第532話
ハウグレーが距離を詰めて来る。
俺の直感は、ハウグレーを危険視するべきではないと告げていた。
だが、だからこそ、そんな老人がヴォルクを退け、大層な称号を引っ提げて、生身で正面から俺へと向かってきている事実が理解できなかった。
ハウグレーには……絶対に、近づかれるわけにはいかねぇ。
普通に考えれば、この速度差なら絶対ハウグレーの攻撃を許すわけがないし、こちらの攻撃を避け続けられる……なんてことも、絶対にあり得ないはずだ。
だが、ここは用心して、集中的に排除する。
俺は前脚を動かし、ベルゼバブへと牽制程度に攻撃する。
こいつは好戦的な奴だが、リリクシーラにとって要の戦力だ。
〖人化の術〗の解除を許されていないことからそれは明らかだ。
適当に相手をしてやれば、賭けに出て攻めて来ることはねぇはずだ。
俺の推測通り、ベルゼバブは大きく回避する。
その間に俺はハウグレーへと狙いをつける。
……万全を期して、この間合いで仕留めさせてもらう。
俺は〖次元爪〗を放った。
このスキルは〖鎌鼬〗とは違い、空間を歪め、間合いを無視して直接叩き斬るスキルだ。
距離があればさすがに精度は落ちるが、それでもハウグレーには避け切れねぇ、はずだった。
距離を超えた俺の凶爪が大地を裂いた。
ハウグレーには、当たっていなかった。
俺は目を疑った。
俺の速さのステータスは、ハウグレーの五倍以上はある。
避けられる、なんてことが有り得るとは思えねえ。
いや、ハウグレーは今、変わった動きはしていなかった。
俺が外しただけなのかもしれねぇ。
ベルゼバブを相手しながら、二撃目、三撃目の〖次元爪〗を放つ。
立て続けにハウグレーには掠りもしなかった。
地面の裂け目を〖ハイジャンプ〗のスキルで跳び越え、一直線に俺へと接近してくる。
さすがにもう、偶然だとは思えなかった。
それに、気が付いたことがあった。
ハウグレーは、俺が〖次元爪〗を放つ一瞬前に、当たらない位置へと移動しているのだ。
あまりにも自然な、淡々とした動きでその神業を熟していた。
だが……今までずっとステータスを見て戦ってきた俺だからこそ、このステータス差でそんな戦いを挑むことの無謀さがわかる。
これまで、そんなことをやってのけた奴は見たことがなかった。
というか、どう考えても不可能だ。
目前にしていてなお、なぜ〖次元爪〗がハウグレーに掠りもしねぇのか、まるで理解できねえ。
あまりに得体が知れねえ。
なぜ俺がハウグレーに対して全く危機感を抱けないのか、ここに来てようやく理解できた。
ハウグレーは、ステータスもスキルも主体にしていない、俺の経験に一切ない、完全に異質な相手だからだ。
あいつの武器の付加効果には……妙なものがあった。
【〖空夢の短剣〗:価値B】
【〖攻撃力:+19〗】
【とある貴族が巨大な竜を打ち倒すために錬金術師に作らせたとされている短剣。】
【……確かにどんな堅い鱗にも傷をつけることはできるのかもしれないが、こんなちっぽけな剣で巨竜を倒すには何千回と剣を振るう必要があるだろう。】
【ステータスの離れている相手にも最小限のダメージを与えることができる。】
……あの武器が、格上相手にもダメージを通すことができる、ということはわかっていた。
だが、それでいったいどうやって俺を相手取ろうとしているのか、全く理解できなかった。
俺に近づけるとも思えなかったし、接近戦になればそれこそ後れを取るわけがねぇと、そう考えていた。
ハウグレーのステータスで、俺と白兵戦を行い、なおかつ連撃を叩き込むなんてことができるわけがねぇと、そう思っていたからだ。
違う、あいつにはそれができるのだ。
少なくともハウグレーはそう考えているし、リリクシーラもそれを当てにしてハウグレーを呼びつけたのだ。
本気で正面から挑んで、あの剣で俺を叩き斬るつもりでいる。
リリクシーラほどのステータスであっても、無策で俺へと接近してくるような真似はしない。
それを易々と可能にするハウグレーは、俺の知る限りでは間違いなく世界最強の人間だった。
リリクシーラの切り札は、ベルゼバブでもアルアネでもなかったのだ。
「グ、グゥオオオオオオオオオオッ!」
俺は咆哮を上げ、前脚を高く掲げた。
攻め続ければ、いずれ大きな隙を晒すはずだ。
そこを確実に突くしかねぇ。
絶対に、避けようのない詰みの状況が来る。
俺はハウグレーに意識を向け〖次元爪〗の連撃を叩き込んだ。
ハウグレーの周囲の地面が爆ぜる。
ハウグレーはそれをほぼ直線で躱し続ける。
見れば見る程、理解ができねぇ動きだった。
なぜ避けられているのかわからない。
偶然か、勘に頼っている様にしか思えない。
あいつはまさか、未来でも見えているのか?
だが、勝負所はここだ。
俺は魔力を投じて範囲を広げ、横一直線に爪撃を放った。
地面に線が走り、大きな溝ができる。
こればかりは、ハウグレーは上に跳ぶしかない。
すかさず俺は、身体を逆側に振るい、ハウグレーの頭上に爪撃を放つ。
数多の木が一閃により両断される。
そして、最後の一閃をその中央で放つ。
範囲を最大まで広げた〖次元爪〗の高速の三連撃。
技量だけで俺と渡り合おうとするハウグレーの逆を行く、ステータスの数値とスキル、そして規模の格差を完全に活かしきった不可避の超範囲攻撃だ。
想定外に魔力を使わせられたが、ハウグレーはそれだけ力を入れなければならない相手だった。
ここで倒しきれたのだから、それで良しとするしかない。
腕を振り切った後、ハウグレーの姿を捜すが見つからない。
勢いで吹き飛んだのだろうか。
経験値取得の告知が、いやに遅く感じる。
「随分と余裕じゃねェか、イルシアちゃんよォ! もう一発かまさせてもらうぜ! 〖ダークネスレイン〗!」
俺の頭上へ移動していたベルゼバブの背後に、また魔法陣が広がっていた。
紫の光が俺へと降り注ぐ。
俺は翼で頭上を守る。
翼の体表を鋭い熱が走る。
ベルゼバブの人間体の物理攻撃は無視できるが、魔法攻撃のダメージはさすがに響く。
さすがに、経験値取得が遅すぎる。
俺は翼の合間から目を動かし、ハウグレーを見つけた。
死角から俺へと駆けてきていた。
ついに、距離を詰められた。
おまけに、怪我らしい怪我を一つも負っていない。
いくらなんでも、有り得ねぇ。
位置からして〖次元爪〗を受けて吹っ飛んだのは間違いないはずだ。
無傷だなんて、それだけは絶対にない。
俺は、夢でも見ているのか……?
攻撃は尽く回避され、追い詰めて直撃させたはずなのに、それさえダメージには至らない。
こんな相手、どうしろというんだ……?
いや……完全に攻撃を無効化できる便利な技があるのなら、最初から回避自体取っていないはずだ。
恐らくダメージの無効化には、何らかの形でリスクが伴っている。
それに……今のダメージを、自身の技量だけで凌ぎ切ったとはさすがに思えねえ。
スライムの野郎がスキルを並行しての連続使用で一見ノーコストのMP回復を実現してみせた様に、何らかのカラクリがあるはずだ。
ハウグレーは騎竜から投げ出されて地面へ着地した際に、自身と相乗りしていた聖騎士への落下衝撃を何らかの手段で殺している。
恐らく、アレと同様のものに違いない。
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