第504話
ウムカヒメが大蠅の死骸へと歩み寄り、背から伸びる触手で亡骸を持ち上げる。
「……ここは妾の霧が濃いために、通常ならば魔物一体紛れ込むことはないのだが……そちの戦いの轟音を聞いたのであろうな。ここでは見ない魔物だが、見覚えがあるかえ?」
俺は頷く。
黒蜥蜴も、神経質に蠅の死骸を睨んでいた。
二体でベルゼバブの襲撃から命からがら逃げだしたときのことを思い出しているのだろう。
『間違いなく、俺への客だ。そんで、当代の聖女様であるリリクシーラだ』
「〖スピリット・サーヴァント〗か」
ウムカヒメが忌々し気に零す。
彼女も、アルキミアと共に聖女の〖スピリット・サーヴァント〗と戦ったことがあったのだろう。
『ウムカヒメ、力を貸してくれねぇか? お前が手を貸してくれるなら心強い』
ウムカヒメは、A+ランクの高レベルモンスターだ。
アトラナートやアロよりもステータス面でも経験でも勝っている。
おまけに霧を自在に操ってくれれば、リリクシーラ一派に大打撃を与えてくれるはずなのだ。
『利害は一致しているはずだ。お前も、俺に神の声を倒してほしいんだろ? それに、フォーレン復活のトリガーになりかねないリリクシーラが生き残っちゃ、まずいはずだ。そうなんだよな?』
断る理由はないと、そう思っていた。
だが、ウムカヒメは、静かに首を振った。
「この戦い、悪いが妾は、傍観に徹させてもらおうかの」
『……どういうつもりだ?』
俺は前足を構える。
はいそうですか、で済むほど単純な話じゃねぇ。
返答次第では、この前足をウムカヒメ目掛けて振り下ろすことも視野に入れている。
「聖女くらいは自力で突破してもらわねば、話にもならぬ。故に妾は手を貸さぬと、そう言っておるのだ」
俺は目を開き、ウムカヒメを睨む。
『それは、ちょっと笑えねぇ言い分だな。こっちは仲間の命懸けて戦ってんだ』
ウムカヒメの背の触手が数本伸び、俺を警戒する様に構える。
「妾もそうだ。同胞と、我が主の命が懸かっている。五百年間、後世に奴を倒す者が現れることを信じて待っておった。幸い妾は、遺言を読むことができた。そちが駄目ならば、もう五百年待ち、次の者に伝えるだけだ」
ウムカヒメは眉一つ動かさずに言う。
こいつ、本気で言っているのか……?
第一、リリクシーラが勝っちまったら、神の声の奴はリリクシーラの〖ラプラス干渉権限〗のレベルを引き上げてフォーレンを復活させるか、リリクシーラから得たデータを基にこの世界を弄り、次の世代でこそフォーレンの封印を解ける様に準備を整えるはずだ。
『ウムカヒメ、お前にとっても、リリクシーラの勝利は決して好ましいものではない。そうだよな?』
「奴の狂信者の勝利は避けたいことではある。だが、今まで、何十回、何百回、何万年と恐らくは繰り返されてきたこと。奴の思惑がどこまで進んでいるのか、妾如きに確かめられるはずもあるまい。だから妾は、次があることに賭けるのだ」
……あっさりと言ってくれる。
俺達にとっちゃ、今回が全てだって言うのによ。
「妾は強いが、そちほどではない。戦いに巻き込まれ、あっさり命を落とすこともあろう。神の声との戦いならばいざ知らず、聖女との戦いに出張るつもりはない。妾は妾で、主の最後に残った忠臣として、我が主の復讐の末路を見届ける義務がある」
……俺はウムカヒメ達の主であるアルキミアの試練に則り、シュブ・ニグラスとクレイブレイブを倒した。
深読みかもしれないが、もしかしたらそれは『経験値にする』という意味もあったのかもしれない。
何にせよ、ウムカヒメ達も、それだけの覚悟をしてこの場で神の声を倒せる存在を待ち続けているということだ。
ならば俺が手を貸してくれないからと言って憤るのはお角違いだ。
それにきっとウムカヒメも、たとえ殺すつもりで脅したところで、きっと折れてはくれないだろう。
『……そうか、脅したみたいで悪かったな。霧は、残しておくのか?』
「わかってもらえて何よりだ。霧は残しておく。あまりこの地を、無粋な輩に踏み荒らされたくはないのでな。必要とあらば弱めるくらいの配慮はしてやれるが、不要であろう?」
俺は頷いた。
この霧は、俺とアロには意味をなさない。
それに、この霧に包まれた地での暮らしにも慣れて来たところだ。
リリクシーラに対し、俺達の方が地の利があるはずだ。
俺達は山を降り、滝の洞窟へと戻った。
アロが忙しなく動き、洞窟前に吊るしてあるフェンリルやらドラゴンフィッシュを取って、皆の食事の準備を進めてくれた。
アロは【Lv:77/85】から【Lv:80/85】へ、
アトラナートは【Lv:29/102】から【Lv:54/102】へ、
トレントさんは【Lv:49/85】から【Lv:54/85】へ、
黒蜥蜴は【Lv:54/80】から【Lv:58/80】へ、
マギアタイト爺は【Lv:24/92】から【Lv:35/92】へと上がっていた。
シュブ・ニグラス戦の分の経験値だ。
やはり、〖魔王の恩恵〗の経験値倍増効果が大きい。
だが……アロはもう一歩というところで、高レベル故の足踏みをくらっている。
しかし、無理にフェンリル狩りへ出ても埋めるのが難しい量であり、いつリリクシーラが攻めて来るかわからない状況であるため、今日の残りはしっかりと身体を休ませることにした。
「我は人里にはあまり馴染めぬかったし、その意義も感じなかった。しかし、お前達といると、しっくりくるというか、妙に落ち着く」
ヴォルクがフェンリル肉の塊に齧りついてから、ぽつりと零した。
ヴォルクの言葉に少しほっこりとしたが、少し寂し気な言い方だったのが気に掛かった。
『……誰モ、欠ケネバヨイノダガナ』
ヴォルクが軽く抱くようにして片腕で抱えている、剣状態のマギア爺が、ヴォルクの意を汲んだようにそう言った。
……そのつもりだ。
幸い、時間も十分取れていた。
だが、その分、リリクシーラも準備を整えていたはずだ。
どんな手を使って来るのかわからねぇ野郎だ。絶対安心、なんて言葉はねぇ。
「……キシィ」
黒蜥蜴が不安げに俺を見上げる。
大丈夫だ。
今の俺なら、ベルゼバブ相手でも圧倒できるはずだ。
あいつらを倒したら、もうちょっとゆっくり伸び伸びと行こうぜ。
そうだ、俺も姿を晦ませる様になったんだから、猩々達に会いに行くっていうのもアリだな。
『ささ、アトラナート殿、お持ち致しましたぞ!』
「…………ナゼ?」
トレントさんが自分の枝に肉を大量に移し、アトラナートへとずいずいと枝先を近づけていた。
対するアトラナートは、不機嫌さと疑問の混じった声をトレントさんへ向けている。当然である。
仮面越しにもアトラナートの困惑した顔が浮かぶようだ。
脚をつんつんと突かれた気がして目線を降ろすと、顔を朱に染めたアロがトレントさんとアトラナートの様子を見守っていた。
「アトラナートが美人さんになったから、恋してるのかな……?」
美人……なのか?
仮面付けてるところしか見たことねぇからわからねぇぞ。
この間までいがみ合ってたはずなのに、何がきっかけだったんだ。
まさかトレントさん、前にアトラナートから適当に褒められたのでまだ舞い上がってるのか。
絶対アトラナートはもう忘れてんぞそれ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます