第533話

 ついにハウグレーに間合いを詰められた。

 俺の周囲には、今もベルゼバブが飛び回っている。

 ハウグレー自体が未知数過ぎる以上、あまりよくねぇ状況だ。


「竜神さま! あの女の人が……!」


 アロの声に目線を向ければ、リリクシーラの騎竜が距離を詰め始めてきている。

 ハウグレーが間合いに入ったと見て、リリクシーラも攻撃を開始するつもりらしい。

 ハウグレー、ベルゼバブを使って俺との決着をつけに来たのか……?


 ……いや、それだけじゃねえ。

 アルヒスは俺がハウグレーに意識を向けている間にリリクシーラに先行して接近していたらしく、血塗れのアルアネを背負って騎竜へと乗せていた。

 リリクシーラの指示だろう。

 わざわざ救助に向かわせたということは、この後もアルアネを使うつもりか……?


 俺はアルアネの処分を優先しようかと考えたが、今、その猶予はなかった。


「余所見をしている場合か、邪竜よ」


 ハウグレーが地を蹴って大きく跳び上がった。


 俺も地面を蹴り飛ばし、宙へと逃れた。

 〖ハイジャンプ〗でも高度には限界がある。

 空中に逃れてしまえば、ハウグレーの剣は届かなくなる……はずだった。

 ハウグレーの動きが宙でぶれた後、再び身体の上昇速度が上がったのだ。


 な、なんだ今のは!?

 霧に紛れて、何か足場になり得るものがあったのか!?

 それともそういった状況を作れるスキルが、奴の中に何かあったか!?


 短剣を構えている。

 ついにあいつが、攻撃に出て来る。

 ……焦るな、俺。速度では大きく勝っている。

 〖次元爪〗は精度が落ちるが、直接攻撃ならば話は別だ。


 俺はしっかりとハウグレーの動きを目で追い、前脚の爪を振るった。


 捉えたと、思った。

 ハウグレーは、俺の爪の上に乗っていた。


 なんでだよ……どう考えたって勝負にならねえくらい身体能力面では俺の方が有利なはずなのに、どう足掻いても攻撃が通らねぇ。

 ……本当に、動きの精度の問題だけなのか?


 落下や直撃のダメージの完全無効化といい、技量だけではとても説明がつかねぇ。

 俺に完全耐性がある以上、幻覚の類では絶対にないはずだが……こいつには、さすがに何かのカラクリがある。

 俺の思考の死角の何処かに、ハウグレーの強みの正体があるはずだ。


 俺は前脚を振り上げ、ハウグレーを頭上へ跳ね上げようとした。

 その寸前にハウグレーは俺の爪を蹴って跳び、顔へと近付いて来る。

 大口を開けて喰らいつく。

 ハウグレーは俺の牙を蹴って前脚に飛び乗り、背側へと駆けて行った。


 背の方には、アロとトレントがいる。

 一瞬であっても、あの二人にハウグレーとまともに戦わせるわけにはいかねぇ。


『アロォ! 頼む!』


「はいっ! 〖ゲール〗!」


 俺の背の方で竜巻が巻き起こる。

 さすがアロだ。俺の意図を掴んで動いてくれた。


 ハウグレーを捉えられるとすれば、移動方法の限られる空中か、避けようのない範囲攻撃しかねえ。

 正体不明のダメージ無効化があるのでそれだけでどうにかなるとも思えねえが、目があるのはこの二つだけだ。


 ハウグレーが俺の背を蹴り、大きく空を舞ったようだった。

 てっきり〖破魔の刃〗を使ってくるかと考えていたが、素直に跳んでくれたのなら幸いだ。

 ハウグレーは……宙にいる。今なら、確実に攻撃を当てられるはずだ。

 俺は息を吸い込み、首を捻った。


 〖灼熱の息〗で、宙にいるハウグレーへと猛炎を吐きつける。

 ハウグレーは身体を傾けた後、ガクンと奇妙な動きで身体が大きく下がり、綺麗に炎を回避した。


 俺は目を見開く。

 ま、また出やがった。ハウグレーの、重力を無視したかのような歪な動きだ。

 あいつは今、何をしたんだ……?

 少なくともあの動きの正体を知るまでは、空中に追い込んだとしても、ハウグレーにとっては大した痛手にはならねぇ。


 何をすればハウグレーに攻撃が当たるのか、全くわからねぇ。

 この世界に来て、初めての感覚だった。


 〖ヘルゲート〗なら、当たるか……?

 いや、確かに範囲攻撃ではあるが、あれは〖次元爪〗なんかよりもよっぽど発動が遅い。

 座標を指定し、魔法陣を浮かべ、それからようやく悪魔の業火を呼び起こすことができるのだ。


 俺の中の最速の攻撃である〖次元爪〗さえ回避するハウグレーが、悠長に発動を待ってくれるとは思えない。

 当てる目があるとすれば他の攻撃と併用して逃げ場を完全に潰すことだが、あれはHPとMPを大幅に消耗させられる。

 期待値に対してコストが高すぎる。


 俺は頭上のハウグレーを睨む。

 ハウグレーは短剣を大きく掲げ、俺を見ていた。

 老人と、目が合った。


「ゆくぞ、〖神落万斬〗!」


 ハウグレーは身体を回転させて上下を入れ替えながら、俺へと落ちて来る。

 俺は爪を振るったが、ハウグレーは容易くそれを掻い潜った。

 ハウグレーは更に宙で身体を回転させながら短剣を振るい、無数の斬撃を俺の肩へと当てた。


 身体を側転させて斬撃の連打を放ちながら移動するのが、あのスキルの攻撃方法らしい。

 手数を稼ぐことのみに特化した剣技だ。


「グゥッ!」


 鱗に細かい数多の線が走り、血が滲む。

 奴の、〖空夢の短剣〗の効果が響いているようだ。

 体感だと、見かけ以上にダメージの入る回数が多いように感じる。

 一太刀で計5ダメージ近く取られている、

 格上相手でも装甲越しにダメージを与えられる〖空夢の短剣〗で、ハウグレーは俺を倒しきるつもりだ。

 細かいダメージではあるが、継続して続けられれば無視できねぇ数値になってくる。


 俺は前脚で薙ぎ払う。

 ハウグレーは俺の身体を蹴り飛ばして首の死角へと滑り込んで短剣を振るい、かと思えば素早くまた俺の身体を蹴って移動する。

 体格差が、裏目に出ていやがる。

 このまま纏わりつかれれば、本当にHPを削り切られかねない。


 規模のゴリ押しが通用しねぇなら、いっそ〖人化の術〗を使えばいいのか……?

 ハウグレーは、掠りでもダメージを当てれば倒せるステータス差だ。

 攻撃力半減も防御力半減も、対ハウグレーに限れば痛くはない。

 ……いや、ベルゼバブもリリクシーラもいるのに、そんな弱点を晒す奇策に出られるわけがねえ。


『アロ、トレント、屈んでいてくれ!』


 俺は〖グラビティ〗を使った。

 周囲一帯に黒い光が円状に走る。

 地面に叩き落として俺から振り落として、動きを止めて確実に仕留めてやる!


「……来るか、〖グラビティ〗が」


 ハウグレーは俺の肩を蹴って背側へと移動する。

 背に、鋭利な線の痛みが響いた。


「グゥ……!」


 あいつ……グラビティを利用して、自分の剣の速さを底上げしやがった!

 だが、ハウグレーはこれで、地面に身体を打ち付けるしかないはずだ。

 普通なら叩きつけられた衝撃で動けなくなる。その硬直を狙って追撃を撃つ!


 ハウグレーの頭部に俺は前脚を振り下ろした。

 しかし、ハウグレーは地面に落ちると同時に滑るように横へ移動していった。


 重力で拘束しているはずなのに、通常時よりもむしろ速い。

 こいつ……嘘だろ、重力の拘束も届かねぇのか!?

 短剣を細かく、不規則に操っていた。

 魔法を斬る〖破魔の刃〗を持っていたことが頭を過ぎったが、俺の〖グラビティ〗をハウグレーの〖破魔の刃〗で完全に打ち消し続けるにはMPが足りるはずがない。


 ステータスにも行動にも理解ができないのに、結果として完全に俺のスキルを封殺している。

 だが、今のではっきりした。

 完全にハウグレーは、俺の知識の外の何かで戦っている。 


 ふと俺の背後で、邪悪な気配が膨れ上がるのを感じた。

 確認しなくてもわかる。

 ベルゼバブが、人間から蠅の化け物の姿へと戻ったのだ。

 あいつが完全にマーク外になっていた!


『ハハハハハハァ! そうだよ、こっちじゃねェとやる気が出ねェんだよ!』


 ベルゼバブの膨れ上がった腹部が裂けて巨大な口が生じ、俺の翼の根元へと牙を立てた。

 激痛が走り、肉の砕かれる嫌な音がした。


「ガ、アッ!」


 俺は前脚を薙いで、ベルゼバブを弾いた。

 ベルゼバブの腹部が俺の打撃で大きく窪み、後方へと飛んでいく。

 今の一撃でへし折れた、歪な形状の奴の腹部の牙が地面へと落ちていく。

 だが、その衝撃で、奴が牙を立てていた俺の翼の一部が、引き千切られた。


 ……最悪だ。

 ハウグレーに気を取られ、よりによってベルゼバブの化け物状態の至近距離攻撃を受けちまった。

 化け物状態のベルゼバブの攻撃力は、エルディアにも匹敵する。

 俺の竜の鱗を余裕で貫いて特大の打点を取ってくる。

 今回、最優先で回避しなければいけない攻撃の一つだった。


 ハウグレーも、ベルゼバブも、単身ならばまだやりようがあるかもしれない。

 だが、並行して同時に相手取れる様な相手じゃねぇ。

 翼を喰い千切られた身体のバランスを取れねぇ。

 俺は〖自己再生〗で回復しながらどうにか態勢を整え、地面へと落下する。


『あ、主殿っ! あの悪女の魔法が!』


 どうにか翼を再生したところへ、黒い光の塊が飛来してきた。

 リリクシーラの〖グラビドン〗だ!

 本格的に手を出して来やがった!


「〖クレイ〗!」


 アロが魔法で土を生み出し、俺の腹部の体表の一部を覆った。

 土壁の上にリリクシーラの〖グラビドン〗が衝突する。

 即席の鎧は容易く砕け散ったが、〖グラビドン〗の衝撃を抑えてくれた。

 ダメージは響くが、直撃していたら鱗越しに肉を抉られていただろう。


『……サンキュー、アロ、助かった』


 俺はアロへと礼を言った。

 ハウグレーの連撃に加えてベルゼバブの直接攻撃まで受け、立て続けにリリクシーラの魔法まで受けるところだった。

 最悪は免れたが……しかし、状況は良くない。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

〖イルシア〗

種族:オネイロス

状態:通常

Lv :109/150

HP :3125/4397

MP :2724/4534

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 ……大分、削られている。

 ハウグレーの剣だけで二百近く持っていかれた。

 ベルゼバブやリリクシーラの火力に比べればまだマシな方だが、最悪なのはハウグレーの動きに俺が一切対応できていねぇことだ。

 

 魔力も想定よりかなり減らされている。

 ハウグレー相手に、焦って当たりもしない〖次元爪〗を使わされ過ぎた。

 多対一でベルゼバブの〖ダークネスレイン〗に簡単に当たり過ぎたのも響いている。

 エルディアのときからリリクシーラのヒットアンドアウェイ戦法に付き合わせられ続けていることもよくなかったのだろう。


 ハウグレーは、いくらなんでも不条理なことが多すぎる。

 一見その一つ一つが独立した強みに見えるが、そんなことは絶対にあり得ねぇ。

 俺との正面衝突を何度も凌ぐあの剣技を含めて、何かしらの一本の強みがあるはずだ。

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