第449話

『相方、アイツはどうなってる!』


 俺は背後を確認している相方へと尋ねる。


『ダメダ、ドンドン接近シテキヤガル! ドウスンダヨ! ソロソロ、次ノガクッゾ!』


 相方は、俺をやや責める様に言う。


 クソ、どうする? どうすればいい?

 いっそ、玉砕覚悟で隙を見て攻撃に転じるか?

 このまま十数分間逃げ遂せる確率に比べれば、HPが半減したルインを奇跡的に殴り倒すことに成功する確率の方が、まだマシかもしれない。


 い、いや、ヤケになるな。

 アイツに挑むなんて、炎に飛び込む虫みたいなもんだ。

 無謀にも程がある。


 ジリジリと、着実にルインが距離を詰めて来る。


『オイ、次ガ来ンゾ!』


 どこに放たれるか、わかったもんじゃねぇ。

 速さに緩急を付けてフェイントを掛ければ、ルインの本体が俺に追い付いちまう。

 かといって左右へ逃げても、その先に魔法スキルの〖ルイン〗が仕掛けられていれば、ぶっ飛ばされて、今度こそお陀仏だ。

 もし俺の〖念話〗スキルが赤蟻の女王くらい高ければ、奴の狙いを読んで、優位に動けたかもしれねぇのに!


 いや、行ける! 奴が予想していない方向に飛べば、今は凌げる!

 こうなりゃ、一か八かだ! なんでもやってやる!


 俺は頭を下げ、急降下する。

 そのまま海原へと頭から突っ込む。

 水飛沫が跳ね上がり、俺の身体は海中へと呑まれていく。

 海中を〖飛行〗の推進力のままに突き進んでいると、海上が光に包まれたのが見えた。

 俺は進路を横に曲げて移動した後、海面を突き破って再び空へと舞い戻る。


 背後へ目を向ける。

 ルインは俺を暫く見失っていたらしく、やや離れたところにいた。

 行ける。俺は、まだ逃げられる。

 本当にギリギリのところで、次の瞬間には殺されていてもおかしくないが、それでも俺は、まだどうにか生きている。


 ルインは俺を睨んではいるものの、動き始めない。

 また〖ルイン〗をぶっ放してくるつもりか……と警戒するが、どうやらその様子もない。

 なんというか、殺意とか、悪意とか、そういうものが、空になった様に急に何も感じないのだ。


 不安が大きい。

 だが、この機会を逃すわけにはいかない。

 俺は頭を前へ向け、〖飛行〗に専念する。


 さっきまで思い出していた俺への殺意が、完全にルインの破壊衝動に呑まれちまったのか?

 だが、奴の今のHPでは、王都に戻ることはできないはず……。

 いや、違う!


 俺は思い違いをしていた。

 奴の、〖ルイン〗の射程範囲が、恐ろしく長い。

 視界にさえ入れることができれば、動かない建物や、掠っただけで死ぬ街の人間くらい、簡単に消し飛ばせちまう。

 折り返し分のHPを消耗させることに成功しても、それが王都への被害を完全にゼロにできるとは、繋がらねぇんだ。


『ナンダ、アイツ、急ニ……』


 相方の不思議がる様な〖念話〗を聞き、俺は即座に身体を翻す。

 嫌な予感が的中した。ルインは、俺に背を向けて、王都の方へと向かい始めていた。


『テメェ、どうした! 俺が、イルシアだ! 忘れたのか!』


 俺は身を翻してその場で滞空し、ルインへと〖念話〗をぶつける。

 それでも、ルインの動きは止まらない。

 俺がどうすべきが戸惑った、その瞬間だった。


 俺の目前に、虹色の光の球が浮かび上がった。

 それを見て、俺はようやく、ハメられたことに気が付いた。


「ガァァッ!」


 相方が吠える。

 〖ハイレスト〗の光が、俺を包む。

 同時に俺は、再び身体の向きを返し、反対方向へと飛んでいた。

 少しでも、〖ルイン〗から距離を取らねぇといけない。


 俺の背後から、虹色の光と共に、膨大な熱量が襲い来る。

 一瞬、意識が跳んだ。

 気がついたときには俺は、海面に浮かんでいた。


 目線の先には、ルインがいる。

 ゆっくりと、俺へと近付いてきていた。

 顔いっぱいに、笑みを浮かべていた。

 最初の無感情な様子からは想像できない、邪悪な相貌だった。


 こいつは、俺への悪感情だけで、今の形態へと至った。

 奴の今の顔を見ただけで、その事実を突きつけられた。


 あの手この手で逃げ回る俺に焦れたルインは、俺がなぜルインを挑発してまで引き付けたのかを理性的に捕らえ、逃げる素振りを見せて俺の動揺を誘い、動きを止めたところを狙ったのだ。

 今のコイツは、思考する力が、ほとんど戻っている。


「イルシア……シンデヨ、ボクト」


 言語スキルを失ったはずのルインの口から、確かにそう、言葉が漏れた。


 俺は先程の光によって爛れた翼を広げ、どうにか宙に飛び上がり必死に逃げる。

 逃げながら、〖自己再生〗で修復に掛かる。

 だが、全然まともに飛べない。

 ここまで、ここまで来たのに、クソッ! クソッ!


『オイ、相方……オレヲ、落トセ。モウ、無理ダ』


 相方が声を掛けて来る。


『うるせぇ、お前は黙ってろ! そんな方法、認めねぇっつってんだろうが!』


『……ンナコト言ッテル場合ジャネェンダロウガ、オマエガオレノ案蹴ッテクレテ、チットダケ嬉シカッタゼ。ソウダヨナ、ソレガオマエダヨナ』


 相方からの〖念話〗には、場違いな穏やかさが込められていた。


『オイ相方、オイ』


 相方が、俺の顔を口先でグイグイと押す。


『今、余計なこと話してる場合じゃねぇだろうが!』


 俺が相方に目を向けて睨むと、身体が、硬直した。

 相方の相貌が、赤々と輝いている。

 ウロボロスのスキル〖支配者の魔眼〗だ。

 相手の動きを止める他、波長の合う者の動きを、ほんの僅かな間、操ることができるスキルだ。


 翼は問題なく羽搏いている。

 相方が、操作しているらしい。


『お、おい相方! 何やってんだ!』


『確カニオマエガ言ッタミテェニ、コウイウノハ、オレニハ、似合ワネェカモナ。マッタク、変ナ奴ノ相方ニナッチマッタセイデ、オレモ変ナ感化サレチマッタゼ。今ダカラ言ウガヨ、最初ノ頃オレ、オマエノコト、結構苦手ダッタンダゼ。アーア、マータ面倒ナコト考エテヤガルッテ』


 前脚が、持ち上がる。

 足先の指を大きく広げ、爪が立たせられた。

 爪の先が向いているのは、〖ルイン〗の光に焼かれ、ボロボロになった相方の首だった。

 抗おうとするが、腕が、言うことを聞かない。


『デモ……マ、今トナッチャ、コレガ最後ナノガ、本当ニ惜シイゼ。モシ生マレ変ワリガアンナラ、次モ、オマエノ横ガイイッテ思ウクライニハヨ。モシモソノトキガ来タラ、オマエ、全部片付イタラ変ワッタ喰イモンオレニ腹イッパイ喰ワセルッテ約束、忘レテルンジャネエゼ』


『た、頼む、相方、止めてくれ! そうだ、アイツのHPだって、もう、ジリ貧なはずなんだ! だから、今から死ぬ気で挑めば、もしかしたら……!』


『ジャアナ、相方。オレニ、犬死ニサセルンジャネエゾ。ゼッテェ、半端ナトコロデ死ヌンジャネェゼ』


 前脚が、振り下ろされる。

 爪が相方の首をへし折り、そのまま叩き落した。

 身体の束縛が解ける。

 俺は思わず身を翻し、その場で滞空して、相方の首を捜す。


 相方の首は、切断面から青い血を噴出しながら、海面へと落ちて行った。

 目は、安らかに閉じていた。


 だが、海面に触れるより先に両目が見開かれ、宙に留まる。

 大口を開けてルインへと吠え、首だけで、通常のウロボロスの〖飛行〗より、遥かに速い速度で、ルインへと突っ込んでいく。

 いつの日か、ツインヘッドとの戦いで見た光景だ。

 〖道連れ〗のスキルが、発動してしまったのだ。

 俺の前脚には、まだ相方の首を落とした感触が残っていた。


 俺は衝撃の余り、この光景を、ただただ眺めていることしかできなかった。


「ガァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアッ!」


 突然向かって来る相方に対し、ルインが退いた。

 奴が、気迫で圧されたのだ。


 ルインが素早く両腕を振るい、相方を掴もうとする。

 だが、その腕も、相方の速さには、まるで追いつていなかった。

 相方は腕を擦り抜け、ルインの肩へと牙を突き立てる。


「オォォオ、オオオオォオオォオオオッ!」


 ルインが吠え、苦しむ様に首を捩る。


 だが、魔力の塊であるルインに喰らい付いたせいで、相方も鱗越しに体表が破け、顔中から蒼い血が流れ始めている。

 目玉からも、涙の如く血が垂れる。


『あ、相方……俺は……』


 相方の目が、俺を叱咤する様に俺を見た。

 相方の言葉が、俺の頭を過ぎる。


『オレニ、犬死ニサセルンジャネエゾ。ゼッテェ、半端ナトコロデ死ヌンジャネェゼ』


 俺は身を翻し、ルインに背を向ける。

 悪い……すまねぇ、相方、本当に、すまねぇ。


「オォォオオォォオオオオォオオオォオオッッ!」


 発狂したかの様な奇声が轟き、虹色の光が、ルインを起点に放たれる。

 光が晴れた時、ルインの肩に喰らい付いていた相方の姿が、消し飛んでいた。

 再びルインの顔に、邪悪な笑みが宿る。


「イルジア、イルシア……イルシアアァァァァァアアアッ!」


 俺は前へ飛び、ルインから逃げる。


 相方……今まで、本当にありがとう。

 俺は、絶対、お前のことを忘れねぇ。

 例え何回、生まれ変わったとしても。


 だから、持ってくれ、身体!

 相方との、最後の約束なんだ。

 相方を、犬死になんかには、絶対にさせねぇ!

 俺もボロボロだが、今のあいつは、〖道連れ〗のダメージを受けている。

 万全じゃねぇはずだ。


「イルシアァァァァァアアアアッ!」


 俺の背後にまで向かってきていたルインが、とんでもねぇ大口を開いて、俺へと飛び掛かってきた。

 身体が魔力の塊なので変形は自在とはいえ、この姿はぞっとしない。

 俺は宙で〖転がる〗を交えつつ尾を動かし、重心を操って強引に奴の大口から逃れる。

 直前まで俺のいた空間が、魔力の塊に喰い潰される。


「イルシアァァアアアァァッ!」


 奴の両腕が、大きく持ち上がる。

 組まれた両手が、俺目掛けて振り落とされる。

 またもや俺は、寸前のところで〖鎌鼬〗を放ち、その反動で逃れ、そのまま体勢を変えて翼を広げて飛び、ルインとの距離を稼ぐ。

 勢い余って水面に叩きつけられた奴の両腕が、巨大な水柱を作った。


 ここまで来て、まだ、まだコイツを凌ぎ切るのには、足りねぇっていうのかよ……!


 俺は尻目にルインを睨む。

 俺を睨むルインの背後に、竜の頭を模した様な、黒い光が浮かんでいた。

 あれ、は……〖フェイクライフ〗……?

 相方が、自分に〖フェイクライフ〗を撃ったのか!?


 黒い光が口を開き、俺へと掴み掛かろうとするルインの肩に、喰らいついた。


「オォォオオッ、オオオォォオォォォオォオオオォオッッ!?」


 ルインがもがく。


『悪イガ、テメェナンカニャ、相方ノ首ハヤレネェナ。オレガアノ世マデ、見送ッテヤルヨ』


 黒い靄が、ルインの肩を噛み切った。

 そこを起点に、ルインの身体が裂けて、幾つもに分かれて、小さくなっていく。


「オォォオオッ、オオオォォオォォォオォオオオォオッッ!?」


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

種族:ルイン

状態:崩神

Lv :54/150

HP :8/854

MP :384/1149

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 ルインが、ついに、力尽きようとしている。

 ルインの最後、俺へと伸びていた腕が、巨大化する。


「イル、ジ、アァァァアァアアアッ!」


 俺の尾を掠めて、ルインの腕が空振った。

 その後、虹色の光が弱くなり、海へと吸い込まれる様に落ちて行った。

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