第426話 side:サーマル
巨大な土球が、オレ目掛けて襲い掛かってくる。
空中のため身動きは取れない。
壁まで粘体を届かせれば逃れることはできるが、今の状況では先に土球と衝突する方が早い。
オレは粘体の粘度を下げ、衝撃を和らげる体勢に入る。
自身の輪郭が崩れていく。
避けられないのならば、少しでもダメージを軽減するしかない。
この身体は斬撃はともかく、打撃にはもっぱら強い。
土球が飛来し、全身に衝撃が走る。
オレは薄れる意識の中、〖触手鞭〗で壁へと粘体を付着させ、自分の身体を壁側へと寄せる。
そこで身体の粘度を上げて、人間を模した姿へと戻る。
地面に落下した土球が、辺り全体を振動させた。
「クソ、どこまでも悪足掻きを……!」
〖自己再生〗で身体を回復させていく。
さすがに今のダメージは大きかったが、しかし致命傷ではない。
大丈夫だ、相手の基本戦術も、系列種族も絞れた。
すぐに回復して立て直し、敵の立場で考えて生存戦略を確実に潰す。
これ以上、鬼ごっこを続けるつもりもない。
「恐らく、また糸を使って上に逃れるはず……」
オレが顔を上げたとき、禍々しい巨大な片腕を振るう、赤眼の少女の姿があった。
「うっ……」
振るわれた腕が、オレの頭部を打ちのめす。
オレは壁から剥がされ、宙へと投げ出された。
オレが〖自己再生〗に専念している間に、攻撃に出て来た。
意表は突かれた。
確かに、今は攻撃を受けたくないタイミングだ。
だが、それでも、悪手だ。
オレが意表を突かれたのは、そもそもが相手にとってそれが決して良手ではなかったからだ。
相手の決死の不意打ちの一撃も、しかしオレにとっては大したダメージではない。
ダメージを稼ぐよりも、赤眼はこの機に少しでも逃げるべきだった。
もっとも、それも今を繋ぐだけの意味しかないが、少なくとも今この場面では生きながらえたはずだった。
俺は腹部に大口を作り、息を吸い、〖病魔の息〗を放った。
くすんだ呪いの息吹が宙にいる赤眼を襲う。赤眼は顔を顰める。
アンデッドに、呪いは効かない。
そんなことはわかっている。だが〖病魔の息〗は、生物由来の物質を腐敗、劣化させる力がある。
この場合でいえば、赤眼の生命線を断つ。
赤眼の背後で、何かがぷつりと切れる。
赤眼に明らかな動揺が走った。
オレが切ったのは、仮面蜘蛛の糸だ。
赤眼の狙いは、オレを不意打ちで下に叩き落とし、自分は仮面蜘蛛の糸で安全に上へと帰還することだったはずだ。
不意の一撃ならいざ知らず、白兵戦でオレに敵うと思っていたはずがない。
「〖ゲール〗!」
赤眼が白い腕を伸ばし、風魔法を発動しようとする。
咄嗟に放つ程度の魔法でも、宙にいるオレを遠ざけ、自身の位置を動かすくらいならば、確かに容易だ。
もっともそれは、オレの邪魔がなければ、の話だが。
赤眼の手はだいたい割れている。
どういう状況へ陥れば、どういった手で対処しようとするか、それくらいを読むことは容易い。
そして、今の状況で手一杯な赤眼には、オレの妨害を予知して対策するだけの余力がない。
オレの伸ばした粘体の触手が、赤眼の肥大化した禍々しい腕へと付着した。
「おっと、どこへ逃げるつもりかな?」
「うっ……」
オレは落下しながら赤眼を引き寄せる。
赤眼は巨大腕を振り上げ、オレを迎撃しようとする。
だが、正面対決では負けようがない。
オレは赤眼の巨大腕を押さえ、逆の手で肘関節を掴む。
そして左の肩から三本目の腕を生やし、固定した腕の中央へと手刀を落とした。
骨ごと砕ける音が響く。
オレはそのまま二本の腕で引き千切り、下へと放り投げる。
トドメを刺そうと別の腕を振り上げたとき、上から土製の円盤盾が落下してくるのに気が付いた。
「……あれは、〖クレイシールド〗か」
〖クレイ〗にも、複数の種類がある。
小粒の弾丸を飛ばすことに特化した〖クレイガン〗に、球形を象った塊を射出することに特化した〖クレイスフィア〗は、通常の〖クレイ〗でも一応は再現可能だが、燃費が悪い上に精度や威力に劣る。
そして〖クレイシールド〗は、頑丈な盾を作ることに特化した魔法スキルだ。
射出して攻撃に転じることは難しいが、固いことを売りにして落下武器として扱うことは、確かに有効だ。
仮面蜘蛛、では考えづらい。ミリアのスキルか。
「舐められたものだな」
三本目の腕を上へと震わせ、土の円盤を破壊する。
あの女は広間でも接触したが、明らかに格が三つは下だ。
冒険者としてもせいぜい二流以下のクラス、オレの気を紛らわせるにも及ばない。
破壊した円盤の上、死角から、糸が放たれる。
円盤には仮面蜘蛛が乗っていたのだ。
ミリアと仮面蜘蛛に連携ができたとは思えない。
恐らく、ミリアが焦って落とした〖クレイシールド〗を見て、これ幸いと赤眼救助のために飛び乗ったのだ。
偶然の産物による奇襲。
それ故に、予測不可能だった。
糸がオレの首に巻き付く。
「ちっ!」
身を翻し、振り上げた手を下ろして糸を断つ。
下がったオレの肩へと、仮面蜘蛛が喰らい付いた。
「〖ゲール〗!」
仮面蜘蛛へと意識が向いたオレへと、今度は赤眼の魔法が襲い掛かる。
仮面蜘蛛はオレを蹴とばし、糸を用いて壁へと逃れていく。
オレは竜巻に襲われ、下階層へと突き落とされる。
下の階層では、先程の赤眼の放った土の大球が床に穴を開けており、オレは更にその下へと落とされた。
再び身体の粘度を下げ、輪郭を崩すことで落下時のダメージを和らげに掛かる。
身体全身に、落下時の衝撃が掛かる。
オレにとっても低くはないダメージ。
オレは即座に〖自己再生〗へと掛かった。
辺りを見回す。
二階層から、二つ落とされた。
ならば、ここは地下階層か。
さっきの場では、立て続けにダメージを受けた。
オレにとってもあまりよくない状況だ。
いいようにやられた。
運も、向こうに向いている。
沸々と怒りが湧いて来る。
オレはいつまで、こんな相手に手こずっているんだ。
こんなことならばスライム兵が控えている場へと誘導した方が早かった。
それをしなかったのは、そうしない方が早く済むと判断してのことだったが、これも悪手だった。
油断は早々に捨てたはずだったが、オレは楽に片が付くと、ずっと内心ではそう考えていたのだ。
次では片が付く、次では大丈夫、その積み重ねが今だった。本当に苛立たしい。
「無駄だ! どれだけやろうとなぁ、レベルが違うんだよ! いつまでも逃げられると、本気で思っているのか!」
オレは口を先に作って吠え、床に這う姿勢になる。
想定していたよりも大幅に魔力を削られた。最悪だ。
魔王様も、さぞ失望なさるだろう。
「いい加減にしろよ……クソ、ちょこまかちょこまかと……」
すぐ上へ向かおうと考えていると、すぐ前に赤眼が着地した。
〖ゲール〗の応用で落下の衝撃を殺したらしい。
「ようやく、諦めたか……クク、それとも、今のオレになら勝てるとでも思ったのか?」
「……逃げ切るのは、無理だった。だから最初から、ここへ誘導した」
「はぁ、誘導?」
確かに、妙な経路を辿ったときはあった。
だが、事前にこいつらが、城の間取りを知っていたはずがない。
聖女から流出した? それも、あまり考えられることではないのだが……そもそも、地下階層へと誘導したからといって、何かが変わるわけでもあるまい。
「ブラフでやり過ごそうとしてるのなら、無駄だ」
「……〖亡者の霧〗」
辺りが、濃霧に覆われる。
だが、相手の影は分かる。
気配遮断効果があるようだが、それも完全ではない。
すぐに、ケリを……。
「あ?」
濃霧に、無数の影が上がる。
先程落とした〖クレイ〗の塊の土を使って、人形を作っているのか。
だが、今更無意味な小細工だ。
こんなもの、一瞬で蹴散らしてやる。
オレは人間の輪郭を象り、腕を四本生やす。
腹に口を作り、腹部より触手を垂らす。
「どこからでも来い! 今のオレなら倒せるという思い上がりを砕いてやろう!」
跳んできた影を握り潰す。
襲い掛かってきたものはあっさりと地に倒れる。
しかしそれは、土ではなかった。
腐肉のこびり付いた、人間の頭蓋だ。
「は……?」
呆然とするオレの周囲に、わらわらと影が上がる。
困惑していると、今倒したはずの足許の死体さえもが起き上がった。
「まさかこれは、〖アンデッドメイカー〗!?」
上級アンデッドの一部が持つ、保有型のスキルだ。
周囲の死者を、自身の瘴気によって動かす。
一体一体が配下というよりは、武器になるといった方が近い。
この場の骸のすべてが、ただ主を補佐するための剣となる。
故に、死なない。剣は折れても振るうことができる。
剣を止めたくば、主を狙うしかない。
背後から襲い掛かってきたアンデッドが、オレの背に棍棒を打ち付ける。
オレは棍棒の一撃をもらった後に、棍棒を掴み、我武者羅に振るって周囲のアンデッド共を打ちのめす。
こっちの魔力も、いい加減かなり厳しい。
体力も全快を維持できなくなってきた。
追い込まれていることは認めよう。認めざるを得ない。
だが、勝つのはオレだ。
向こうも限界が近いのは同じだ。
あれだけ魔法を放っているのだから、当然だ。
恐らく〖マナドレイン〗辺りで蜘蛛から定期的に補給でもしているのだろうが、それでもいい加減魔力が尽きる頃合いだ。
実際、脅威と判断した風魔法〖ゲール〗も、不意打ちの一撃はそこそこだったが、後の威力は大したものじゃあなかった。
魔力に余裕がなく、出し惜しみしている何よりの証拠だ。
この〖亡者の霧〗も〖アンデッドメイカー〗も、そう長くは持たない。
そして〖アンデッドメイカー〗では、オレへの決定打にはならない。
必ず何かを赤眼が仕掛けて来る。
そこを凌げば、相手は魔力切れになってオレが勝つ。
……この骸共は、攫ってきた人間共の死体だ。
普段はギガントスライムに喰わせて処理しているが、ギガントスライムの暴食っぷりを管理するには、前もって死体を集め、定期的に与える必要がある。
だから地下には、死体の保管場があった。
そして恐らく、高位アンデッドである赤眼には、死者共の集う場所を嗅ぎ取る力があるのだ。
最初から赤眼は、オレをここへ誘導するために動いていた。
そう考えると、先の発言の意味もわかる。
城の中身なんて知らなくても、死体の山がある場所の感知はできていたのだ。
「〖ダークスフィア〗!」「シィイイ!」
唐突に声が左右から聞こえる。
深い霧の闇の中を掻き分け、二つの黒く光る球が向かって来る。
「……来やがった、か」
仮面蜘蛛と、赤眼の少女の〖ダークスフィア〗だ。
蜘蛛の方もこのスキルを使えたのか。
避けようとしたとき、土の腕がオレの足に絡みつく。
地下へと落ちていた土球の土を利用して作られたものだ。
「う、ぐ、うぐ……」
ギリギリまで出さずに、このときまで温存していたのだ。
すべては、ここで、確実に二重の〖ダークスフィア〗を当てるために。
いや、むしろ、この瞬間のためだけに、あの無謀な逃走劇があった。
抜ける間もなく、骸共がどんどんとオレへ覆いかぶさる。
「負ける、のか? オレが、こんなところで……! オ、オレは、まだ、こんなところじゃ終われないんだよっ!」
オレは一瞬の迷いの後に、身体の粘度を下げる。
骸共の合間を抜けて拘束を逃れた。
粘度を下げれば、殴打への耐性は上がる。
だが逆にエネルギー体による攻撃には弱くなる。
この場合でいえば、〖ダークスフィア〗は最悪だ。
それでもオレは、とっとと拘束を抜ける方を優先すべきだった。
判断が遅れた。それが、最悪の結果を招いた。
迫りくる黒い光が、オレを挟んで炸裂した。
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