第535話
俺は大きく背後に跳んで、ベルゼバブの放った〖ダークネスレイン〗を回避した。
ステータス差に甘えていたが、被弾覚悟で突っ込むのは消耗が思いの外激しい。
その瞬間、視界端にいたはずのハウグレーが姿を消した。
恐らく、俺の意識の隙を突いて死角に回り込んだのだ。
俺の巨体を最大限活用する動きをとって来やがる。
「グゥッ!」
肩の方から痛みが走った。
だが、位置を俺が認識したのとほぼ同時に、今度は背の方を蹴られた感触があった。
「どうしたァ! 対応できねェんなら、こんまま地道に削らせてもらうぞイルシァァ!」
〖ダークネスレイン〗の光に隠れている間に、ベルゼバブの巨体が小さな人型へと戻っていた。
自身の放った光を追う様に移動し、俺へとまた距離を詰めて来る。
俺はリリクシーラの様子を窺う。
再び杖を構え、機会を狙っているようだった。
リリクシーラにしては悠長な行動だが、ベルゼバブの動きがあまりに知能的過ぎる。
〖スピリット・サーヴァント〗の副産物か単なる〖念話〗かは知らねぇが、あいつが細かく指示を出しているのだろう。
ふとそのとき、リリクシーラの杖の照準が大きくずれた。
俺はまさかと思い、ハウグレーの動きを追うのにのみ専念していた〖気配感知〗の範囲を広げる。
リリクシーラの杖の先……空高くに、黒蜥蜴が蝙蝠のような翼を広げて飛んでいた。
背にはヴォルクも乗っている。
無事だったことは嬉しいが、俺は青褪めた。
二人共血塗れで、どう見ても既に限界だったからだ。
とてもではないが、戦える状態には思えなかった。
特にヴォルクは、剣を握りしめて身を屈め、その場に片膝を突いたまま固まっていた。
ガクンと、黒蜥蜴の高度が下がったのが見えた。
無理もない。
黒蜥蜴は見るからにボロボロの状態であったし、そもそもあいつの〖飛行〗スキルはそこまで高くねぇはずだ。
相当の無理をしてここまできたはずだった。
「レチェルタよ、無理をさせたな。……だが、最後に、我をイルシアの方へと投げてくれ」
ヴォルクが黒蜥蜴へと言うのが聞こえた。
『ばっ、馬鹿野郎! 早く逃げろ! 今ここに来たら、全員殺されちまうぞ!』
俺は〖念話〗を送った。
そのとき、ハウグレーが俺の首を蹴り、すぐ目前に姿を晒した。
「行くぞ邪竜! 〖神落万斬〗!」
く、来る!
俺が大急ぎで放った横薙ぎの一閃が、ハウグレーに当たった。
当たったかに見えたし、確かに感触もあったはずだったが、ハウグレーの姿が消え、腹部の方に剣撃の激痛が走った。
どうしても、ハウグレーを捉えきれない。
〖ミラージュ〗のフェイントも混ぜているが、一向に引っ掛かる気配がねぇ。
こいつには一体、何が見えているんだ。
「いいところで、来てくれました……〖ホーリスフィア〗!」
リリクシーラが、構えていた杖で聖光の魔弾を放った。
一直線に飛来する光が黒蜥蜴達に迫っていく。
ハウグレーとベルゼバブに手一杯で、俺は反応することができなかった。
『よっ、避けろぉっ! まともにくらったらひとたまりもねぇぞ!』
俺は必死に〖念話〗を送る。
距離はあるが、黒蜥蜴が崩れた隙を突いて来やがった。
あのままじゃ、三体とも全滅しちまう!
『……後ハ任セタゾ、ヴォルク!』
ヴォルクの持っていた〖黄金魔鋼の霊剣〗……マギアタイト爺が大きく広がって半球状の壁となり、リリクシーラの〖ホーリースフィア〗を遮っていた。
聖光の魔弾が黄金の壁によって遮られ、壁面で輪郭を失って崩れていく。
〖ゴルド・マギアタイト・ハート〗は、〖魔力分解〗という魔法スキルに対する強力な耐性を持っていた。
その力だろう。
だが、完全には衝撃を殺せなかったのか、マギアタイト爺の黄金壁にも亀裂が走り、砕け散って地面へと落ちて行った。
ぶ、無事なのか、あれは!?
身体が散らばっても、本体の心臓部さえ残っていれば大丈夫ではあるはずだが……。
「頼むぞ、レチェルタよ!」
「キシィィィィイイイッ!」
黒蜥蜴の身体が回転し、尾先でヴォルクの背を勢いよく弾き出した。
こ、こっちに来るのか!?
だが、とてもじゃないが、ハウグレーもベルゼバブもリリクシーラも、ヴォルクが相手取れるような次元の敵ではない。
「〖ディメンション〗!」
ヴォルクが空中で腕を掲げる。
手に、不気味な暗色の大剣が握られていた。
禍々しい魔力を感じる。
な、なんだ、アレは。
俺は身体を回し、反動を殺すように動きながら、ヴォルクを翼で受け止めた。
「……有り得ん。あの負傷で、上がって来れるわけがないと踏んでいたからこそ、放っておいたというのに」
翼の方へ、ハウグレーが跳んでいた。
明らかにヴォルクを仕留めに向かっていた。
「ああ、我は暢気に、崖壁に身体を打ち付けて眠っていた。レチェルタが、血みどろになりながら崖を駆け回って我を捜し出し、引き上げてくれたのだ!」
ヴォルクが大剣を振るう。
ステータスならハウグレーよりヴォルクの方が遥かに上だ。
だが、そんなものはハウグレーに対しては大したアドバンテージにはならねぇということが、俺が思い知らされたところだった。
「……何にせよ、一太刀で終わらせる。次はない。ワシの甘さで、何度も足を引っ張るわけにはいかんからの」
いつの間にかヴォルクの背後に跳んでいたハウグレーが、手にした短剣で彼の肩を斬りつけた。
そのとき、ヴォルクが妙な動きで身体を捻りながら小さく逸らした。
ただ間合いを計っているだけの動きに見えたが、攻撃したはずのハウグレーが、驚いたように目を見開いていた。
「なぜ、見えた……? まさか、先の戦いの数太刀で、ワシの剣を見切ったというのか?」
ヴォルクの大剣が、即座にハウグレーへ反撃する。
ハウグレーが大きく身体を引いた。
大剣が掠めたのか、ハウグレーの茶髪が宙を舞った。
ヴォルクがハウグレーの動きを追い、大剣での追撃を放つ。
ハウグレーは短剣で防ぐも、背後へと大きく飛ばされ、地面へ落とされていた。
う、嘘だろ、ハウグレー相手に善戦している、ように見える……?
少なくとも、俺よりは間違いなくまともに戦えている。
俺はただ、翻弄され続けているだけだった。
リリクシーラも、遠くからこちらを観察しながら、険しい顔でヴォルクを睨んで唇を噛んでいた。
あの顔を見てわかった。
リリクシーラでさえ、ヴォルクがハウグレーに対抗し得ることは完全に想定外だったのだ。
ハウグレーも表情のない顔でヴォルクを睨んでいた。
今までの相手を思いやる余裕を見せつけていた様子とは異なる。
ハウグレーは、自身の秘密が見破られることなど、絶対にないと考えていたようであった。
だが、それが剝がれた以上、一方的な攻撃ではなく、殺し合いになる。
絶対的な強みを失い、余裕が剝がれたのだろう。
ヴォルクは、ハウグレーの何らかのペテンを見破ったのだ。
だとすれば、行ける。
ハウグレーの強みさえ潰すことができれば、残るのは一般聖騎士以下のステータスだけだ。
俺に情報を共有してくれればステータス差のゴリ押しで簡単に倒せるはずだし、何ならヴォルク一人でも十分かもしれない。
ヴォルクは彼を追って俺から跳び降り、地面に立った。
それから俺を僅かに振り返る。
ヴォルクの額から、汗が垂れていた。
顔には、確かに恐怖があった。
ヴォルクとて、突破口は掴んだようだが、決して楽に勝てる相手ではないのだ。
「イルシア、お前とハウグレーの戦いを見て確信したが……この男は、完成された剣士であり、同時に剣士にしか倒せない。我に任せてくれ」
ハウグレーが静かに短剣を構えた。
「あまりに惜しい……その歳でワシと同じ境地にまで到達した若者を、殺さねばならぬとはの」
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