第508話

 まだ暗さの残る朝方。

 俺が洞窟の外でアロと共にじっとしていると、霞の中から蠅の魔物が飛来してきた。

 ベルゼバブの眷属だ。

 蠅の魔物は、俺達を観察する様にじっと見やる。


「〖ゲール〗!」


 アロが風を放って蠅の魔物を地面へ叩き落し、すばやく腕を肥大化させて叩き潰した。

 腕の下で、緑の体液が破裂する。


 け、結構、躊躇いとかないんだな。

 俺はアビス叩き潰すときにもそれなりに勇気がいったが。


『気持ちは嬉しいが……俺が叩き潰したら済む話だから。ちょっととはいえ、あんまり魔力を無駄に使うなよ……』


「はい……」


 アロが項垂れながら、消え入る様な声で言った。


『一応〖マナドレイン〗で俺から吸い上げておけ。それくらいなら自動回復ですぐ埋まる』


「はいっ!」


 アロが顔を上げて快活に言った。


 俺は腹を地面につける。

 アロがぺったりと凭れ掛かり、俺から〖マナドレイン〗で魔力を吸い上げる。

 俺はアロの幸せそうな表情を横目で眺めつつ、これからの動き方を考えていた。


 すぐに移動するべきか?

 いや、たかだか蠅一体の視界でここまで辿れるか?

 それに最悪を考えれば、出鱈目に動くよりも、リリクシーラにここまで来てもらった方がいいかもしれない。


 しかしそれだと、ファーストアタックを連中に許すことになる。

 リリクシーラが初撃に選びそうな攻撃は……と考え、寒気が走った。

 ベルゼバブの絶対死ぬビーム……もとい、〖蠅王の暴風〗だ。


 と、とりあえず、全員起こさねぇと!

 別に蠅が来たというだけで、リリクシーラがこの地の近くまで来ているかは不明だ。

 すぐに来るという保証はねぇが……〖蠅王の暴風〗のぶっぱをくらっちまったら最悪だ。

 その時点でこっちは総崩れになっちまう。


 タン、と俺の横にアトラナートが降り立った。

 既に目を覚ましていたらしい。

 こきりと首を曲げ、面を俺へと向ける。


「全員、起コセバイイカ?」


『ああ、頼むっ! 今すぐ急ぎでだ!』


「キシィッ!」


 洞窟から転がって姿を現した黒蜥蜴が、素早くトレントへと飛びついて牙を突き立てた。

 トレントが大きく揺れ、木の葉が舞った。顔らしき目と口が大きく開かれる。


『ヌオゥッ!?』


『今更だけどもう少し優しく起こしてやってくれると助かる!』


 トレントさんの扱いぃ!

 いや、黒蜥蜴は俺の言葉通り急いでくれただけだろうが……。

 まさか、毒は使っていないよな?


「…………キシィ」


 黒蜥蜴は噛んだ部位を舌で舐め取っていた。

 ……そ、そうか、使っちゃったのか。


 洞窟の奥から、マギアタイト爺の黄金剣を手にしたヴォルクが現れる。


「敵に動きがあったか?」


『ああ、蠅が来た! 拠点を移動するしかねぇ!』


「落ち着け。我々もこの地について熟知しているわけではない、下手に動けば余計な隙を晒すことになるぞ」


『で、でもよ……!』


 先制で〖蠅王の暴風〗を受ければ、全員に大ダメージを叩き込まれた上で暴風で吹き飛ばされ、おまけにアトラナートとヴォルク、トレントは猛毒の状態異常を負うことになる。

 そうなれば、リリクシーラの猛攻に耐えながらの回復を行わなければならない。


「地理に不安があるのは、聖女とて同様であろう」


『……それはそう、か』


 ベルゼバブの眷属の目があるとはいえ、視界の悪い、この広大な地だ。

 おまけに魔物も多い。

 リリクシーラにとっても、ここは世界で有数の危険地帯。

 最東の異境地だ。

 自分の不利な点と、相手の有利な点ばかり考えていたかもしれねぇ。


 俺は爪先で地面に大まかな地形と、リリクシーラが上陸するであろう方面、そして俺達の現在地を描いた。


 ……リリクシーラは恐らく、俺達の許へと真っ直ぐ移動してくる。

 なぜなら、詳細不明の霧の陸地を相手に、遠回りしたり、回り込んだりしているだけの余裕がないからだ。

 俺はリリクシーラが来るであろう方面から、真っ直ぐに線を引いた。


 そしてファーストアタックは、恐らくベルゼバブの〖蠅王の暴風〗だ。

 この範囲攻撃を仕掛け、俺が治療に当たらざるを得なくする。

 そうしたらその隙を突いて一気に仕掛けて来るはずだ。


 リリクシーラにとっては、格上の俺を〖スピリット・サーヴァント〗による手数頼りで突破する戦いになる。

 長期戦になった時点で敗北が確定しているのは分かっているはずだ。

 

『つまり、短期決戦を臨んでくる……』


 長引いて向こうが得になることは何もないはずだ。

 案外、戦いは一瞬で終わっちまうのかもしれない。


「そうなるであろうな。逆に、向こうが長期決戦を狙ってきた場合、我らの把握できていない裏があるという事だ」


 ヴォルクは言うが、リリクシーラにその様な余力はまずないはずだ。

 奴の戦力を一角でも落とせば、リリクシーラは一気に取れる選択肢が狭まる。 


『落ち着いてみりゃ……リリクシーラの取れる動き方がほとんどねぇことがわかるな。これなら、かなり行動を絞れる』


 だとすれば、こっちの打てる対策はベルゼバブの〖蠅王の暴風〗対策だ。

 直撃を防げるようにアロ達には洞窟に隠れてもらい、俺だけ表に出て撃たせるべきか?


「相手の動きを読める状態で、ここで迎え討つのは悪くない策だ。だが、そのためには、偵察が必要になるな」


 ヴォルクがマギアタイト爺の黄金剣の先端で、俺の描いた図の一部を示す。

 リリクシーラの予測移動ルートに沿った、俺達の現在地の手前の部分であった。

 要するに、リリクシーラの接近タイミングを事前に知られる様にしておくべきだ、ということだろう。


 しかし、偵察か……。


『俺が幻影魔法で隠れとくのは……』


「言わば、お前は本陣であろう……。危険に晒したくないのはわかるが、必要な役目だ」


 ……わかっている。

 リリクシーラがこちらに接触するタイミングさえわかっていれば、直前に俺が幻影魔法を広範囲に仕掛けておくこともできる。

 状況次第では、相手の意表を突いて〖蠅王の暴風〗を潰すことだってできるはずだ。

 何より、連中の奇襲に対して完全に無防備でいることはあり得ない。


「トスレバ、ソレガデキルノハ私ダケカ」


 アトラナートが淡々と言う。


『き、危険だぞ。すぐ手前とは言え、リリクシーラと真っ先に接触することになっちまう』


「感知、隠密ガデキ、生キ残ル術ガアルノハ私ダケダ」


 た、確かに、アトラナートには〖気配感知:Lv7〗と〖忍び歩き:Lv7〗がある。

 ここは霧も濃く、隠れることに徹すれば向こうから発見されるリスクは低い。

 普通に考えれば難しい役割ではないし、これ以上ないくらいにアトラナートは適材適所だ。

 ……しかし、今回ばかりは、相手が不穏すぎる。


「ソレニ私ハ、距離ガアッテモ状況ヲ知ラセル術ガアル」


 距離があっても、状況を知らせることのできる術……?

 そんなもの、アトラナートにあったか?

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