第330話

 向かい風が心地よい。

 後ろを見れば、出てきた森が遠く、小さく見えた。

 ここまで思いっきり飛んだのは、思えば初めての事だった。


 リトヴェアル族の集落を出た俺は、行き先について何一つ決めていなかった。

 リトヴェアル族も森の外のことについては疎かったし、今思えば、アドフと話し合ったときにこっちの世界の詳しい地理やらを、もっと時間をかけて教えてもらってもよかったんじゃねぇかと後悔した。


 が、俺の今の飛行速度なら、人里を遥か高くを飛んで避けることも可能である。

 案外、移住先探しにゃ困らねぇかもしれねぇ。


 それに行き場所は決めていなかったが、一つだけ決めていたことがある。

 それは、なるべく人里に姿を見せつけながら、飛ぶことである。

 これでリトヴェアル族の集落へとウロボロス狩りが向かうことはなくなるはずである。

 一応『飢えた狩人』の獣人の剣士、ネルにも伝えてあるが、これでダメ押しになるはずだ。


 下に、街々が見える。

 人間の姿なんぞ点にしか見えないが、向こうにはこちらはどの様に見えているのだろうか。

 俺を指差して悲鳴でも上げているのだろうか。


『オイ、ソレ、落トシカケテンゾ』


 相方に言われ、ようやく俺はトレントを掴んでいる手の握力が緩んでいたことに気が付いた。

 トレントは俺の手の中で、枝をバサバサと動かして脅えている。

 わ、悪い悪い……。

 つーか、それ呼ばわりはちょっと酷くねぇか?


 相方は、なんでそれ持って来たんだとでも言いたげな目で、トレントを睨んでいる。

 俺はそっと相方から目を離して素知らぬ振りをした。


 因みに俺の頭の上には、アロが乗っている。

 手を土の肉体で補強して大きくし、鷲掴みにしている。

 もう少しスピードを出しても全然問題なさそうだ。


 仮面蜘蛛、プチナイトメアは、相方の頭に巣を張っているので大丈夫……。

 そう思いながらちらりと相方の方を見ると、プチナイトメアの姿がどこにも見当たらない。

 ……おい、相方よ、プチナイトメアはどこへやった。

 まさか喰ったんじゃなかろうな。


 相方はひょいひょいと首を後ろにやる。

 吊られて振り返ると、プチナイトメアが猛スピードで空を飛んで俺を追いかけてきていた。

 思わず二度見した。よくよく見てみれば、プチナイトメアの前方がきらりと輝いている。

 日光を反射させ、わずかに輝いているそれは、蜘蛛の糸であった。


 ……あ、あれ、落ちねぇかな。

 なんか危なっかしいんだけど……本人が楽しんでるならいいんだが、なんかメッチャ上下にブレてねぇか?

 着いたらいなかったとかやめてくれよ。


 数時間に渡って飛行を続けたところで、ようやく長い長い街々の連なりが過ぎて行った。

 今の俺なら、自力で世界一周旅行をしたって、一週間もあれば返ってこれそうな勢いだ。

 この世界がどれほどの大きさなのか、まず知らねぇわけだが……。


 街々が過ぎると、山が連なっているのが見えてくる。

 その奥には果てしない海が広がっている。

 この辺りの山ならば、俺が腰を掛けるのにもちょうどいいかもしれない。


 ……いや、ここはもうちょっと飛んで、海を越えてみるのも悪くねぇか?

 陸続きでなければ、ウロボロス騒動もまだ知れ渡ってはいないだろう。

 余計な外部からの接触を避けるためには、陸離れでちょうどいいのかもしれない。

 なんなら、孤島でも構わない。


 俺は山々を越えて、更に奥へと飛んで行った。

 また数時間が経ったところで、わずかながらに空腹を感じてきた。

 ……そろそろ本格的に探して、何もなかったら引き返すのも視野に入れる必要があるかもしれねぇ。


 そう考えながら飛んでいると、ふと違和感を覚えた。

 いや、むしろ、今までがおかしかったのかもしれねぇ。

 なにせ、はっきりと見えなかった水平線が、今になってようやくくっきりと見え始めて来たのだ。

 その原因は、更に近づくとはっきりとわかった。


 海が、途中から落ちている。

 巨大な崖になっていた。

 いや……滝とでも呼ぶべきか。

 そんなチャチなもんでもねぇ。これを示すためには、もっと新しい言葉が必要だ。


 容赦なく海水が、謎の巨大な青の穴へと落ちていく。

 穴は、底が見えない。どこまでもどこまでも大量の水が落ちていくばかりである。

 見ていると吸い込まれそうになる。

 

 俺は一瞬、頭の中が真っ白になった。


 疑問が山の様に降ってくる。

 穴の果てがどこへ繋がっているのか。

 この無限に落ちていく水はどうやって補給されて海面が保たれているのか。

 この世界の陸地が球形でないのならば、星は、重力はどうなっているのか。


 一応というべきか、巨大な滝の淵のところには、大きな島がある。

 草原に山、崖、そして巨大な木が生えていた。

 不気味なところだ。人のいそうな気配は一切ない。まさに、世界の果てとでも呼ぶべき光景だった。


 こ、ここ……本当に、大丈夫か?

 引き返した方がよくねぇか? これ、絶対まずいところだろ。

 で、でも俺……Aランクだし、大丈夫だよな?

 俺もなかなか真っ当に経験値の入る獲物がいなくなってきたし、多少は手応えのある魔物の多いところの方がいいかとは思っていたが……うーむ……。


 俺はいざというときは速攻で逃げようと決心を固めて、ゆっくりと島へと目指して高度を下げて行った。

 大丈夫だ。今の俺ならば、最悪の場合は速攻で飛んで逃げられる。

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