第509話

「ソレニ私ハ、距離ガアッテモ状況ヲ知ラセル術ガアル」


 距離があっても、状況を知らせることのできる術……?

 そんなもの、アトラナートにあったか?


 俺が疑問に感じていると、アトラナートが俺へと近付いて来て、腕を伸ばしてきた。

 何だと思い、俺は首を伸ばす。


 アトラナートの広げられた掌の上に紫の糸が集まり、手のひらサイズの蜘蛛の編みぐるみが三つ現れた。

 ……あらやだ、可愛らしい。

 じゃなくて、このスキルは……。


【通常スキル〖ドッペルコクーン〗】

【糸で自身の分身体を造り出す。】

【分身体の大きさ、ステータスは込めたMPの値に比例する。】

【また、分身体を保つためには継続的にMPが減少する。】


 アトラナートに進化したときに得たスキルだ。

 今まで使っているところは見なかったが、こういうものだったのか。

 応用の利く強スキルだ。 


『……で、それがなんなんだ?』


 アトラナートが面の奥で鼻で笑う。

 こ、こいつ今、俺のことちょっと小ばかにしなかったか……?

 アトラナートが俺に指を向けると、三つの編みぐるみが真っ直ぐに飛来し、俺の脇腹辺りに付着した。


 三つの編みぐるみが八つ脚を蠢かし始める。

 こ、これちょっとこそばゆいんだけど!


『う、羨ましい!』


 トレントさんが世迷言を吐いていたが、俺は何も聞かなかったことにした。


「ソレクライナラバ、サシテ魔力減少モナイ。奴ラガ来レバ、一ツヲ消ス。状況ガ変ワリ、主ニ動イテモラウ必要ガ出来タトキニハ、二ツヲ消ス」


『な、なるほど……』


 こ、こいつ、知恵が働くと言うか、頭がかなりよくねぇか。


『で、三つ目は?』


「……考エテイナカッタ。不要ダッタナ」


『三つに這われるとこそばゆいから取っていいか!? なぁ!?』


 アトラナートは俺を無視し、リリクシーラが向かって来るであろう道を進んでいく。

 あ、あいつ、聞こえてる癖に……! 取るなってか!?


『お、おい、アトラナート!』


 俺が〖念話〗をしつこく向けると、アトラナートが僅かに仮面をこちらに傾けた。

 俺は三体目の蜘蛛の編みぐるみについて問うつもりだったのだが……自然と、別の言葉が口を出た。


『……何かあったら、すぐ戻ってくるんだぞ! 絶対に無理するなよ! 生きて戻って来ねぇと、承知しねぇからな!』


 アトラナートは小さく頷き、それから前へと進んで行った。


「竜神さま、取りましょうか?」


 アロは俺の腹の近くに回り込み、声を掛けて来る。

 俺は首を振った。


『……いや、アトラナートは言わなかったが、編みぐるみが三つ消えることがある。それは、アトラナートが死んだ時だ。あいつも、それを分かって残していった』


 アロが大きく目を見開き、前方へと向く。

 既にアトラナートの姿は霧の中に消えてしまっていた。


「……恐らく連中は、飛んで向かって来るという見立てであっただろう。偵察が地にいると気がつこうとも、下手に攻撃を仕掛けることはできないはずだ」


 ヴォルクが俺へと声を掛けて来る。

 わかってはいる。


 だが、リリクシーラは何を仕掛けて来るか、まるで分からない相手だ。

 あいつは、人間でも、魔物でもない。化け物だ。

 俺に対して心理面で揺さぶりを掛けるためにも、先にアトラナートを潰しておく可能性だって、ないわけじゃあない。


 それからしばらく、俺達は身構えながら待っていた。


 こそばゆい感触でわかっていたが、俺は何度も何度も、腹部で蠢いているアトラナートの分体を目視で確認していた。

 頼む……絶対に、死ぬんじゃねえぞアトラナート……!

 これ以上は、誰にも欠けて欲しくねぇんだ。


 俺が〖気配感知〗をフルに使っていると……やがて、覚えのある気配が引っかかった。


『これは……また、ベルゼバブの眷属か?』


 何故、このタイミングで……?


「……襲撃前に、再確認に来たのであろう。我々が移動しているのか、どうか。だとすれば、すぐに聖女が来るぞ」


 ヴォルクの言葉に俺は頷いた。

 なるほど、それならば納得がいく。


 アロが目を細め、俺の顔の近くへと移動する。


「……あの蠅、竜神さまの魔法で、どうにか騙せませんか?」


 蠅を、騙す……?

 そ、そうか、あいつに嘘を教えておけば、リリクシーラは俺達を誤認することになる。


 ……いや、それに意味があるか?

 嘘を教えてルートを曲げさせれば、せっかく移動せずに待つことにしたのが無意味になってしまう。

 あいつらの動きが読めなくなっては困る。


「ルートを、変えなかったら?」


『そ、そうか……!』


 俺が実際よりも大きく後方にいると誤認させることができれば、リリクシーラ達は無防備にここを通過することになる。

 そうすれば、ベルゼバブの〖蠅王の暴風〗を万全の状態で撃つのもかなり難しくなるはずだ。

 あれは直前に〖インハーラ〗とセットで使うことで、あの高威力、広範囲を保っているのだから。


『少し、滝の洞窟奥で隠れていてくれ! 全員だ!』


 俺が呼びかけ、一度洞窟内に戻ってもらった。

 トレントさんは今の大きさでは隠れられないため〖木霊化〗を用いて、木偶面を被ったペンギン擬きの姿へと化けてもらうことにした。


 そして俺は〖竜の鏡〗で〖ベビードラゴン〗の姿を取り、〖ミラージュ〗で自身の姿を見えなくして、後方遠くに〖オネイロス〗らしき影を浮かべた。

 〖竜の鏡〗で完全に自身を消してもいいが、あれはMPの消耗が激しすぎるのだ。

 規模が大きすぎて不自然さが目立つかもしれないが、所詮ベルゼバブの眷属は大した魔力も持っていない。

 違和感を抱くことはできないはずだ。


 やがてベルゼバブの眷属が現れる。

 俺の周辺を不思議そうに動き回った後、遠くの影を見つけてそちらへ向かって飛来していった。


 ……計画は、上手く行った、か?

 問題は情報を受け取ったリリクシーラが、それをどう考えるか、にもある。

 あいつと読み合いや心理戦は極力したくないところだ。


 今考えれば、俺がこれまで対峙してきた勇者やトールマン、スライムは、狙いや考えが単純で、わかりやすい奴らだったかもしれない。 

 だが、リリクシーラはそうではない。


 それに俺には、あいつの考えがまるで理解できないのだ。

 リリクシーラは、ルインを王都から遠ざけるために逃げた俺に対して、すぐにベルゼバブを差し向けてきた。

 怒りより先に呆れ、冷静になってから恐怖した。

 あんなに冷酷な人間がいるのかと思い知らされた。

 はっきり言って、あいつが何を仕掛けて来るつもりなのか、今だって怖くて仕方がない。

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