第542話 side:トレント
私は〖メテオスタンプ〗により地面へと落下した。
〖スタチュー〗によって鋼鉄化していた私の根が地面を叩いてめり込み、辺りに大きな衝撃を走らせた。
『申し訳ございませぬ、申し訳ございませぬ、アロ殿……私は、私は……』
私の重量で引き千切られたアロ殿の〖未練の縄〗が、土砂となって宙を舞っていた。
アロ殿とアルアネが、各々別の方向へと弾き飛ばされて行く。
アロ殿の身体が地面を転がった。
両腕は私の〖メテオスタンプ〗を受けて引き千切れており、肌も普段の瑞々しい様子とは違い、干からびて罅が入っていた。
アロ殿は動けないかと思ったが……弱々しく立ち上がった。
「トレ、ント……」
アロ殿は私を見て、苦し気にそう言った。
『申し訳ございませぬアロ殿……私には、アロ殿ごと敵を潰すなどと、そのようなことはできませぬ……』
アルアネの身体がガクガクと震え、奇怪な動きで起き上がった。
「驚いた‥‥‥本当に、驚かされたの。アルアネね、アルアネ、今ので死んじゃうかと思った。まさか、咄嗟の判断で私を道連れにしようとするとは、思わなかったもの。でも……そっちの妖精さんは、踏ん切りがつかなかったみたいだね、みたいなの」
……妖精さん、とはどうやら私のことらしい。
アルアネの言う通り……私は、アロ殿を殺す手段を取れなかった。
私は着地の瞬間に〖グラビティ〗による落下速度の強化を緩め……アロ殿とアルアネの間に枝を落とし、二人を突き飛ばしたのである。
アロ殿に〖メテオスタンプ〗を直撃させることはできなかった。
しかし、これが悪手であることはわかっている。
アロ殿はアルアネを最後の力を振り絞って拘束し……そこへ直撃ではなくとも〖メテオスタンプ〗を受けることとなった。
もうアロ殿はまともに戦える状態ではない。
それに……私とアロ殿は、手の内を全てアルアネに晒してしまった。
ステータス差を埋める手段は、もう何も残されていない。
このまま私もアロ殿も殺され、アトラナート殿も殺されてしまうであろう……。
アトラナート殿だけでも助けて主殿の許へと帰還するために……私は、アロ殿ごとアルアネへ〖メテオスタンプ〗を直撃させるべきだったのだ。
私の行いは、アロ殿の覚悟を無にするものだとわかっていた。
しかし、それでも……それでも、できなかったのだ……。
「ダメだよ‥‥‥ダメなの、欲張りはダメなの。優先順位はしっかりとつけなきゃ……聖女様みたいに。そうじゃないと、欲しいものも手に入らなくなっちゃうよ?」
アルアネが口にする。
アルアネとて無事ではないはずなのだ。
口からは血が溢れており、黒いドレスを自身の血で赤く染め上げていた。
脚にも明らかにへし折れた痕があるが、なぜか問題なく立っている。
「……〖ブラッドドール〗の応用で……強引に自分の身体を動かしてるみたい」
アロ殿が目を細めてアルアネを観察する。
……なるほど、死体を自在に血液で操ることができるのであれば、自身の身体を破損を無視して強引に動かすことができたとしてもおかしくはない。
「後、もう少しのはず……! 私の〖ゲール〗で……!」
アロ殿はゆっくりと腕を上げ、アルアネを照準に合わせる。
「強がりだね、強がりだよ、ごめんね、ごめん、アンデッドのお姉さん。アルアネね、嘘はわかるの、嘘は。アルアネに脅しを掛けるなんて無駄なの。近づかないで、仲間に手を出さないでって、そう必死に考えてるのが手に取るようにわかる。この瞳があるからじゃないの、こんなものに頼らなくたってそれくらいわかるもの」
アルアネが目を見開いてそう言う。
……やはりアルアネの目には、他者の心を盗み見るような力があるらしかった。
アロ殿が理詰めでどれだけ頑張ろうとも、最初からアルアネの思惑を外すことなどできはしなかったのだ。
「でも……いいよ、それに従ってあげる。ここで死に物狂いのお姉さん達の相手をしてあげても、得られるものがないもの。アルアネも、まさかここまでダメージを負うとは思わなかった。だから、ここは退いてあげる」
ひ、退く……?
アルアネの意図が、私にはわからなかった。
アルアネは負傷こそしているが、今のアロ殿と私程度、すぐにでも仕留められるはずで……。
『……ぬ』
アルアネの背後へと目を向け、ようやく奴の意図に気が付いた。
アルアネとて、かなりのダメージを負っているのは間違いない。
瀕死のアロ殿と私を馬鹿正直に相手取るよりも、一旦距離を置いてオウルの魔法で安全に回復することを選んだのだ。
……いや、我々に追って来る気力がないのであれば、逃がしてしまってもいいとさえ考えているのかもしれなかった。
私とアロ殿、アトラナート殿の全員を倒したとしても、アルアネが連れて行くことができるのはその内のたった一体のみなのだ。
……そして、アルアネはそれで十分主殿の精神を削ることができる。
アルアネはアトラナート殿を殺して〖ブラッドドール〗で操って連れて行き、私とアロ殿も仕留めたと主殿へ喧伝するだけでいいのだ。
本当に私とアロ殿を殺したかどうかは、アルアネにとってさして重要なことではないのだ。
恐らく主殿は最後の決着をつけようとしている頃であろう。
満身創痍のアロ殿と私が今の状態で決戦の場へ向かったとしても、主殿の脚を引っ張ることしかできないのは目に見えている。
我々は生き残ってもどの道、主殿の応援に駆け付けるわけにはいかないのだ。
アルアネは宣言した通りに、恐ろしい速さで私達から離れて行く。
〖ブラッドドール〗の力により、強引に身体能力を維持しているようであった。
オウルという男のアンデッドも、アルアネに続いて駆け出した。
私は……アトラナート殿を殺しに行こうとするアルアネの背を、ただ睨みつけることしかできなかった。
その後、私はがっくりと幹を倒して前のめりになった。
私は、私は……なぜ、なぜこうも無力であるのか……。
「ごめん、私、限界、みたい……」
アロ殿は辛うじて立っていたが、足が崩れてその場に倒れ込んだ。
『ア、アロ殿……!』
「トレントだけでも、逃げて……。あの子、私達を逃がすようなことを言っていたけど……きっと、あのオウルって人を使い捨てにして回復して、アトラナートを殺して手駒にした後……私達のことも、殺しに来ると思う。優先順位が低いことは間違いないから、あんまりしつこくは捜してこないとは思うけど……」
『で、でしたら一緒に逃げましょう! 私がアロ殿を背負って……!』
アロ殿が空を見上げながら首を振った。
「……トレントは、普段の姿じゃ目立つから、きっとこの霧の中でも見つかっちゃう。〖木霊化〗で、トレントだけどうにか逃げて……竜神さまの、ためにも……」
『し、しかし、そんな……アロ殿とアトラナート殿を置いて、逃げるなど……そんなこと……!』
ふとそのとき……頭に、アルアネに言われた言葉が蘇ってきた。
『優先順位はしっかりとつけなきゃ……聖女様みたいに。そうじゃないと、欲しいものも手に入らなくなっちゃうよ?』
そこで……ようやく、自分の中の答えが出た。
私は優柔不断である。
アロ殿がアルアネを捕まえた時も、私は寸前まで〖メテオスタンプ〗で直撃を狙うべきなのかどうか悩んでいた。
いや……悩んでいる素振りをしていたのだ。
最初から答えは出ていたのだ。
私はあの後、アロ殿へと謝りはしたが、あの選択を悔いてはいなかった。
アロ殿を犠牲にするなど、有り得なかったのだ。
あのときも……私がアロ殿ごとアルアネを殺さなければ、そのままアルアネに私もアロ殿も殺されてしまう、という場面であった。
だが、悪足搔きした結果、今はまだアロ殿も私も生きている。
……優先順位は、しっかりとつけねばならない。
そうだ、私が本当に欲しいものは、全員揃って生還することであったのだ。
ならば……それ以外の道を蔑ろにすることも、時には選ばねばなるまい。
『アロ殿……このまま置き去りにしていくことを、お許しください。しかし、すぐに戻って来て見せます』
私はそっとアロ殿の顔を枝の葉で覆い、アロ殿へと背を向けた。
「トレント……?」
『必ず、アトラナート殿を連れて帰って来てみせますぞ! 必ずや!』
私は、アルアネが逃げて行った方向へと駆け出した。
「トレント! ダメっ! 逃げてっ!」
アロ殿の声が背後から響いて来る。
私は臆病でありすぎた。
王都アルバンに潜むスライム共へ挑む際、私だけ戦力外通知を受けてアルバン大鉱山に置き去りにされたときも……私はショックを受けながらも……どこか、安堵している自分がいることに気が付いていた。
この場においても、アロ殿に考えることを丸投げしていた。
アロ殿の方が頭が回るからだと必死に自分へ言い聞かせていたが……それは単に、私の余計な行動でアロ殿の脚を引っ張ることが怖かったからである。
だが……私はもう、決して臆病にはなりはしない。
どれだけそれが険しい道のりであったとしても、私が本当に望んでいるもののために突っ切ってみせる!
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