第545話 side:アルアネ

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 ――百年前、リーアルム聖国の辺境に位置する森にて、聖騎士団による吸血鬼アルアネの討伐計画が行われた。


 当時の聖国では死刑が禁じられており、同時にアルアネのような特異なスキルを持つ者は『聖神の祝福』と称されて神聖視されていた。

 ただ、アルアネに限ってはその二つの原則を無視しての討伐命令が下っていた。

 被害の規模もあるが、それだけ彼女が恐ろしかったためである。


 森の奥地にて聖騎士団は魔物の群れの襲撃に遭って分断され、更にそこへアルアネから奇襲を受けるという最悪な形で開戦を迎えていた。 

 

「ベランジェ様! 今のお怪我では、アルアネを討つことはできません! 私は、奴を直接目にしたのでわかります! あれは、人間と思ってはいけません! 撤退しましょう!」


「ならぬ! あの悪鬼に、何人の聖騎士がやられたと思っている! 易々と引き下がれるものか! 私が……私が、仇を取ってやる!」


 部下の静止を振り切り、騎士団長ベランジェは重傷の身体を引き摺って単身で森奥へと向かった。


「あの悪鬼は、殺す……私が殺してやる! たとえ敵わなくとも、深手を負わせてやる!」


 ベランジェは魔物と自身の血に汚れた大剣を担ぎ、息を荒げて進んでいく。


 そうして森の最奥部で、アルアネと対面した。

 アルアネは返り血で真っ赤になりながら、大きな木の前で、まるでベランジェを待ち構えるように立っていた。

 月明かりが木々の合間を抜けて彼女を照らしていた。


 ベランジェは大剣を構え、神経を研ぎ澄ましながらアルアネへと歩を進める。

 気を抜けば、一瞬で命を奪われる。

 そう考えていたからこそ、アルアネの発した言葉に理解が及ばなかった。


「お願い……騎士様、アルアネを、殺して」


「な、なんだと……?」


「アルアネね……頭がおかしいの。ずっと、ずっとそうだったの。お腹が減って、凄くお腹が減って、それで、そのことしか考えられなくなるの。アルアネ……頑丈だから、アルアネだけだと死ねないの。今はお腹が減ってないから、今だけは少しだけ考えられるから……お願い、アルアネを殺して……」


 アルアネは泣きじゃくりながら、ベランジェへとそう懇願した。

 ベランジェは構えていた大剣を振り下ろすべき先を見失い、ついには地面へと落とした。


 結局アルアネは、ベランジェが手を下せなかったために、拘束して連れ帰られることになる。

 アルアネの願いが叶えられることもなく、聖国の判断の許に大監獄の地下深くへと閉じ込められることになった。


 食料は最低限の分のみ地上階層から専用のトンネルに投げ入れられる。

 それが人間である必要はなかった。

 アルアネは決して人間以外の食料に満足感を覚えないだけであり、辛うじての命を繋ぐことは通常の食事でも問題なかったのだ。


 それからずっと、アルアネは癒えることのない飢餓の中、終わりの見えない苦痛に苦しみ続けていた。

 アルアネはその極限の生活の中で、飢餓状態であってもある程度の自我を保てるだけの術を身に着けつつあった。



 ――そして、百年が経った。

 あるとき地下監獄と地上階層を繋ぐ階段を封じていた、分厚い金属の塊の様な扉が開かれた。


 百年前の聖騎士と同一の鎧を身に着けた集団が立っていた。

 鎧の連中が当代の聖騎士であろうということはアルアネにも何となく理解できていた。


 鎧の者達は、押さえつけていた二人の人間をアルアネへと突き飛ばした。

 彼らは目に包帯が巻かれて手枷が嵌められており、足首も深く斬られていた。

 囚人服をしており、どうやらアルアネへの餌として連れて来られたらしいということは、彼女にもすぐに理解できた。


 アルアネは百年の飢えに抗うことができず、派手に彼らを血の爪で引き裂き、牙を突き立ててその血を啜った。

 その凄惨な光景を見て聖騎士達は気味悪げに顔を顰め、中には口を押えている者もいた。


「……あなた達は、だぁれ? アルアネを、殺しに来たの?」


 アルアネが聖騎士達を見上げる。

 金色の髪を短く切り揃えた勝気な印象の女騎士が、アルアネへと一歩前に出た。


「〖大監獄の悪魔〗、アルアネよ。我々は聖女リリクシーラ様の命を受け、貴殿へと交渉に来た。聖女様は貴殿の力を必要としている」


「…………」


 アルアネはしばらく沈黙して、じっと先頭に出た女騎士の顔を眺めていた。

 彼女もさすがにアルアネに怯えているらしく、過度に緊張しているのが見て取れた。


「アルアネね、アルアネ、その聖女様に会ってみたいなあ。聖女様が好きになれそうだったら、協力してあげる」


 ――そうしてアルアネは大監獄より連れ出された。

 大聖堂の奥の一室にて、聖騎士団の厳重な見張りの中、アルアネは聖女リリクシーラと引き合わされた。


 アルアネが一歩リリクシーラへと近付くと、聖騎士達は各々に剣の鞘に手を掛けた。

 リリクシーラは手で合図を出してそれを止め、前に出てアルアネへと接近した。


「よく来てくださいました、アルアネ。我々に力を貸して邪竜を討伐し、救世の英雄となってはもらえませんか? そうすれば貴女の罪も、聖神様の名の許に浄化されることでしょう。自由の身も勿論保証致します」


 リリクシーラは柔和な笑みを湛えながら、アルアネへとそう言った。

 少しの間、沈黙が続いた。

 アルアネはただ、じっとリリクシーラの顔を見つめていた。


「返答は……」


「アルアネでも……英雄になれるの?」


 リリクシーラは自由の身について掘り下げて尋ねて来ると考えていたらしく、アルアネの言動を訝しんでいるようだった。

 何かの駆け引きなのかと、そう考えているようであった。


「ええ、邪竜討伐に貢献すれば、貴女は英雄として各国に認知されることになるでしょう」


 アルアネはくすりと笑った。

 ――ああ、この人、すごく嘘吐きな人なんだなあ。


 リリクシーラの表情が少し強張った。

 アルアネの様子に、計算違いの、不審な点を見出したようだった。


「いいよ、いいの、うん。アルアネね、アルアネ、聖女様のことがすごく好きになれそうな気がするの。なんでも協力してあげる」



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