第544話 side:トレント

 アルアネの飛び掛かってくる動きが、鮮明に見えていた。

 だが、対応するためにどうすればいいのか、その考えがまるで纏まらなかった。


 自分が今から何をすればいいのかもわからない。

 アトラナート殿は、もう殺されてしまったのだ。

 帰ってくることはない。

 ならば、私は次にどう動くべきなのか?

 わからない。思考がぐちゃぐちゃだ。

 ただ、もうどうにでもなってしまえというドス黒い思いが、私の中にあった。


 激情のまま、私は〖木霊化〗を解除した。

 この洞窟の中はあまりに私には狭かったが、寸前で頭を天井にぶつけるほどではなかった。


「その姿じゃ動けな……」


『お、おおおおお、おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 私は枝を勢いよく振りかぶった。

 洞窟の内壁に接触して崩れる。

 天井から土砂の塊が落ちて来るが、私はそれを無視してアルアネへと振り下ろした。


 アルアネは下手に避けて落石に巻き込まれることを恐れたらしく、止まって私の腕を受け止めた。

 アルアネは両の華奢な腕を用いて、私の太い枝をしっかりと防いでいた。

 わずかに動くも、簡単に足でその場に留まられてしまっていた。


 私のステータスでは、アルアネには到底敵わない。

 奇跡的に当たった一撃もこんなものだ。


 アルアネは私の背後へと僅かに目をやった。

 恐らくアトラナート殿の身体は、まだ洞窟奥にあるのだ。

 万が一ここが崩れて回収不可能になることを恐れているのであろう。

 今この状況にあってなお、アルアネは私のことを危険視しているようには思えなかった。


 何が〖タイラント・ガーディアン〗か……!

 捨て身になっても仲間の一体も守れないというのに、守護者の名を冠することに何の意味があろうか。


 格上相手に時間稼ぎにさえならない半端な防御力ならばいらない。

 目の前の外敵を打ち払えるだけの力が欲しい。


『〖バーサーク〗!』


 私は自身に魔法を唱えた。

 攻撃力を底上げする代償に理性を溶かす魔法である。


 通常は敵対する相手に用いるものだと知っている。

 だが、私は少しでも攻撃力が欲しかった。

 今のままでは、私には一矢報いるだけの力がない。


『〖ガードロスト〗!』


 続けて自身へ魔法を使う。

 対象の防御力を下げ、攻撃を通りやすくする魔法である。

 ……その代わりに、対象の攻撃力を上昇させるデメリットを持つ。


 アルアネにはきっと当たらない。

 ならば、自分に使うまでだ。

 〖ガードロスト〗の攻撃力上昇など、補正を期待して使って割に合うものではないであろう。

 だが、どうせ一撃もらえばまともに動けなくなるのだ。


「何か言って通じる状態じゃ……ないかな、ないよね」


 アルアネが大きな瞳を全開にして、じっと私を観察していた。


 私は大きく根を上げて、地面を叩いた。

 〖地響き〗のスキルである。

 洞窟内が大きく揺れ、その衝撃で辺りに土砂が飛び交った。


 アルアネは地面を蹴り、真っ直ぐ私へ跳びかかってくる。

 私に反応できる速度ではなかった。

 ただ偶然、洞窟内が揺れて落ちて来た土砂の塊が、私とアルアネの間を遮った。


 アルアネがそれを蹴って、一度横へと逃れようとした。


『〖クレイ〗!』


 咄嗟に私は魔法を放った。

 土砂の塊が光を帯び、土の触手をアルアネへと伸ばし、纏わりつこうとした。

 アルアネが振り解こうとする。


『逃がすものか!!』


 私は大きく前に出ながら枝を振り上げた。

 枝の先端を〖スタチュー〗を用いて金属化させ……〖重力圧縮〗で一気に中央へと押し潰していく。

 〖重力圧縮〗には、元々HPを犠牲にした瞬間的なステータス強化としての使い道がある。


 私の身体など、どうなってもいい。

 だが……アルアネだけは、絶対に許さない。

 アトラナート殿を殺し……あまつさえ、その死を弄んで主殿を苦しめようとしている。

 こんな邪悪な化け物が、のうのうと生きていていいはずがない。


 私が枝を振り下ろしたとき、アルアネは〖クレイ〗の土ダマからようやく逃れたところであった。

 アルアネは素早く壁に寄り、ぐるりと黒目を動かした後、天井の隅へと移動した。


「狭いのが徒になって、避ける空間を失ったけど……ここなら身体の大きなあなたは、アルアネに攻撃できないよ、できないね……」


『貴様だけは、私が地獄へ道連れにする!』


 私は全体重を乗せて強化した枝を振るった。

 枝の先端で天井を抉って削り取り、そのままアルアネの身体へと打ち付けた。


 アルアネは先程同様に腕でガードしていたが、腕越しに身体を砕いた感覚があった。

 身体がへし折れ、口から大量に喀血していた。

 確かに、身体を芯から潰した。


 本体が大ダメージを受けたためか、離れたところにいたオウルが、その場に倒れていた。


 〖バーサーク〗の狂乱化による攻撃力の強化、〖ガードロスト〗の防御力減少の代償としての攻撃力強化、〖スタチュー〗による金属化による硬度の強化、そして〖重力圧縮〗によるHPを犠牲にした攻撃力の強化を行っているのだ。

 先程の攻撃よりも軽いわけがない。


 洞窟の全体が大きく揺れ、アルアネの身体が床へと叩きつけられる。

 私はそこへと、そのまま勢いを乗せてアルアネを打ちのめした。

 更にもう一度枝を振るった。

 このまま私が生き埋めになろうとも、アルアネだけは私が倒す!


 これ以上……アトラナート殿を弄ばさせはしない!

 アロ殿や主殿にも手出しはさせない!


 三撃目が当たる寸前に、アルアネが俊敏な動きで床を這い、私の殴打より逃れた。

 アルアネの身体の負傷部位に血液の塊が纏わりつき、強引に身体を動かしているようだった。


 首の角度も妙な状態であった。

 通常の人間なら、間違いなく生存できない形である。

 姿勢は酷く前傾しており、両手を地に着けて獣の様な姿勢を取っていた。

 血で象られた爪は、今まで見せていたものよりもずっと長い。

 瀕死の状態であるはずなのに、目だけは赤々と不気味なまでに輝いていた。


「やっぱり……あなたが一番危険だった」


 アルアネは〖ブラッドドール〗を用いれば、どんなに死にかけの状態であっても万全の状態と同等の動きを繰り出すことができる。

 アロ殿が考察していた事であったが……どうやら、それは誤りであったらしい。


 アルアネが地面を蹴った瞬間、その姿が消え、背後から音が鳴った。

 明らかに、全快の状態よりも速い。

 オウルを動かすのも完全に放棄しているらしく、彼の死体は床に倒されたままだった。

 自分を動かすのに専念すれば、ここまでできたのだ。


 再び後ろで音が鳴り、次は上から、続いて下から音が響いた。

 遊んでいるわけではない。

 完全に私を振り切ってから、確実な一撃を入れるつもりなのだ。


 私は〖スタチュー〗で全身を金属化させ、続いて〖重力圧縮〗で潰して防御力を高めていく。

 見て反応できないのなら、受けてから反応する。

 終わった後……アルアネが生きていなければ、私が死んでいてもいい。


 私の背に鋭い衝撃が走った。

 アルアネが直線攻撃で私に飛び掛かってきたのだ。

 金属化した身体に罅が入るのを感じる。

 私の命が、尽きていくのがわかる。


「これで終わり……!」


『これで終わりですぞ!』


 私は金属化した幹を撓らせ、背後へと打ち付ける。

 〖ウッドカウンター〗……相手の飛び掛かってくる衝撃に威力を依存した、半自動迎撃の返し技である。


 アルアネの身体が地面へと勢いよく叩きつけられ、壁へと跳ね返る。

 全身を出鱈目に打ち付けながら転がっていった。

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