第435話

 膨れ上がるスライムの身体に虹色が広がり、かと思えば色がどんどんと暖色系に寄っていき、最終的には真っ赤な怪鳥へと姿を変えた。

 鳥の首から先の部分には、頭の代わりに恒例の、人間の上体がくっ付いている。


 これが……恐らくスライムが倒した、〖命のマナ〗持ちの魔物……〖堕ちた鳳凰〗の身体を借りた姿なのだろう。

 だ、だが、スライムは、〖命のマナ〗持ちの鳳凰を、ぶっ倒せたはずだ。

 それはつまり、このスキルにも隙があるということだ。

 それを探り当て、突くことができれば……!


「……哀れだね、神様が言ってたよ。ボクはこの世界において、本当に特殊な個体らしい。鳳凰は、〖命のマナ〗を進化と同時に得る代わりに、Aランクの中でも極端にHPが低かった、それが隙だった。それでもしつこい奴だったけどね。でもね、色んな魔物の中で、ボクにだけは、弱点はないんだ。ボクだけが規格外、それはボクが、この世界の理から外れた、神様の望んだ魔物だったからさ」


 スライムの背後に、四つの真っ赤な翼が、大きく広がった。

 同時に、赤黒い炎を翼が放つ。高熱に背景が揺らいで見えた。


 わ、悪い……リリクシーラ、これ、勝てねぇわ。

 それとも俺は、捨て石だったのか?

 

 俺は無意識のままに後退していた。

 〖ダークスフィア〗連続被弾のダメージが重すぎる。

 片翼が弾かれたせいでまともに飛べねぇ、つーか腕自体上がらねぇ。

 相方の首も、大幅に根元の肉が削がれ、夥しい量の血が流れ出ていた。


 スライムが、一歩一歩近づきながら、ゆっくりと指先を俺へ向ける。

 目が合う。俺が逃げる動きを見せれば、その瞬間に攻撃に出るつもりだとわかった。


『オ、オイ、何諦メテンダヨ! ナンカアンダロ!』


 ああ、何かはあるはずだ。

 本当に〖命のマナ〗が、スライムのチート性能のせいで生まれた弱点皆無のとんでもスキルなら、もっと序盤から使ってねぇとおかしいんだ。

 俺相手に全力で仕留めに来ることもできたし、それなら〖ドラゴフレア〗の乱射で俺を近づけずに封殺できたはずだ。

 地下が崩れても、スライム体のあいつは逃げ切れるだろう。

 だから、絶対、万能スキルじゃねぇ。


 恐らく、HPとMPの両方が回復したのは、〖命のマナ〗でMPを一気に回復させた後に、他のスキルでHPを回復したからだ。

 他のリスクがあるんじゃねぇかとは思うが、スキル詳細に表示されなかった以上、突拍子もないデメリットがあったとも思えねぇ。


 気になるのは、〖命のマナ〗を発動したときに〖気狂い梟〗を三面出現させていたことだが……そこから推測して隙を突くには、あまりに俺に余裕がなさすぎる。

 事実として、スライムが回復して、俺が瀕死に追い込まれていることは、今更覆らない。 

 遅すぎたのだ。スライムの手札の数に、圧殺された。

 俺はもう、まともに動くことさえできねぇ。


「……運もキミに味方した。それでも本当に、キミにここまで苦戦させられるなんて、思ってなかったよ」


 スライムが指を下ろす。

 背後の翼の炎から、ニメートルはあろう炎塊が前に放たれた。

 炎塊は鳥を象り、翼を広げ、嘴を開いて俺へと向かって来る。


「〖聖炎鳥〗……追尾効果のある、炎の塊だ」


 俺は残った片翼で防ぐ。

 翼の体表で炎が破裂し、俺の身体全体を高熱が覆う。

 HPが、どんどん減少していくのがわかる。


「グゥウ……」


 俺は下を向き、蹲る。

 始めから、勝ち目なんかなかったんだ。


 俺にできることは、とっとと逃げることだったんだ。

 スライムのラプラスとやらが示していたのは、スライムが勝つ確率でしかない。

 奴の勝率の残りは、俺が逃げ切ることだったのかもしれない。


「ガァ、ガァアァアアアアッ!」


 相方が声を上げて吠え、首を振るう。

 そのたびに青い血が、抉れた根元から飛び散る。 

 二羽目、三羽目の〖聖炎鳥〗が、俺の身体へと飛来して弾ける。


 スライムが、腕を上げたまま、口を開く。


「ボクはただ、強くなることだけを考えて、ここまで来た。キミは随分と、余計なことをして回っていたそうだね。あまり知らないけれど、これは、その差だよ。キミが最大レベルだったのなら、ステータスの差でボクが攻めきれなくなって、決着がつかなくなっていたかもしれない。次の進化をしていれば、伝説級には達さずとも、A+にはなっていた。そうなっていれば……まぁ、仮定なんて何の力も持たないけれど、結局これは、そういう話なんだろう」


 それから、時間を惜しむ様に、ゆっくりと腕を下ろした。


「イルシア、ボクは意外と、別にキミのことは嫌いではなかったかもしれないね。どうでもいい話だけど」


 巨大な炎の鳥が、俺へと向かって来る。

 威力を重視したためか、速度はない。ただ、今の俺に当てるには、それは充分過ぎた。


 ……すまねぇ、アロ、ナイトメア、トレントさん。

 俺は、戻れそうにねぇ。

 リリクシーラや、ミリアにも謝らねぇとな……いや、もうこれは、そんな次元でさえない。

 俺が止められなかったスライムが、今後、何をしでかすのか。

 きっと、リリクシーラじゃ止められねぇ。

 リリクシーラと連携が取れてないことに気が付いた時点で、とっとと戻るべきだった。

 結果から言って、俺とリリクシーラ、どっちかが欠けたら、その時点で〖カオス・ウーズ〗は攻略不可能だったんだ。


 〖聖炎鳥〗が俺へと直撃する寸前に、一人の影が俺の前へと飛びだした。

 俺は目を見開いた。


「うぉぉぉぉぉぉおお〖破魔の刃〗ァ!」


 振るわれた禍々しい、赤黒い刃が、〖聖炎鳥〗を両断した。

 炎は破裂することなく、勢いを失って消失する。

 ヴォ、ヴォルク!?


 ヴォルクは大剣から右手を放し、握力を確かめる様に開閉し、顔に不気味な笑みを浮かべる。


「ふむ、充分だ」


 な、なんだこの剣……。

 それに俺が戦ったときより、速くなってる……?


「あまり近づかぬ方がよい。あの剣、どうやら呪われている。回復してやった私にも斬りかかってきたほどだ。〖竜狩り〗、人間より魔物に近いとは本当だったらしいな」


 俺のすぐ前、瓦礫の横にリリクシーラの付き人、アルヒスが立っていた。

 金の短髪の下から、キツい三白眼が覗く。


「竜神さまっ!」


 ナイトメアの姿は見えないが、アロまでこの場に来ていた。

 瓦礫の上を跳び、俺の側へと飛び込み、スライムの顔を睨む。


「グゥォオオオオオ!」


 俺は唸り声を上げる。


 お、おい!

 あいつは、本当に危ない奴だぞ! 早く逃げねぇと、皆殺しにされちまうぞ!


「なーんだ、びっくりしたけど、聖女じゃないのか。今更、何体雑魚が増えたところで……」


 スライムがせせら笑う。

 その笑い声を、アルヒスの声が遮った。


「貴様は、出て来るべきではなかったのだ。何人人間を呑み込み、大層な名を自称しようが、所詮はスライムか。リリクシーラ様は温存した魔力で、今なお予言を続けていることだろう。リリクシーラ様の挑発に乗ってのこのこと現れた時点で、大間違いだったのだ。貴様は、リリクシーラ様が決定的な隙を見せるまでは、動くべきではなかったのだ。リリクシーラ様がそうなさっているようにな」


 スライムの顔が、怒りに歪む。

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