第534話

 俺は前方で滞空しているベルゼバブ、下で短剣を構えているハウグレー、遠くで杖を構えているリリクシーラの位置を確認する。

 このまま空でベルゼバブをタイマンに持ち込んで先に処分できればいいのだが……そう上手くはいかないだろう。


 ハウグレーのスキルには〖ハイジャンプ〗がある。

 どこかのタイミングで俺へと飛び移ってきて、またあの短剣の連撃をお見舞いしてくるはずだ。


 俺が考えごとをしていたそのとき、やや離れた場所から騎竜が飛び立つのが見えた。

 騎竜の上では、リリクシーラの部下であるアルヒスが、血塗れのアルアネを抱えている。

 そしてその背後にもう一人、オドオドとした様子の男が同席していた。

 恰好が聖騎士団のものとは異なるようだったが、男もリリクシーラの部下だろう。



 アルヒスを乗せた騎竜が俺達から離れて行く。

 重傷を負ったアルアネを一度戦線から離脱させる算段らしい。


 トドメを刺しきれずにアルアネに逃げられるのは痛いが……向こうから離れてくれるのはありがたくもある。

 アルアネはAランクの魔物に匹敵する戦闘能力を持つ。

 いつ復活するのかわからないアルアネが端で倒れているより、撤退してくれた方が安心できる。

 それに復帰が遅れれば、その前にこの戦い自体を終わらせることだってできるはずだ。


 そのとき……死んだように固まっていたアルアネが、アルヒスに抱かれながらガクンと上半身を起こした。

 アルアネは人形のような目をパチリと開き、それから自分の片腕が欠けていることに気が付くと、口許に笑みを浮かべて自身の血を舐めとった。

 それから俺を見て、口を大きくぱくぱくと動かした。


「ドラゴンさーん! アルアネね、アルアネはね、あの蜘蛛の子を殺しに行くね。だって、聖女様に〖スピリット・サーヴァント〗化してもらうような時間はもうなさそうだもの。だから、とっととアルアネのお人形さんになってもらうね」


 アルアネはそれだけ言い、またぐったりと前のめりになった。


 ……この土壇場でアルヒスがアルアネを助けて撤退したのは、捕らえているアトラナートを殺して操って戻り、俺の動揺を誘うためか。

 いや、俺にそう考えさせることで、アルアネを追わせることが目的か?


 リリクシーラからしてみれば、この接触で十分俺を削ったはずだ。

 戦いが長引いて戦力を失う前に、アトラナートを餌に俺をまた離脱させ、策と態勢を整えてからまた仕掛けて来るつもりかもしれねぇ。

 または、アルアネを追う俺を、速度特化のベルゼバブの人間形態を中心にして攻撃してくるつもりかもしれねぇ。

 

 とっととリリクシーラを優先して倒さねぇといけないことはわかっている。

 俺の魔力も無限ってわけじゃない、既に半分近く削られている。

 このままリリクシーラの掌の上で転がされていれば、それだけ不要な消耗を強いられていくことになる。


 だが……相手の戦略かもしれねぇってことはわかっているが、それでもアトラナートを引き合いに出されている以上、戦いを一度放棄してアルアネを追うしかねえ。

 すぐに動かねぇと、ここの霧だと追えなくなる。


 俺が答えを出してアルアネを追おうとした、そのときだった。


「……竜神さま、あの緑髪の子供は、私に任せてください」


 アロが俺へとそう提案してきた。


『む、無茶だ。アルアネは一度、お前達を簡単に壊滅状態に追い込んだんだろ?』


「……大丈夫です。あの緑髪の子は、今は負傷していてまともに動けないはずです。アトラナートの居場所も話させて、私が助けてみせます」


 それは……そうかもしれない。

 アルアネは今、明らかに瀕死の重傷を負っていた。

 あの状態でまともに戦闘を熟せるとは思えない。

 敵は騎竜とアルヒスと、リリクシーラの部下らしき男だけだ。

 アロ達でもどうにかなる相手ではある。


『だが、不確定要素が……!』


「……私がこの場に残っても、足手纏いにしかなれません。私は、竜神さまのお役に立ちたいです!」


 ……アロの決意は固そうだった。


『ア、アロ殿が行くのであれば、無論私もついていきますぞ! 元より、私はアロ殿をお守りするために生まれた身ですからな!』


 トレントも〖念話〗を発した。


 ……元より、俺が死ねばアロ達も皆殺しにされてしまう戦いだ。

 アロとトレントを庇いながら戦い、アトラナートを人質に行動を操作されている今の状況は、はっきりいって好ましくない。


 敵の主戦力が俺の前に固まっている以上、アロとトレントは俺の背にいるよりここから離れた方が安全ともいえる。

 上手くアロ達が瀕死のアルアネを倒しきり、アトラナートを助け出すことができれば、リリクシーラとの戦いにおける大きなアドバンテージになる。

 懸ける意味のある作戦ではある。


『……無茶は、するんじゃねぇぞ。何かまずいことが起きたら、すぐに逃げて隠れるんだ』


「はい!」


 アロは答えた後、俺の背から飛び降りた。

 腕には木霊状態のトレントを抱えていた。

 〖ゲール〗で自在に風を操り、空を舞いながらゆっくりと地面へと降りていく。


 俺はすばやく高度を落とし、アロ達より先に地面へと着地した。

 ……後はハウグレーやベルゼバブ、リリクシーラの狙いがアロ達に向かないよう、俺がしっかり相手取る必要がある。


 俺が地に降りたことで、ハウグレーがまた俺へと斬り掛かってきた。

 相変わらずハウグレーへの対処法はわからねぇが……アロとトレントがアルアネを追ってくれるお陰で、精神的に余裕ができた。

 仕損じたアルアネとアトラナートの救出に気を急くことなく、目前の相手に専念できる。


 俺は腹部につけられている、アトラナートの編みぐるみへと意識を向ける。

 アトラナートより受け取った最後の編みぐるみは糸の粘着性で貼り付いたまま、戦いの中でも剝がれずに残っていた。

 これがある限り、アトラナートはまだ生きているのだと安心できる。


 ……アトラナートよ、待ってろよ。

 アロとトレントがきっと、助け出してくれるからな。


『上からは俺様がやるぜ、〖悪食家〗ァ! テメェの身は考慮してやらねぇから、せいぜい必死に避けろよ!』


 空高くからベルゼバブの〖念話〗が響いて来る。

 ハウグレーはその言葉には反応を見せなかったが、ベルゼバブはそれを了承と受け取ったらしい。

 頭上から容赦なく〖ダークネスレイン〗の紫の光が降り注いできた。

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