第604話

 トレントの進化を確認してから少し食事休憩を挟み、俺達は天穿つ塔への歩みを再開した。

 ワールドトレントでは移動に難があるため、今のトレントは木霊状態になってもらっている。


『……アレは控えた方がいいな』


 俺の目線の先には、このンガイの森の木を超える巨大な背丈を持つ、巨人の姿があった。

 全長はワールドトレントとどっこいどっこいといったところだろうか。


 黄土色の肌をしており、顔の上部と下部にそれぞれ大きく裂けた口があった。

 顔の中央に巨大な眼球がついている。

 そして足は一本しかない。

 だが、その一本が胴体ほど太く、歪な身体をしていた。

 ぴょん、ぴょんと跳ねるのだが、その度に大きな地響きが走る。


 完全にアダム枠の魔物だ。 

 つうか、アダムの進化体だったりしねぇだろうな、アレ。


『そうですな……。大きいから強いとは限りませぬが、あれは異様なものを感じますぞ』


 トレントが俺の背で頷く。

 体格イコール強さではない。

 ワールドトレントは俺より遥かに巨体だが、ステータスでは圧倒的に俺が勝っている。 

 だが、勿論目前の巨人の強さは確認済みである。


【〖ユミル〗:L(伝説)ランクモンスター】

【異形の姿を持つ巨人。】

【ただ歩くだけで千の木が折れ、渇きを潤おすために湖一つ干上がらせる。】

【彼の怒りを買えば、一つの大陸が沈むと云われている。】


 ……これは、近づかねぇ方が無難だ。

 戦えば俺でも勝てるかもしれねぇが、今は無理に格上に挑む必要はない。

 俺のレベルが最大になってもどうせ進化はできないからだ。


 レベル上げを優先したいのは、レベルの大きな急上昇が見込める、アロとトレントだ。

 そのためにはそこそこのランクのモンスターを、数狩るのが効率がいい。

 強い魔物は避けて、それなりの魔物が群れているのを探す。

 今の俺達の方針はそうなっている。


 それに、どうやらこのンガイの森では、伝説級はさして珍しくないと見える。

 俺は経験値四倍スキルがある上に、伝説級は経験値の入りがこれまでとは桁違いだ。

 そこまで最大レベルまで遠くはないのだし、今リスクを取って時間を割いてまで、この手の敵に挑むメリットはない。


 加えて、どうせ伝説級モンスターに挑むのならば、オリジンマターと再戦したいという考えがある。

 オリジンマターは、内部に取り込んだものを封印し、その時間を止める、というスキルを持っていた。

 倒せば、何らかのオマケを手に入れられる可能性があるのだ。


『ユミルが馬鹿みてぇにでかいお陰で、否応なしにこっちが先に発見できるのはありがてぇな。奴とはまだかなりの距離が開いている。向こうさんには、俺達なんて小粒みたいなもんだ。早々見つかることはねぇだろう』


『……やっぱり私は通常サイズでいない方がよさそうですな』


 俺の言葉に、トレントがしみじみとそう言った。

 もしもトレントがワールドツリー状態であれば、あのユミルから発見されて追い掛け回されていたはずだ。

 そう考えるとぞっとする。

 俺は、あんなのと追いかけっこするのはごめんだ。


『ただ、塔と近いのが不穏だな。塔の近辺を徘徊してるわけじゃねえだろうな』


 既に目的地であった塔にはかなり近づいている。

 今日中に到着できるペースであった。

 

 あっさり外に出られるとは思わねぇ。

 それに、俺自身、今の強さでは神の声の〖スピリット・サーヴァント〗には敵わない。

 まだ、俺はこのンガイの森で強くなる必要がある。


 しかし、あの塔には、何らかの状況を進展させるヒントがあることには間違いないのだ。

 何が待ち受けてるのかはわからねぇし、神の声の意図通りに動かされている気がして気に食わねぇ。

 だが、今はそうするしかないのだ。


 俺は脳裏に、神の声の不気味な姿を浮かべた。

 待っていろよ、神の声……!

 すぐに力をつけて戻って、お前と決着をつけてやるからよ。


『主殿! 前! 前!』


「竜神さま、竜神さま!」


 ふと気が付くと、アロとトレントが必死に俺へと呼び掛けていた。


『っと、すまねぇ。この地でもそれなりに進展があったし、ちっとこの先の考え事を……』


 ドンドンドンドン、と激しい地響きが響いている。

 嫌な予感がして俺は顔を上げた。


 ユミルが笑いながら俺達へと駆けてきている。


 人間や既存の動物とは全く違うその出鱈目な配置の顔であったが、しかしパーツの一つ一つは完全な笑みを作っていた。

 上下に聳える口は大きく端を吊り上げていたし、鼻は興奮気味に開かれている。

 一つ目は大きく見開かれている。


 そう、それは無邪気な笑みであった。

 両腕であの頑強なこの森の木を薙ぎ倒し、大地を揺るがしながら俺へと近づいてきていた。


 間違いなく俺より力が強い。

 まあ、そりゃそうか。

 俺は魔法攻撃と、スキルのトリッキーさが売りだからな。

 暴力の本職には敵わねぇ。

 

 ユミルと目が合った。

 ユミルの瞳が僅かに大きくなった。


 これは俺達に関心を持っている証だ。

 動物は目前のものに集中すると瞳が大きくなると、そんなことを聞いたことがある。

 俺はしばらく感じたことのなかった類の恐怖を覚えた。


『逃げるぞ、アロ、トレントォ!』


 俺は背を上下させてアロとトレントを跳ね上げ、素早く口でキャッチした。

 その後、地面を蹴って即座に〖転がる〗を使った。


 さすがに俺の〖転がる〗の速度には敵わないようだ。

 ユミルの駆ける音がどんどんと遠ざかっていく。


 やがて完全に聞こえなくなった後も、しばらく俺達は〖転がる〗で移動していた。

 完全に振り切れたという自信ができてから、俺はアロとトレントを解放した。


『び、びっくりしましたぞ……』


 トレントが俺の口から転がり出て、地面を這ってから立ち上がった。


『わ、悪い、トレント……。距離があったから大丈夫だと思ったんだが、アイツ、かなり目がいいな。もう二度と会いたくはねぇが。アロも、悪かった。俺が〖竜の鏡〗で隠れてれば、こんな逃げ方しなくても済んだんだがな』


 アロはうっとりとした顔で、自分の身体の匂いを嗅いでいた。


「竜神さまの匂いがする……」


『アロ……?』


「は、はいっ!」


 アロはびくっと身体を震わせ、直立した。

 ……だ、大丈夫なんだろうか?

 最近たまに、妙な様子を見かけることがあるが。


『一気に移動したから、変な魔物に目をつけられてなきゃいいんだが……』


 普段〖転がる〗移動を避けているのはそれが理由である。

 これでまた塔へと大きく近づけた。

 だが、このンガイの森は、無計画に疾走していいものではない。

 ユミルから逃げるために仕方なかったが、逆にそのせいでユミルより厄介な奴に捕まらないとも限らない。


 俺は〖気配感知〗で周囲を探った。


『ふむ……』


『何か見つけましたか、主殿?』


 俺はトレントの言葉に頷いた。


『ああ、探していた手頃な相手みたいだ。今回は災い転じて福となすって奴だな』


 周囲から複数の魔物の気配があった。

 塔につくまでに、最低でも一回はトレントのまともなレベリングを行っておきたかった。

 ワールドトレントの力を実践で見せてもらうことにしよう。

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