第444話

 ルインが、目のない頭部を俺へと下ろす。

 俺は警戒して屈み、臨戦態勢を取る。

 だが、ルインはすぐに別の方へと頭部を持ち上げ、上階の壁を体当たりで壊した。


 やっぱりあいつ……今や、俺に、興味がねぇのか?

 だったら、リリクシーラも生存不明の今、逃げて立て直すことができる。


 ……試しに、俺は〖念話〗を、ルインへと向ける。

 このスキルは、自分の意思を送りつけるだけではなく、相手の内心を探ることもできる。

 リリクシーラや女王赤蟻くらい使いこなすことはできないが、意思があるのかどうかを知ることはできるはずだ。


『……壊ス、壊ス……壊ス……』


【通常スキル〖念話〗のLvが1から2へと上がりました。】


 スキルを使うと、気分が悪くなってきた。

 俺は早々に〖念話〗を切る。

 やっぱし〖ルイン〗の説明通り、あいつはもう、ただの破壊衝動の塊だ。

 ロクに自我なんて残っちゃいない。


 ……だが、これは思わぬ幸運だった。

 リリクシーラは生死不明。

 もしも、他の場所でスライムの残党と戦う聖女の部下の連中が揃い、野次馬の冒険者と手を組んだら、今の死に掛けの俺ならば、狩られちまうかもしれない。


 しかし、それはあり得ない。

 頭が消えて狼狽している聖女の部下に、事態の急転に怯える烏合の衆だ。

 手を組んでの連携なんて、今すぐに取れるはずがない。

 それにルインが戻ってきたら、すべてが瓦解する。

 そんな作戦を、この土壇場で野次馬連中が受け入れられるわけがない。


 これなら、可能だ。

 俺がアロを連れ、ナイトメア、ヴォルク、マギアタイト爺を回収し、アルバン鉱山で拗ねているであろうトレントさんを回収して逃げることは、そう難しくない。

 そうだな、ここは危ないから……ミリアも、王都の端くらいには連れて行ってやりたい。


 自然と笑いそうになる。

 リリクシーラの裏切りによって潰えたかに思えたアロの無事と俺の生還が、現実的なところまで戻ってきたのだ。

 後はルインさえ刺激しなければいいだけだ。

 そのルインも、放置しておけば、いずれは〖崩神〗で死に至る。


 ルインのステータスを見て確認したところ、〖崩神〗によって、最大HP・最大MPは、毎秒ごとに1ずつ……いや、このペースだと1秒より僅かに短い。毎秒換算で1.5近くは減っている。

 奴の最大HPが高いことを考慮しても、三十分程度であいつは勝手に死に至る。


 できることならば地下に降りてリリクシーラの死体を確認するか、トドメを刺しておきたい。

 だが、リリクシーラが魔法を使える状態だったならば、今の俺は一撃で殺し返されかねない。

 それに今は、アロ達を連れて無事にこの場を離れることが、一番大切だ。


 俺は地下へと続く穴を見下ろす。

 残念だったよ、リリクシーラ。

 俺は本気で手を取り合って、やっていけるもんだと暢気に信じてたよ。

 お前は、違ったらしいけどな。

 俺が死に物狂いでスライムと戦っている間、思い通りに囮が動いてくれて、さぞかしいい気分だったろう。


 だが、裏切るタイミングを間違えたな。

 魔王を倒したと思って俺を裏切ったら、その魔王がパワーアップして戻ってきた気分はどうだ?

 くだらねぇ、反吐が出やがるぜ。

 死んだかもしれない奴に言いたくはねぇが、ザマァ見ろだ。


 俺は残った人間連中を睨む。


「う、うぐ……なぜ、こんなことに。リリクシーラ様は、万全を期したはずだったのに……」


 バレアが剣を構えるが、肩が震えている。


 リリクシーラ不在で俺に勝てるとは思っていないらしい。

 アルヒスはまだ膝を突いているが、すぐにでも立ち上がれそうな様子だ。

 やはり、リリクシーラの側近、その辺りの冒険者よりはタフだ。


『……テメェらを今すぐ喰い殺してやりたい気分だが、時間も魔力も、無駄にはしたくない。目障りだ、武器を捨ててとっとと失せろ』


「リリクシーラ様、申し訳ございません……」


 バレアが握力を弱め、剣を床に落とす。


 ルインが三十分も暴れていれば、リリクシーラが連れてきた部下の数も減らしてくれるだろう。

 上手く行けば、死に損いの聖女にトドメを刺しておいてくれるかもしれねぇ。

 城だけでは済まず、王都アルバンにまでルインが入り込むかもしれないが、そんなことは知ったことじゃない。


 俺は確かにリリクシーラの頼みを聞き、王都アルバンを守りに来た、ともいえる。

 だが、そのリリクシーラが、俺を裏切ったのだ。

 一方的に裏切って俺を殺そうとしたどころか、逃げようとしていたアロまで殺そうとしたクソヤローとの契約なんざ、うんざりだ。

 何も知らずにノコノコやってきて、瀕死の俺を狩って安全に名前を売ろうと目論んでやがった冒険者共にもほとほと愛想が尽きた。


 ……俺だって、リリクシーラが本当に、俺が安全に街に溶け込める場を提供してくれるなんざ誘いは、半分も信じちゃいなかった。

 んなもん上手く行くはずがねぇって、頭の中じゃわかってた。

 それでも世界の危機だと聞いて、命懸けで魔王を倒しに来たんだ。

 今だって、もしもリリクシーラの裏切りさえなければ、俺はきっと命懸けでルインを止めていただろう。


『……アロ、相方、こんな胸糞悪い場所に連れて来ちまって悪かった。ナイトメア達を拾ったら、とっととここから逃げるぞ』


 俺は〖念話〗で伝えながら、冒険者連中に戦意がないことを再確認するため、奴らを目で睨んだ。

 まだ上手く身体が動かない奴の方が多いらしい。

 俺を見ても、悲鳴を上げながら、身体を起こそうともがくのが精一杯な奴らが大半だった。

 血塗れのまま、必死に俺に頭を下げている奴もいた。


 一人、俺が睨んでも、無視して狂った様に泣き喚いているだけの奴がいた。

 どさくさに紛れて俺の腹を撃ちやがった弓使いだった。

 ルインの攻撃の余波で負った負傷の方が、目前のドラゴンより重要らしい。

 ここまで来ると、一周回って大物に思えて来る。


「ティナ、嘘だろ、おい! こんな……なぁ、目を覚ましてくれ、おい! なぁ!」


 ……よく見れば、腕に、ぐったりとした女の冒険者を抱いていた。

 知り合いなのだろう。

 自分の怪我も、俺の視線も、まったく意にも介していないようだった。


 ……こいつらも、全員、生きた人間だ。

 当たり前の事が、リリクシーラ憎しで、見えなくなっていた様な気がする。


 俺は首を振る。

 何考えてんだ、俺は。

 あんなもん、立ち向かってどうこうなる相手じゃねぇ。

 俺だって、やらなきゃならねぇことがあるんだ。


 スライムがああなった以上、ここさえ凌げば、あいつがこれ以上進化して俺を殺しに来ることも、魔物の王として戦争を引き起こすこともできない。

 リリクシーラとの契約もとっくに白紙だ。

 ここで俺が命懸けで踏ん張ろうが、奴が心を改めて再び同盟を結んでくれることもないだろうし、そんなもんは俺の方から願い下げだ。


 そもそも懸かってるのは、俺の命だけじゃねぇだろ。

 挑めば、俺だけじゃなく相方も死ぬ。

 アロ達だって、目を放した間に冒険者に狩られるかもしれない。

 たかだか三十分、ルインが王都で暴れるだけだ。

 それに、ルインの目が、城から街に移らなければ、被害だって、そう多くは出ないはずだ。


 だから、ここから先は、俺には関係ない。

 命張ってまで出張る理由なんざ、何処にもない。

 そう、それでいいはずだ。


 相方が、俺の顔をじっと見つめていた。

 何か言って来るかと思ったが、そのまま俺を見ているだけだった。


「オオオォオ、オオオオオオオオ!」


 そのとき、遥か高くから、ルインの声が聞こえてきた。

 街の方から、虹色の光が広がる。


 馬鹿な、あいつは、上にいるはずだ。

 あの〖ルイン〗のスキル、あんな遠隔でぶっ放すことができたのか。

 虹色の光が、一発、二発と続いていく。

 俺は牙を食い縛りながら、光を睨んでいた。

 ここからじゃ見えねぇが、街の方では、とんでもないことになっているはずだ。


『……オイ、相方、ヤルンダロ?』


 相方から、思念が届く。

 でも、こんな、スライムの自殺に付き合う様な真似は……。


『サッキカラズット、アレト戦ッテタ時ヨリ、苦シソウナ顔シテルゼ。似合ワネェ逃ゲル言イ訳バッカ、捏ネ繰リ回シテンジャネェヨ。アレト、決着ツケテヤロウゼ?』


 だ、だが……。


『ザマァ見ロダノ、クタバッチマエダノ、ラシクネェナ。見セテヤロウゼ、裏切リガ裏目ニ出テ嘆イテル賢シイ性悪女ニ、オレト、オマエノ、意地ッテ奴ヲヨ。オレラガ倒シタッテ知ッタラ、アノ性悪女、度肝抜カレルゼ。最高ノ意趣返シジャネェカ』


 ……『オレラ』、か。

 そこまで言わせといて、下がるわけにはいかねぇな。

 ありがとよ、相方。


『……オマエノオ人好シップリニャ、ウンザリサセラレテタンダガナ。イツカラ移ッタンダカ』


 相方がわざとらしく、呆れた様な表情を浮かべる。

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