第543話 side:トレント

 私は霧の地を駆け、アルアネの消えた方向へと向かった。


 アルアネは強大な敵である。

 おまけに回復手段として、自身の手駒であるアンデッドの白魔術師オウルを有している。

 私だけではとても敵う相手ではない。


 だが、既にアルアネはアロ殿の智略と勇気の策によって負傷を受けている。

 オウルの魔力もかなり削れているはずなのだ。

 

 それがどこまで響いているのかはわからないが……好機となると、期待するしかない。

 勝ち筋が薄いことはとっくに理解している。


 そもそも私は、格上相手に一発で戦況を覆せる形の戦いを取ることができないのだ。

 アロ殿やアトラナート殿はトリッキーであり、一撃の威力に長けたスキルとステータスを有している。


 しかし私は持久戦型故に、下の相手に安定して勝つことができても、上の相手にチャンスを作ることができない。

 そのことは私が一番よくわかっている。

 〖メテオスタンプ〗があるが、あれは私単体で当てられるような技ではない。


 戦いの中で他の勝ち筋を見つけ出す必要がある。

 勝算があるのかどうかなんて、まるで私にはわからない。


 しかし、わからないなら挑む意味はあるのだ。

 少なくともここで立ち止まってアロ殿とアトラナート殿を見殺しにする理由になるはずがない。

 突き詰めて考えれば、私には今のまま逃げ帰るという選択がないことは簡単に結論が出る。

 ならば、前に進むしかないのだ。たとえそれがどれだけ細い道であったとしても、である。


 真っ直ぐ向かったところで、大きな崖壁沿いになっており、道の先が左右で別れている場所へと出ていた。


 ううむ……アルアネは右に行ったのか、左へ行ったのか。

 いや、上に行ったということも考えられない話ではない。

 どこかに爪の痕のようなものは残っていないであろうか。


 崖壁に、大きな割れ目があるのに気が付いた。

 別の場所へと視線を移そうとしたのだが……その崖の割れ目の端が黒く光ったのが見えた。

 あ、あれは……まさか、アトラナート殿の操る、特殊な糸ではなかろうか。


 アトラナート殿が残していったのだ。

 考えてみれば辻褄が合う。

 アルアネはアトラナート殿をどこかに隠して一旦リリクシーラと合流しようとしていた、という話であった。

 だとすれば、崖壁の洞窟などアトラナート殿を閉じ込めておくのに適した場所ではないか!


 ……アロ殿であったならば、きっとアルアネを追って洞窟に辿り着いた時点で、すぐにこのことに気が付いたのであろうな。

 アトラナート殿のヒントがあってよかった。


 し、しかし、この洞窟はそれなりの大きさはあるようだが……私には少しばかり小さかった。

 辛うじて入ることはできるが、まともに動いてアルアネの攻撃を回避するようなことができない。


 動き回って洞窟を崩せば、アトラナート殿を生き埋めにしてしまう可能性がある。

 し、しかし、外で待っていれば、アルアネがアトラナート殿を殺して、〖ブラッドドール〗での完全操作の条件を満たそうとするかもしれない。

 あの時の言葉はフェイクで、当初の予定通りリリクシーラの〖スピリットサーヴァント〗にするために生きて連れていくという可能性もあるかもしれないが……む、むむむ……。


 ええい、アトラナート殿が殺されるかもしれないのを外で待っていることなどできるものか!

 もう脅えないと、そう決めたはずであるぞ!


 私は〖木霊化〗を使った。

 私の大きな身体がどんどんと小さくなっていく。

 いつも通り、人間の子供程度の大きさの、鳥のような姿へと変異した。

 

 これで洞窟の大きさを気にせずに進むことができる。

 こうしなければ、洞窟の中でまともに動くことも出来ずにアルアネに嬲り殺されることになる。


 だが……この姿は、身体能力が大きく低下する。

 小さな身体を活かしてアトラナート殿を助け出し、どうにか一旦はアルアネから逃げ遂せるしかない。


 小さくなったからといって、そんなに大きくないであろう洞窟の中で、アルアネから逃げながらアトラナート殿を助け出す……なんて器用な真似は、限りなく不可能に近いだろう。

 しかも、この洞窟はアルアネに利があり過ぎる。

 私は内状さえ知らないのだ。


 きっと、愚かな選択であるのだろう。

 単純な勝率ならば、外で待ち伏せした方が幾らかマシなはずであった。

 アトラナート殿が生きて連れ出される可能性だってゼロではない。

 そんなことは私にもわかっている。わかっているが、その選択を私は取りたくなかった。


 私は洞窟内の壁に張り付くようにして、なるべく静かに、されど遅くならないように、前へ、前へと進んだ。


 アルアネの足音のようなものは聞こえてこない。

 ここではないのか?

 いや、そんなはずはない。

 近くからも確認したが、あれは確かにアトラナート殿の糸だったのだ。


 既にもう、アトラナート殿を連れてここを出て行った……?

 いや、アルアネは負傷していた。

 オウルに治癒させる必要があったはずだ。

 それからここに来て、アトラナート殿を回収して出たとすれば、私と接触さえしていないのは少々行動が速すぎる。


 ……何か事情があって、この洞窟には入れなかった?


 それならば、私にとってこれ以上ない幸運!

 とっととアトラナート殿とアロ殿を回収し、主殿が性悪女を仕留めてくれるまでどこかで隠れさせてもらおう。

 それで私の役目は完璧なはずである。


「来ると思ってたよ、思ってたの。だってね、アルアネにはわかるの、わかるもの。あなた、一番臆病だけど、一番優しかったもの。だからね、アルアネにはわかるの」


 背後より、声が聞こえて来た。

 振り返れば、アルアネと、血だらけの身体を引き摺る無表情なオウルが並んでいた。


「この洞窟は、一本道なの。ごめんね、ごめんなの。アルアネはね、あなたのことをちっとも低くなんて見ていないの。あの死にかけのアンデッドのお姉ちゃんより、まだ底を見せていないあなたの方が危険だと思ってた。だからついて来てもらって、元の姿に戻れない状況で戦ってもらうつもりだったよ。もしも来なかったら……その後は逃げ回るだけだろうから、無視すればいい」


 退路を、塞がれていた。

 どこかに隠れていたのだ。

 洞窟内の岩陰か、恐らくは洞窟上のもっと奥か……。


 幸運かと思った。

 だが、私の全てを懸けた決意は、悪魔のこんな単純な策略で全て無意味になった。


「ごめんね。アルアネはね、アルアネは、理詰めじゃ絶対に負けないの。だって、全部見えてるもの」


 アルアネが大きく目を見開く。

 ……やはり、アルアネは、私如きにどうにかなる相手ではなかったのだ。

 私はその場に呆然と立ち尽くしていた。


 今更できることなど、何もない。

 せめてとアトラナート殿の許へと走っても、辿り着く前にアルアネの爪に背から貫かれてお終いであろう。


 アロ殿……申し訳ない。

 勝ち筋など、最初からなかったのだ。

 この悪鬼は我々相手にも決して油断をしていなかった。

 微かに手温く感じたのも、恐らくはこの後にアトラナート殿の死体を引き連れて主殿へ挑むべく、そのために少しでも体力と魔力を温存しようと考えているからに他ならない。


「それじゃ……終わらせようか。あの蜘蛛の子のところに、連れて行ってあげる。もっともアルアネは同時に操るのは一体が限界だから、二体とも動かしてあげることはできないの、できないよ」


 アルアネが、私へと何かを放り投げた。

 清い白と、毒々しい血の様な赤色で彩られたそれは、どこかで見覚えがあった。


 私の思考が一瞬途絶えた。

 アトラナート殿の脚だった。

 アルアネはアトラナート殿を処分してから、回り込んで私を待っていたらしいと、そのことを私はどこか淡々と理解した。

 思考が真っ白になって、私は動けなくなった。


「さようなら。木偶の勇者さん」


 アルアネが飛び掛かってくる。

 宙でアルアネの指を赤い液体が覆い、それが凝固して禍々しい爪となっていくのが見えた。

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