第546話 side:トレント
私は遠退きかけていた意識を手繰り寄せる。
全身が痛い。
さっき……〖レスト〗で自身の身を回復していた、ように思う。
半ば無意識に、生存本能に従って発動していたようである。
強い衝撃を受けたためか、既に自身へと掛けた〖バーサーク〗は切れているようであった。
私は〖ウッドカウンター〗を繰り出した後……技の反動で洞窟の壁へと背を叩きつけられていたのだ。
死んだと思ったが……防御能力の強化と〖スタチュー〗の強力な防護効果により、奇跡的に死を免れていたようであった。
『そ、そうである、アルアネは……!』
腑抜けている場合ではない。
今は、戦闘中であった。
最大まで強化した二連撃に加えて……命懸けの〖ウッドカウンター〗まで繰り出したのである。
もう私に余力はない。
仮にアルアネがまだ生きていれば、今度こそどうしようもない。
『アルアネ……は……』
すぐに見つかった。
前方から、アルアネが歩いて来る。
前回よりも更に奇怪な姿になっていた。
一度千切れたらしい腕が、結晶化した血によって強引に繋がれている。
「惜しか……たね……。アルアネは、どれだけ身体が潰れても、動くことができ、の……」
腕の先には、禍々しく伸ばされた爪があった。
「アルアネもね、アルアネも限界だけど……木偶の勇者さんを道連れにしていくことくらい、簡単にできる……」
アトラナート殿の仇くらいは綺麗に取れたかと思っていたのだが……どうにも、そういうわけにはいかないらしい。
しかし、どうやらアルアネも限界らしい。
これでよかったのだ。
アトラナート殿の死は弄ばれることなく、主殿の戦いの妨げとなることもない。
アロ殿をアルアネに殺されることもなくなった。
私は静かに目を閉じた。
足音が段々と近くなってくる。
やがて、アルアネの凶爪が私の額へと触れた。
ああ、このまま振り抜かれれば、私は死に至るのだ。
主殿……迷惑ばかり掛けて申し訳ございませぬでしたが……私はとても幸せでありました。
アトラナート殿を護れず、面目ありません……。
しかし、しかし私も……少しくらいはお役に立てたでしょうか……?
そしてそのまま、爪はだらりと私の体表を滑り落ちた。
目を開くと、アルアネがじっと私を眺めていた。
「意味ない、かな……。どうせこれ以上、戦況に手出しはできないもの。アルアネも、木偶の勇者さんも」
アルアネの身体がぐらりと揺らぎ、血液で繋いでいた腕が落ちた。
小さな身体から蒸気の様なものが上がり……アルアネはこれまで立っていたのが不思議なくらい、あっさりとその場に崩れ落ちた。
「ああ、ごめんなさい、聖女様。一度くらい……誰かの役に、立ってみたかったなあ……」
アルアネはその言葉を最後に、動かなくなった。
ついに息絶えたようである。
こ、これは、どういうことであるか?
既にアルアネは、限界であったのか……?
……〖ブラッドドール〗は死の淵にあっても身体を動かせるという話であったが……ついにこのギリギリの状況で、その薄い一線を越えたというのだろうか。
何はともあれ、私が勝った……ということは、間違いないらしい。
……奇跡的な勝利であった。
冷静になった今だからこそ後付けで分析できることだが、これは私が理を無視して我武者羅に動いた結果掴み取った、薄氷の勝利であった。
アルアネのアドバンテージであったはずの狭い空間や、アトラナート殿の遺骸をダシにした私への挑発……それらは偶発的に、私に味方する結果になった。
運命の悪戯という他ない。
私が考えなしに暴走したためにアルアネは洞窟の崩落に気を遣いながら、この狭い空間の中で私の巨体を躱さなければならない事態に陥ったのだ。
残念ながら狙って動いたわけではないが……実力勝負を、運否天賦へと持ち込むことができた。
勝利を実感する暇もなく、洞窟内が大きく揺れた。
……私が暴れ過ぎた。ここはじきに崩れる。
遠回りしている余裕があるとは思えないが……アトラナート殿の遺骸は、何としてでも持ち帰らなければならない。
私はこれ以上洞窟を破壊しない様に〖木霊化〗で小さくなり、負傷した身体を引き摺りながら洞窟の奥へと向かった。
洞窟奥には……アトラナート殿の遺骸があった。
脚は乱雑に千切られ、背から凝固した血で象った槍のようなものが突き刺され、地面へと串刺しにされていた。
私はその無惨な姿を見て、内から込み上げる感情を抑え切れなかった。
『アトラナート殿……アトラナート殿! 大丈夫ですぞ、私が来ましたからな! この命に代えても、必ずや外へ連れ出してみせますぞ……!』
前方から、片言の弱々しい声が聞こえて来た。
「……相変ワラズ、煩イ奴ダ。命懸ケデ運ビ出スト言ッタナ? トットトソウシテモラエルト、助カルモノダナ」
『アトラナート殿……? そ、そんなはずは……』
いや、あり得ない。
アトラナート殿が生かされているわけがないのだ。
アルアネには、アトラナート殿を殺す充分な時間があった。
脚を引き抜いている猶予があれば、動きを封じていたアトラナート殿を殺すなど造作もないことであったはずなのだ。
これは、私の都合のいい幻聴なのか……?
私は恐る恐ると顔を上げる。
アトラナート殿が、苦し気に面を被った顔を私へと向ける様に首を持ち上げていた。
さっきとは異なる方向で、私の中に感情が溢れて来た。
『ア、アトラナート殿ォ!』
私は大きく翼を広げながら、アトラナート殿へと飛びついた。
『よかった……よかったですぞ……! もう、もう絶対にダメだと……! よかった……諦め悪くもがいた甲斐がありましたぞ……!』
「サ、騒グノハ後ニシテ、トットト私ヲ助ケロ! 生キ埋メニナルツモリカ!」
『そ、そうでした! とりあえず、〖レスト〗を……! ああ! 背中のこれは、どうすれば……!』
私が慌てふためいていると、アトラナート殿の背中に刺さっていた血液の槍が、どろりと溶けだして形を失った。
どうやら本人が死んだために、血液を凝固させて槍を象っていた力が途切れたのであろう。
ぐらりと倒れ掛かって来たアトラナート殿を、私は必死に〖木霊化〗の姿で支えた。
岩の塊が、私のすぐ横に落ちて来た。
ほ、本当に一刻も早くここを出なければ……!
私はアトラナート殿に人化して小柄になってもらい、彼女を背負って必死に出口へと駆けた。
……しかし、どうしてアトラナート殿は生かされていたのであろうか?
今の状況からリリクシーラの許へとアトラナート殿を連れていき、〖ブラッドドール〗によるアンデッド化ではなく〖スピリットサーヴァント〗による従霊化を狙っていたのであろうか?
既にそんな余裕が敵方にあるとも考えにくかったので、その線は薄いと考えていたのだが……。
もしかしたら……アルアネは自身が敗北したときはどうせアトラナート殿を利用することができないからと考え、勝敗がつくまで殺すことを控えて、私への挑発のために脚だけを千切って私を待ち伏せしていたのであろうか?
移動する途中に、アルアネの死体が視界に移り、私はつい足を止めた。
しかし、すぐに今立ち止まっている猶予はないのだと思い出し、私は再び走りを再開した。
背後から、アルアネの死体が落石に押し潰される音が響いて来た。
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