第600話

 俺はアポピスの〖人面舌〗を引っ張り、俺の元へと引き寄せる。

 アポピスは翼を生かして空中で上手く姿勢を整えていた。

 俺の膂力に抗うのは不可能と見て、カウンターを叩き込んでくるつもりのようだ。


 俺は〖ミラージュ〗で自分の幻影を作り、自身の位置を誤魔化しに掛かった。

 これでアポピスはカウンターを取り辛くなったはずだ。

 アポピスが幻影に釣られて無防備になったところへ直接爪の一撃を入れて、終わりにしてやる。


 アポピスを充分に引き付けたところで、掴んでいた舌を放し、前脚で頭部をぶん殴ろうとした。

 俺の前脚の爪は、寸前のところでアポピスに当たらなかった。

 アポピスは翼で背後へと飛び、俺の一撃を回避したのだ。


 圧倒的に俺優位の衝突だった。

 だが、アポピスに読み負けたのだ。

 

 〖ミラージュ〗できっちり撹乱できていたはずだ!

 アポピスは、初見でピンポイントで幻影を正確に見破ってきやがった。


 そういえば、アポピスのスキルには〖熱感知〗があった。

 アレがあるから、アポピスは視覚に頼らずに正確な位置を割り出せたのか!


 デスキャリーにも〖熱感知〗があったが、奴らは〖ミラージュ〗にあっさり引っかかってくれていた。

 だからこそアポピスの〖熱感知〗への警戒が薄れてしまっていた。


 同じスキルであったとしても、使い手によってどうやって使ってくるのかは異なるものだ。

 スキルレベルの差もある。

 元魔獣王のアポピスを、完全にデスキャリーの延長として見ちまっていた。

 戦闘経験の数も全く異なるはずだ。

 〖ミラージュ〗を察知して対策を取ってくる可能性くらい、考えておくべきだったのだ。


 アポピスが空振った俺の前脚に喰らいついてくる。

 前脚が、痺れる。

 微かに吐き気があった。


 加えて、アポピスを中心に黒い光が走った。

 身体が重くなり、高度ががくんと下がる。俺は体勢を崩すことになった。


「グゥオッ!」


 これはさっき見た〖グラビティ〗か!

 こいつ、このままホームグラウンドの沼地へと俺を引きずり込むつもりか?


 俺の体勢が崩れたのを目にして、アポピスは次に俺の頭部へと喰らい掛かってきた。

 

 な、舐めるんじゃねぇ!

 俺は身体を背後へ逸らしながら前脚を大振りして、爪で一閃を放つ。

 アポピスの腹部に当たった。

 アポピスは体液を撒き散らしながら沼へと落ちていく。


 俺は素早く〖次元爪〗を放って止めを刺そうとした。

 だが、アポピスの身体を黒い光が覆い、落下速度が急上昇して、一気に沼の中へと逃げて行った。


『や、やりましたな主殿!』


 トレントが俺の背で嬉しそうに言う。

 俺は首を振った。


『……今ので仕留めておきたかった。逃がしちまった』


 〖忌み噛み〗の毒で身体の感覚を狂わされ、〖グラビティ〗で態勢を崩された。

 そのせいで俺はしっかりと膂力の乗った攻撃を出すことができなかった。

 アポピスを仕留めきることができなかったのは、そのせいだ。


 あいつは舌を掴まれた状態から逃げるために攻撃に出てきて、それを通し、目的を果たしたのだ。

 おまけに〖グラビティ〗による素早い戦闘離脱まで行ってきやがった。

 今の衝突で大きなダメージを取ったのは奴の方だが、勝負の駆け引きは完全に俺の負けだった。

 ステータスは圧倒的に俺に分があるが、スキルの使い方ではアポピスが一枚上手だった。


『今ので、普通にやっても勝てねえってわかったはずだ。さっきまで以上に慎重にでてきやがるだろうよ。そうしてそうなると、俺達が困る』


 アポピスはもう、まともに〖人面舌〗を飛ばしてくることもねぇはずだ。

 飛ばしても捕まるだけだってことはわかっただろう。

 今後は沼地に引きこもって、もっと安全な作戦を取ってくる。


 そうなると今の俺は決定打を持てない。

 引きこもったアポピスを倒すには沼地に近づく必要があるが、そうなるとアロ達の身に危険が及ぶ。

 一度アロ達を安全な場所において来るしかないか……?


 アポピスを倒せねぇとトレントのレベリングは中断するしかなくなる。

 アポピスのいる沼地にトレントを落として、安全に回収できるとはとても思えないからだ。

 

 赤紫の人間が沼地から頭を覗かせた。

 アポピスの〖人面舌〗だ。


 万が一攻撃されても安全なあの身体を外に出して、偵察を行っているらしい。

 やはり本体のダメージも大きいので慎重になっているようだ。


 アポピスの〖人面舌〗の周囲には、デスキャリー達も控えている。

 飛び込めば、遠近様々な攻撃で袋叩きにしてくることだろう。


『ちっと面倒なことになったな……』


 デスキャリーを先に叩けば楽になるが、肝心なトレントのレベル上げができなくなる。

 俺単体であれば、デスキャリーの攻撃の嵐の中を突っ切ってアポピスを叩くことは難しくないはずだ。

 やはりアロ達は一度別の場所に隠れておいてもらうか。


 そのとき、俺はふと気が付いた。

 今トレントを落とせないのは、アポピスが沼地に潜んでおり、トレントの回収が困難だからだ。


 つまり落とした時にアポピスがいるのは問題ないのだ。

 引き上げる際にアポピスの妨害がなければいい。


 ここからトレントを叩き込んで、沼の奥に潜むアポピスを倒してしまえばいいのではなかろうか。

 〖スタチュー〗のスキルで金属塊になったトレントなら、デスキャリーの攻撃の嵐を無視して突っ込めるはずだ。


 それにアポピスも弱っている。

 攻撃特化で、防御面は脆い。

 A+だが、攻撃さえ通せばトレントでも倒しきれる相手だ。


 あの疑似体の下に潜んでいるのは間違いないのだし、トレントを一直線に落とせば、案外どうにかなってしまうかもしれない。

 倒しきれずとも、アポピスにダメージを与えられれば、そのまま俺が追撃に出て倒しきることができる。


『主殿……どうされたのですか? 何か考え込んでいらっしゃるようですが……』


 トレントが俺へと尋ねる。 


『トレント、お前のレベルを一気に上げる方法を閃いたぜ』


 俺はアポピスの〖人面舌〗を睨みながら、トレントへとそう言った。

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