第547話 side:ヴォルク
聖女を追って飛び立ったイルシアの後を、蠅の悪魔が追いかけて行った。
だが、イルシアならば恐らく、あの二体を退けることは容易であろう。
純粋な力比べであれば、オネイロスの圧倒的な力に敵う相手がいるとは思えない。
ただ……我の前に立つ矮躯の老人は、決して力では敵わない相手であった。
この老人だけは、我が引き付けておかねばならない。
我は極薄の刃の大剣を握りしめる。
我が〖ディメンション〗に保管していた二本目の剣、〖破壊神ドルディナ〗と称される剣である。
おどろおどろしい名前ではあるが、リーチに反した軽さが最大の強みであり、それを活かした繊細な剣技と立ち回りが要される。
武骨なレラルやバンダースナッチとは対極に位置する。
我の性に合っているのはバンダースナッチなのだが……今回は、アレでは通用しないであろう。
〖燻り狂う牙バンダースナッチ〗は魔物の呪念が宿っており、担い手を狂戦士へと導く。
それでは駄目なのだ。
今回の敵は……速さや力を得たとしても、勢い任せで敵う相手では絶対にない。
何せ、イルシアでさえ圧倒されていたのだ。
この戦いに一切の小細工は通用しない。
故に、戦いの中で多くの選択肢が取れる、読み合いに強いこの剣を選んだのだ。
「一度目は手心を加えた。だが、二度目はない。これ以上はワシの信念に反するところであり、お前にとっても侮蔑となろう」
伝説の剣豪……恐らく、史上最強であり、最高の剣士である悪食家ハウグレーが我に向けて短剣を構える。
一度剣を交え、イルシアとの戦い振りを見た今だからこそ断言できる。
ただの一剣士がオネイロスを一方的に攻撃するなど……そんな伝説も神話も、どこにもありはしない。
ハウグレーの強さはあまりに異端なのだ。
それこそ、我の人生の憧れでもあった、誇張したとしか思えなかったハウグレーの伝承の数々さえも、本物を目にした今ではすっかりと色褪せて思える。
ハウグレーの強さが正確に伝えられていなかった理由は、今となっては理解できる。
この戦いは、千年聖国を中心に語り継がれることとなるかもしれない。
だとしても、そこにハウグレーの功績が残ることはないだろう。
事実を聞いた民衆達は、きっと他の何を受け入れても、ハウグレーの戦いだけは信じられまい。
それは彼の強さが、常人の理解の外にあるためだ。
イルシアもなぜ自身がハウグレーに後れを取っているのかわからず、戸惑いながら戦っているようだった。
同じ剣士である我には、辛うじてその片鱗を拾うことができる。
……そのためだろう。
我には、この矮躯の老人が首で雲を穿つ程の巨人にも思える。
なまじ理解が届くが故に恐ろしい。
幼き日に格上の剣豪に挑んだときも、自身より遥かに巨大な竜に挑んだときも、こんな恐怖は感じなかった。
我は死を恐れているつもりはない。
この恐怖は、この場で何も成せず、呆気なく一振りの前に犬死にすることを我が予感しているがために違いあるまい。
ハウグレーは我を『その歳でワシと同じ境地にまで到達した若者』と評したが、それは買い被りなのだ。
ハウグレーの強みは極限までに研ぎ澄まされた剣技と戦闘の勘にあるのは間違いないが、それだけでは明らかに説明がつかない不可解な力を何度も、何種類も見せている。
斬りつけた相手に二度目の斬撃を与える不可解な剣技。
浮いていようが唐突に歪な動きを取って相手の狙いを外す不可解な歩術。
直撃したはずの攻撃を完全に打ち消す不可解な防御。
……少なくとも、我が認識しただけで、ハウグレーはこの三つの技を持っている。
二度の斬撃は、我が最初の立ち合いでハウグレーより受けた剣技だ。
明らかに、一振りで二回斬りつけられていた。
一振り目はそこまで大きなダメージではなかった。
だが、二度目の謎の斬撃の方はそうではなかった。
正体は全く掴めていないが、身体の内側から裂かれるような激痛だった。
我はあの一撃で無様に崖底へと落とされてしまった。
この三つについては、我もまるで正体が捉えられていない。
我の中で引っかかるものはあるが、まだ点と点が繋がらないでいる。
個別にそういうスキルだと認識するしかないが、イルシアが翻弄されていたところを見るに、恐らく単純なスキルによる技術でもないのだ。
ただ一つ、分かることがある。
……謎の斬撃による手数の水増し、歪な動きによる回避、追い込まれた際の絶対防御。
こんな技があれば、ステータスに頼らずとも、どんな怪物相手でも純粋な読みの勝負に持ち込むことができるであろう。
回避と防御の技は、少なくとも見かけの上ではほぼ完全にハウグレーの思考からノータイムで発動しているように思える。
ハウグレー相手に読み勝たねば、どれだけステータスで勝っていても一本を取ることは不可能なのだ。
そういう意味で、ハウグレーはこの上なく完成された剣士である。
ハウグレーはあらゆる攻撃に対応する術と、あらゆる化け物に攻撃を通す術を併せ持ち、そしてそれを絶対にする、恐らくはこの世界で最も優れた戦闘勘を持っている。
「来るがいい、若き剣士よ」
ハウグレーが向かって来る。
剣士として経験を積む内に見えて来たものがある。
それは、臨戦状態の相手に対する危険領域である。
この位置に入れば自身の対応できない形での剣技が飛んでくるかもしれないという場所は、そうでない場所に比べてほんの少し薄暗く見えるのだ。
無論、それは相手を知れば知る程精度が上がる。
この能力は、多かれ少なかれ、剣士であれば手にしているものであろうと我は考えている。
危険領域を避けて立ち回ることで致命打を避けて戦うことができる。
そして、時には敢えて飛び込むことで、相手の思惑を外して隙を作ったり、動きを誘って返し技を入れる好機となることもある。
我の目には……ハウグレーの周囲一帯が、黒い靄が掛かっているように見えていた。
どこに飛び込んでも死の予感がある。
我の戦闘勘が、饒舌にそのことを告げていた。
本当に……悪食家ハウグレーは、我などに敵う相手なのか?
……いや、ここまで来て弱音を吐くなど、我らしくあるまい。
イルシアは……我を信じて、我にハウグレーを託していったのだ。
「行くぞ、悪食家! 我は貴様を打ち倒し、世界最強の剣士となる!」
我はハウグレーへと向かって駆け出した。
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