第626話

 爆炎が、視界を覆い尽くしていく。

 本当ならば、少しでも距離を取って、ダメージを抑えに掛かるべきだったのかもしれねぇ。

 だが、俺はただ茫然と、トレントを見つめていた。


 トレントが爆炎に包まれた瞬間、広がりそうだった爆炎が押し留められた。

 トレントから放たれた炎が壁になり、オリジンマターの〖ビッグバン〗を防いでいた。


 あれは……〖妖精の呪言〗だ。


【特性スキル〖妖精の呪言〗】

【魔法攻撃の直撃を受けた際、木の中に住まう妖精達が同じ魔法を放って反撃する。】

【スキルの所有者の魔法力に拘わらず、受けた魔法攻撃と同じ威力で魔法は発動する。】

【このスキルによって発動された魔法は高い指向性を持ち、攻撃してきたもののみを対象とする。】


 〖妖精の呪言〗によって跳ね返された〖ビッグバン〗は指向性を持つ。

 全方位に拡散する本来の〖ビッグバン〗とは違い、オリジンマターのみを狙った方向性を持たされているのだ。


 そのためにトレントから出た爆炎は無数の光の球となってオリジンマターへと向かい、結果としてオリジンマターの〖ビッグバン〗が俺達の方へと拡散することを妨げていた。


 二つの〖ビッグバン〗が衝突する。

 轟音が響く。

 白い輝きがトレントを、オリジンマターを、そして世界を覆い尽くしていく。


 光の中で、トレントの身体に細かく亀裂が走っていくのが見えた。


『トレントッ……』


 白い光が消える。

 まるで止まっていた時間が動きだすように、真っ黒になった木片が宙へ舞い、すぐに粉へと変わって消え失せていく。

 衝撃に弾き出されるように、オリジンマターが豪速で地面へと叩きつけられた。

 大地に大きな窪みが生じ、周囲の黒の大木が数本横倒しになった。


 指向性を持った〖ビッグバン〗は、本来以上に凶悪なスキルとなり、オリジンマターを攻撃したのだ。

 オリジンマターには炎に対する完全耐性があるためにダメージこそ通らなかったが、衝撃波がオリジンマターを地面へと叩き落としたのだ。

 

 オリジンマターが細かく震える。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

〖ドロシー〗

種族:オリジンマター

状態:狂神

Lv :140/140(MAX)

HP :1387/5524

MP :8/6535

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 さすがのオリジンマターも、今のでほぼ全てのMPを吐き出したようだった。


 だが、だが……トレントの姿が、ない。

 見失ったのだとか、どこかに飛ばされたのだとかではない。


 トレントはあの巨体だ。

 飛んで行ったのならば、オリジンマター以上に目立つはずだった。

 それが、どこにもいないのだ。


『トレント……おい、トレント?』


 俺は必死に呼び掛ける。

 だが、頭は不思議と冷静なもので、本当はわかっていた。

 トレントは〖ビッグバン〗の熱を受けて、消滅したのだ。


 相方に続いて、俺は、トレントという大事な仲間を失うことになってしまった。

 頭でそう理解してから、ゆっくりと絶望感が広がってきた。


『お、俺が……無謀な作戦を立てちまったせいだ……。現時点で〖ビッグバン〗に対する明確な対処法はねぇってわかってたのに、強引にオリジンマターに挑んだから、それで……』


「…………竜神さま」


 アロの言葉が聞こえてくる。


「トレントさんは……後のことは任せるって、そう言ってた」


 アロも辛かっただろうに、アロは絞り出すようにそう口にした。

 俺は頷いた。

 目前では、地面から這い出たオリジンマターがふわりと空中に浮かび、俺から逃げようとしていた。


 MPのなくなったオリジンマターに攻撃する手段はない。

 俺は飛んでオリジンマターを追い掛け、一方的に〖次元爪〗を放ち、オリジンマターにトドメを刺した。


 オリジンマターから光が放たれ、その中心で球体が形を失っていく。

 黒い球体に走る流線が、目を回すようにぐちゃぐちゃに歪み、潰れて地面へと落ち、液状に広がっていった。


【経験値を77420得ました。】

【称号スキル〖歩く卵Lv:--〗の効果により、更に経験値を77420得ました。】

【〖オネイロス〗のLvが128から139へと上がりました。】


 ぶっちぎりで過去最大経験値だった。

 だが、今は、それを喜ぶ気にもなれなかった。

 強敵だったオリジンマターをどうにか攻略できたところだったが、その達成感よりも、トレントを失った絶望感の方が大きかった。


 ……いや、今は、弱気になっちゃ駄目なんだ。

 オリジンマター討伐は、手段であって目的じゃねぇ。

 オリジンマター討伐の狙いは、オリジンマターの〖冥凍獄〗に囚われているかもしれないと仮定した、狂神化のない過去の神聖スキル持ちだ。


【特性スキル〖冥凍獄〗】

【黒い光の渦に敵を取り込み、封印する。】

【対象は時の流れから見捨てられる。】

【光の奥では時間が動かないため、対象は逃げ出そうと試みること自体ができない。】


 だが……オリジンマターから味方が出てくるとも限らない。

 今は、トレントの死を弔っている猶予はない。

 オリジンマターから解放されて出てきた奴を見極めねぇといけない。


 オリジンマターの残骸の液体の端から、ぼんやりと影が浮かび上がった。

 俺は息を呑み、出てきた魔物へと目を向ける。


 こいつが、〖冥凍獄〗に囚われていた過去の神聖スキル持ち……!


『あ、主殿……い、一体、何がどうなったのですかな……?』


 出てきたのは、真っ黒焦げになったトレントだった。

 砕かれて小さくなり黒ずんでいるが、間違いない。

 特徴的な高い鼻に、丸い窪みのような目はそのままだった。


『トッ、トレント!?』


 俺は慌てて前脚でトレントを拾い上げ、頬ずりした。


『良かった……本当に良かった……! トレント、生きててくれたんだな! もう、駄目だったんじゃねぇかって……!』


『主殿……! お気持ちは嬉しいのですが、死に掛けですので! でで、できれば何か、回復魔法を……!』


『す、すまねぇ!』


 トレントは俺の頬の鱗で削られ、よりやつれていた。

 慌てて〖ハイレスト〗と、欠損部位の再生効果のある〖リグネ〗を掛ける。

 見る見るうちにトレントの身体が再生していく。


 どうやらトレントは二つの〖ビッグバン〗の衝撃で身体がバラバラにされて吹き飛ばされた際に、本体部分が〖冥凍獄〗の中へと取り込まれていたようであった。

 〖ブラックホール〗の重力が残っていた影響もあるのだろう。

 姿が見つからなかったはずである。


 しかし、奇跡としか言いようがない。

 もしも下に飛ばされて直接地面に叩きつけられていれば、恐らく無事では済まなかったはずだ。

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