神の声〗や〖ステータス閲覧〗がなかった。

 ミーアの話によれば、どうやらオリジンマターの中に取り込まれた後に引き抜かれていたらしい。

 俺も恐らく狂神化が進めば、神聖スキルをレプリカに置き換え、それらのスキルを没収されていたのだろう。


 ……ミーアは完全には狂神化が進み切っていないようであるし、レプリカでない神聖スキルを有しているので、どうにもまた別の事情があるようにも窺えるが。


「悪いが、世代を教えてもらってもいいかな? 君達が千年後なのか、二千年後なのか、悪いけれど私にはわからないんだ。しばらく眠っていたものでね」


 当然のことだが、オリジンマターの〖冥凍獄〗には、やはり知っていて飛び込んだらしい。


『ひと世代、五百年後だ。俺達も、そこまで詳しいわけじゃないけどな』


 俺はそう言ってから、アロ、トレントの方へと顔を向ける。


『俺がイルシア……こっちがアロ、トレントだ』


 アロとトレントが、恐る恐ると頭を下げた。

 ミーアが笑みを浮かべる。


「そうかい。いや、可愛らしい部下達で羨ましいよ。フフ、私の部下達は、もっと変わり者が多かったからね。ある人物を知るためには、まずその周囲の人間を知るべしとはよく言ったものだ。もっとも、君達は人間ではないけれどね」


 俺はそれを聞いて、少しドキリとした。

 ミーアの部下は、ウムカヒメ、クレイガーディアン、シュブ・ニグラス、そしてクレイブレイブだ。


 昔はもっと色々といたのかもしれないが、俺は最東の異境地にて彼らと顔を合わせた。

 そして……その大半を、殺めている。

 襲い掛かってきたのは向こうであるし、俺の力を試すための試練だ、ミーアの遺言だと、ウムカヒメはそう口にしていた。


 だが、何となく、そのことを話すのに抵抗があった。

 ミーアは今は温厚だが、何かがスイッチになって豹変するのではないかという危うさがあった。

 伝承を聞く限りでは、義に厚い平和主義者で不遇の英雄であった。

 しかし、本人を目前にすると、どうにもそれだけだとは思えない何かがあった。


『…………』


 ミーアは俺の様子を不審に思ったのか、目を細め、俺を観察するように見る。


「ふむ……もしかして、もう会ったことがあったのかな?」


『あ、ああ……』


「そうかい、そうだったか。だったら、あの子達は君のいい経験値になったかな? フフ、表にはなかなかA+級の魔物はいなかったから、丁度よかっただろう?」


 ミーアは唇を歪め、笑みを浮かべた。

 俺は返す言葉に詰まった。


 考えてはいたことだった。

 戦う必要のない相手に部下を嗾け、どちらかが死ぬまで戦わせるというのは、試練というには重すぎる、と。

 ミーアは最初から、自分の意志を継いでくれそうな神聖スキル持ちに、自分の配下を経験値として引き渡すつもりだったのだ。

 だが、それを嬉々として話すのは、どうにも俺の感性では理解できなかった。


「知っているかな? 何らかの要因での減衰がなかった場合、A-級の経験値量はレベル一つにつき六十四だが……A+級では、その三倍近い百九十になるんだ。レベル最大値も違うから、実際には更に違いは大きい。ここまで来た君ならば、とっくにご存知かな?」


『……大事な仲間だったんじゃねぇのかよ? なんでそんな、ただの数字みたいに扱えちまうんだ』


 ミーアは唇に指を当てて、ふむ、と首を傾ける。


「目的のための、必要な犠牲だよ。君も、あの神の声と戦うつもりなのだろう? まさか、迎合する気だとは言わないだろうね」


 ミーアが無表情で俺を睨み付ける。

 冷たい目だった。オネイロスの厚い鱗が、ぞわりと冷える感覚があった。

 トレントが立っていられなくなってその場に倒れそうになり、アロに身体を支えられていた。


『戦えるなら……そのつもりだ』


 言葉を選び、そう返した。

 俺にはそもそも、神の声が抗える相手なのかに疑問があった。

 リリクシーラは基本的には従いながら、神聖スキル持ちであるという価値を盾に、大事な面を譲らないようにする、という考え方のようであった。

 俺にもそれが現実的な、精一杯の抵抗に思える。


「考え方が甘いんじゃないかな? 綺麗ごとを並べていて勝てる相手ではないことは、とっくにわかっていると思っていたよ。少し、残念だね。犠牲が少なかったのかな?」


 ミーアは悪気なさそうな、ただ事実を口にしただけ、というような口振りであった。

 俺は相方のことを思い出し、一気に自分が苛立ったのを感じたが、どうにか抑え込んだ。


 絶対に敵対してはいけない相手だ。

 ヘカトンケイルを相手取るために、このンガイの森で唯一協力者になってくれそうな人物なのだ。

 ステータスでは、あのオリジンマターさえ上回る。


 劣化ミーアであったはずのクレイブレイブさえ、ステータスで大きく上回る俺を相手に戦闘技術で圧倒したのだ。

 本物のミーアが、その方面で温いわけがない。

 俺のどうにかなる相手ではない。


「神の声の性格の悪さは一級品だよ。そんな覚悟じゃ、まともに意志を貫けるとも思えないけれど……」


 そのとき、トレントが俺の前に出た。


『ミーア殿! そちらがどれほど過酷な状況であったのかは知りませんが……主殿を、我々が乗り越えてきた物を軽んじる態度は、貴女が相手であっても許容できませんぞ!』


 短い翼をぐっと構え、ミーアへと構える。


『トレント……』


 ミーアはトレントへ目をやった。

 何かを考えるように沈黙し、ふむ、と小さく漏らした。


『な、なんですか! これ以上言うのであれば……このトレント、容赦いたしませんぞ!』


 シュ、シュッと、トレントが翼を打つ。

 次の瞬間、ミーアの姿が消え、トレントの背に手を置いた。

 トレントがビクッと肩を震えさせる。

 う、動きが、俺でさえまともに目で追えなかった。


「君は、勇気があって優しいんだね。悪かったよ、次に口にするときには、もう少し言い方に気を付けよう」


 俺は前脚の爪でトレントを掠め取り、ミーアから引き離した。

 トレントは腰が抜けたように、俺の前脚の上で尻餅を突いた。

 それからそうっと立ち上がる。


『わ……わかればよいのです、わかれば……』

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