第450話 side:リリクシーラ

「聖女様、聖女様、しっかり……!」


 リリクシーラは、部下である聖騎士団の一員、アルヒスの言葉によって意識が戻った。

 そのとき、リリクシーラは、天井の空いた城の一室にて、壁を背に座り込んでいた。


 自分を中心に血溜まりが広がっていることに気が付く。

 床を手探りに手を這わせ、すぐ傍に置かれていた〖聖国の権杖〗を指で手繰り、握り締める。

 それから、最後に見た記憶を思い出す。


 突如、床を割って現れた、ルインという魔物。

 ルインはリリクシーラへと魔法攻撃を放ち、彼女はそれに対応するために〖ミラーカウンター〗を展開したのだ。

 だが、彼女の展開した魔法の鏡はあっさりと破られ――そこまで思い出したところで、リリクシーラは、概ねの現状を把握した。


 リリクシーラも咄嗟に虹色の化け物のステータスを確認していたため、それがルインという名称を持つ、魔王が正規の手段を踏まずに進化した存在であることには、察しがついていた。


「お目覚めになられたのですね、聖女様! 既に〖レスト〗は充分に行いましたが……その、左の脚と、左の腕が……」


 リリクシーラはアルヒスの言葉を受け、自身の身体へと目を走らせる。

 左脚が大きく歪に曲げられ、左腕に至っては、消し飛ばされた様に肩から先がない。


「……左脚は、空いた大穴に落ちたときに、瓦礫に押し潰されておりました。左腕は、その、恐らく、あの虹色の化け物の魔法をまともに受けたために、塵となったようです」


「こうなれば、再生師のいる、聖国へ戻らなければいけませんね。だから彼には、付いて来て欲しかったのに」


 リリクシーラは無表情のまま、他人事の様に言う。

 周囲には、リリクシーラが変装させて王都アルバンに向かわせていた、聖騎士の八人が並んでいた。


「私が倒れている間に、かなり時間が経過していたようですね。ルイン……あの魔物と、それから、〖人間道〗は?」


「それが、その……あの竜は、暴走した魔物を引き付け、王都から引き剥がすために、囮になり……」


 リリクシーラが無言のまま目を見開く。

 数秒黙った後に「あり得ない」と呟き、杖を握る力を強め、アルヒスを睨む。


「し、しかし、あの竜は、本当に……」


「いいえ、あり得ませんよ、アルヒス。あの怪我で、あの魔物を引き付ける余力があったわけがありません。そうでしょう? 命懸けでこの任務に臨んでいるアルヒスとバレアも居合わせていたのに、おかしいではありませんか」


 アルヒスが息を呑み、口を閉ざす。


「貴女とバレアは、協力してあの竜を回復した、そうなのですね」


「し、しかし、聖女様……あの竜は、王都を守るために……」


 リリクシーラはアルヒスの顎へ、杖先を突きつけた。


「そんな余計な事をする時間がありながら、なぜウロボロスの頭を潰し、手足と翼を捥いでしまわなかったのです? それができなくとも、最低でも殺しておくべきだった。アルヒス、バレア、貴方達は、自分が何をしたのか、わかっているのですか?」


 リリクシーラは、冷淡に言葉を続ける。


「これでヘマは、三回目ですね。以前までは、アルヒスは機転が利き、激情に流されることもないと信頼していたのですが、私の見込み違いでした、とても残念です」


「さ、三回……?」


「一つ目は、最初のウロボロスとの接触に置いて、過剰に敵愾心を露わにしたことです。確かに不審感を持たせないために、適度に警戒の素振りを前面に出せとは言いましたが、あれでは逆効果でしょう」


「…………はい」


「二つ目はあのアンデッドに、貴女がウロボロスを置いて逃げる様に忠告したことです。あれのせいで、あのアンデッドに警戒を促され、魔王が逃げ延びたという不確定要素に対して様子を見る余地もなく、ウロボロスとの交戦になったのです。私が気が付いていないと、思っていましたか?」


「……弁解の余地もありません、その通りです」


「この事態は全て、貴女の失態が招いたことです。本来ならばこれは、補い切れた不確定要素でした。そのために私は、何重にも保険を掛けていたのですから。貴女が二度も余計なことをしたために、それを台無しにしたのです」


 リリクシーラが一番恐れていたのは、ルインの様な例外であった。

 それが怖かったからこそ、極力戦力を分散させ、小出しにすることで保険としたかったのだ。

 ウロボロスを手駒として残して魔王へとぶつけたのも、魔獣王の神聖スキルを取り込まずに〖スピリット・サーヴァント〗に留めているのも、そのためである。


 本来ならば、世界の果ての島でウロボロスと出会った際に、殺して神聖スキルを奪ってしまってもよかった。

 ウロボロスは、追い詰めれば逃げるであろう魔王に対しての心理戦の道具でもあったが、他の手立てで代用が利かないわけではなかった。


 しかし、ウロボロスが利用しやすい性分であると踏んだからこそ、例外への保険となる手数を増やすためにも、手駒として残しておきたかったのだ。

 だが、今回は、得体の知れない神聖スキルへの畏怖による慎重さが、徹底的に裏目として出ていた。 

 用意していた保険はあと一歩のところでどれも効力を発揮せず、逆に結果論ではあるものの、戦力を固めてパワープレイに出ていれば、呆気なく全てがリリクシーラの一人勝ちで収拾していた算段が高い。


「……しかし、聖女様。最初から裏切ると腹が決まっている者を相手に、全くの曇りのない笑顔を向けられるのは、貴女様しかおりません」


 アルヒスは顔を伏せたまま、消え入りそうな声で呟いた。

 つい洩れた言葉ではあったが、それは紛れもなく本心であった。


「アレを、今の内に処分しなければ! 死んでいればまだよいのですが、生き延びていれば、大変なことなる……」


 リリクシーラは、壁に手を付きながら、強引に立ち上がる。


「せっ、聖女様! 無茶です、その御身体で後を追うのは!」


 聖騎士の一人バレアが、慌ててリリクシーラの身体を支える。


「せめて、セラピムが殺されていなければ……! 距離が、足りていればいいのですが。今使える最後の切り札を、こんな形で切ることになるとは……」


 リリクシーラは、杖を握る右手を大きく掲げた。


「〖スピリット・サーヴァント〗! 現れよ、我に従え、魔獣王を冠する、不浄なる死神、ベルゼバブよ!」


 床一面に、どす黒い大きな魔法陣が広がる。

 それを見たアルヒスが、顔を青くした。


「せ、聖女様……か、仮にも、かの竜は王都を守るために……。そこへよりによって、ベルゼバブを使うなど……」


「王都を灰にしてでも、ウロボロスを逃がすべきではなかった! 安全に処分できるのは、今このタイミングしかないのです! 何故、貴方達には、そんなことがわからないのですか!? 伝説級の魔物など、絶対に生み出してはいけない……ましてや……魔物の神など、絶対に!」

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