第329話

 俺が辿り着いた時、アロを中心に口々に騒ぎ立てているリトヴェアル族達の姿があった。

 アロは顔や腹、腕、あちらこちらの肉が削げ落ち、ひと目見て瀕死であるとわかる重症で、地面に蹲っていた。

 自己再生を続けているようではあり、削げた部分の肉が再生しつつあるものの、MPの不足のためか、その変化はゆっくりしたものだった。


 辺りの地面は抉れ、木々が倒れており、激しい戦闘があったことが窺えた。

 〖飢えた狩人〗の隊員のものらしき惨死体や、爆発鼠ことトレル・ラトンの肉片も転がっている。


 そして、アロの肩には、リトヴェアル族の槍が突き刺されていた。

 槍は地面にまで深々と貫通しており、身体が固定されている。


「何やってんだお前! 止めろって言っているだろうが!」


「なんで止めるんだよ! どう見ても、化け物じゃないか! それに見ろ! アレに足を掴まれたグランが、さっきからずっと寒気を訴えてぐったりしてる! あいつの仕業に間違いないだろうが!」


「お前も気でも狂わされたのか!」


 槍を突き刺したであろうリトヴェアル族が、他のリトヴェアル族と揉めていた。

 どちらも、お互いに今すぐ掴み掛かりかねない猛剣幕であった。


「早うバラバラにせい! アンデッドは、恐ろしい災厄を呼ぶぞ!」


 杖を持ったリトヴェアル族の老婆が、顔を真っ赤にして、何度も何度もそう叫んでいた。

 それから息を切らし、肩を揺らしていたが、老婆は俺に気が付くと涙を零しながらその場に膝を突き、平伏した。


「おお、竜神様! どうか、悪しき者を取り除き、我らをお守りください!」


 俺もどうすればいいのかわからず、半ばパニックになっていた。

 目の前で何が起きているのか、現状が上手く呑み込めない。


 そんなとき、ふとアロと目が合った。

 アロは顎付近の肉が削げ落ちており、額も何かを打ち付けたのか、大きな傷ができていた。

 ボロボロの口で寂しそうに笑い、俺に何かを訴えかける様に、ぱくぱくと口を動かした。


 『もう、満足だったよ』と、そう言ったのだとわかった。

 ただ、アロの目にはまだ未練の色が残っている。

 俺に気を遣い、このまま死ぬことで場を丸く収めようと考えているのだと、理解した。


「グゥオオオオオッ!」


 俺は考えるより先に、大声で〖咆哮〗を上げていた。

 周囲のリトヴェアル族が一斉に黙り、その場で固まった。

 それから、ようやく冷静に、物事を考えることができた。


 一番恐れていたことが起こってしまった。

 ここまで人間の身体を取り戻すのに必死に頑張って来たアロを、崩れた姿でリトヴェアル族の前へと出してしまった。

 アロはすでに言葉を喋ることもできるようになっている。

 だから、最初さえ上手くいけば、溶け込むこともできるのではないかと、そういう甘い考えが俺にはあった。


 その、一番最初で躓いた。


 今までアロに何かしてあげたいと思ってやってきた俺のすべてのことが、ただアロをいたずらに苦しめることに繋がってしまったのだと、そう感じた。


 俺はとにかく槍を咥えて引き抜き、顔をそっと寄せた。

 アロは一瞬躊躇った後、俺の顔に手を触れた。

 アロの手に光が灯り、俺のMPが微量ながらに減っていくのを感じる。

 アロの身体の再生が早まっていく。


「りゅ、竜神様……なぜ……」


 リトヴェアル族達が呆然としている中、アロが起き上がり、二度首を動かした。

 それからアロは、ゆっくりと腕を伸ばす。


「……〖ゲール〗」


 パァンとアロの足元の土が爆ぜ、砂嵐が舞った。

 これは俺も予想外だった。

 てっきりアロが急に攻撃に出たのかと思ったが、足元の土を散らし、目晦ましにしただけのようだった。


 その隙にアロはリトヴェアル族の包囲を抜け、遠くへと駆け出していた。


「な、なんだこれは!?」


 リトヴェアル族の新たな悲鳴が上がる。

 辺りに、土を固めて作られた兎の様なものが数体ほど動き回っていた。

 これはアロの〖土人形〗のスキルである。

 追われるのを警戒し、撒いていったようだ。


「アンデッドの眷属じゃ! 粉々にして、儀式で封じねばならん! 竜神の巫女を呼ぶのじゃ! 巫女を! あの裏切り者のベラはどこをほっつき歩いておる!」


 大騒ぎの中、取り押さえられていた一人のリトヴェアル族の女が、押さえていた男を振り払い、アロを追って駆け出した。

 さっきアロが誰の方を見ていたのか、それでようやくわかった。


「すまないっ!」


「うぐっ!」


 同じく取り押さえられていた男が一人、〖土人形〗騒動になっている隙を突き、押さえていた男の脇腹へと肘打ちを放ち、アロの方へと走っていく。

 アロの両親の、アイノとタタルクである。


「馬鹿! あれはもう、お前の娘なんかじゃない! 化け物なんだよ!」


 リトヴェアル族の一人が、アイノの背に抱き着いて羽交い絞めにして押さえた。

 次の瞬間、タタルクがその男の顔を殴り、アイノの手を引いてアロの後を追いかけた。


「おい、アイノ! こっちだ!」


「や、やりやがったな! おい、あの二人を誰か止めろ! 殺されるぞ!」


 肘打ちをくらい、その場に伏していた男がタタルクの背中を指差す。


「それどころではない! この眷属を早く殺すのじゃあっ! りゅっ、竜神様ァ! 竜神様ァ!」


 老婆は三体のひょこひょこと動く土兎に囲まれ、口から唾を飛ばしながら叫んでいた。

 アロの出した土兎だ。リトヴェアル族に害を与える様なことは、まずないだろう。

 俺は大騒ぎしているリトヴェアル族達を一瞥した後、アイノとタタルク、アロの後を追った。


 最後の最後で、リトヴェアル族との間に溝を作っちまったな。


 アロは、大きな川の手前側に立っていた。

 その前に、アイノとタタルクが、息を切らして並んでいる。

 アロはまだ身体中ボロボロではあったが、かなり肉体を回復させているようであった。

 少なくとも、骨が露出している部分はない。


「アロ! 本当に……アロなのよね? 何か、何か、返事をして!」


 アロは赤い眼を隠すように顔を伏せていたが、アイノから呼びかけられ、目を開けてそっと顔を上げた。


「……お父さん、お母さん」


 ぽつり、アロが呟くように言う。

 その一言で、必死にアロへと呼び掛けていたアイノとタタルクが口を閉じた。


「……私が生贄に決まった日から……二人ともずっと、竜神様の巫女のことで喧嘩ばっかりしてて……お父さん、お母さんを置いて、もう一つの方の集落に行っちゃうんじゃないかなって、ずっと不安だったの。お父さん……巫女の人のやり方が気に入らなくて、あの後、やっぱり一人で向こうに行っちゃったんだよね?」


 タタルクが言葉に詰まったように、下を向く。

 やはりタタルクは、竜神の巫女の生贄関連のことで集落に不信感を持つようになり、反竜神派の集落へと向かっていたようだった。


「でも……あの化け物がいなくなって、集落が一つに戻って……今日、お父さんとお母さんが、二人一緒に私の所に来てくれて、本当によかった。もう……喧嘩、しないでね」


「ああ、しない! 俺は絶対にもう、アロを不安にさせるようなことはしない!」


「だから、アロ、こっちに……」


 アイノがアロの名前を呼びながら、手を伸ばした。

 アロはその手をそっと取った後、惜しむ様にぎゅっと握り、ゆっくりと首を振ってから手を引いた。


「私……ここには、いられないから……。じゃあね、お父さん、お母さん。大好きだったよ」


 アロが下を向き、一歩退いた。さぁっと、一陣の風が吹いた。


 風が地表を撫で、土煙を巻き上げる。

 ぽちゃんと音が響き、土煙が晴れた頃には、アロの姿はなくなっていた。

 代わりに、アイノとタタルクの前に、白い欠片の様なものが落ちていた。

 アロの骨の一部の、欠片のようだった。

 タタルクがそれをそっと拾い、アイノに丁寧に手渡す。

 それから二人して何かを同時に悟ったように、わっと涙を流して抱き合っていた。


 二人の嗚咽の他には、川の流れる音以外に、何も聞こえなかった。


 俺はもう一度だけアイノが握りしめている小さな骨の破片へと目をやった後、川の流れに沿って下り、この森を去ることにした。

 アロの未練は、目的は、アイノとタタルクのことだったのだろう。

 二人が不仲になったため、自分の死後二人がどうなったのか、心配で心配で堪らなかったのだ。

 だとしたら、未練の晴れたアロがあの世へと帰るのもまた、ごく自然のことである。


 俺はぽっかりと胸に空いた穴を感じながらも、これでよかったのだと自分に言い聞かせながら、川を降り続けた。

 ガサガサと物音がして振り返ると、白い面の様なものが頭部に付いた黒蜘蛛、プチナイトメアがこちらへと歩いて来るところであった。


「グオオオ……」


 俺は力なく鳴き、呼びかける。


 おう……お前、来てくれたのか。

 ありがとうな。他の、アレイニー達は?


 仮面蜘蛛、プチナイトメアは、頭部を左右に揺らした。

 どうやら他の蜘蛛達は、この森に残るつもりらしい。

 魔物達にとって、生活環境は生死を左右する。

 本能としても、そう簡単に移動しようと思えるものではないだろう。

 当たり前といえば当たり前のことである。


 ふと前に向き直ると、前にあった木がこちらにくるりと振り返った。

 トレントさん! ……い、いたのか。

 そうか……お前もついてきてくれるのか……そうか……。

 ど、どうやって運ぼう。足遅いんだよな、トレントさん。

 まぁ、焦る理由もないからゆっくりいけばいいんだけど……と考えていると、枝の上に、小さな子供が座っているのが見えた。


 子供は枝の上からふわりと飛んで、俺の頭のすぐ下に立った。

 子供……というより、アロだった。

 俺は頭を降ろし、アロへと顔を近づけた。


 あ、あれ……なんで?

 成仏したんじゃなかったのか。こ、こっち来ちゃっていいのか?

 俺もう、この森を出なきゃいけねぇんだぞ?


「……私も、もうここには、いられないもの」


 アロが少し寂しそうに、森を振り返る。

 俺が申し訳なさのあまりに黙っていると、アロが焦ったようにあたふたと身体を動かす。


「でも、もういいの。ちゃんと最後の挨拶……できたから。もう喧嘩しないって、言ってくれたから」


「ほんとうはね、私も、最後にお父さんとお母さんが仲良くしているところを見られたら、もう、きっと消えるんだって、そう思ってたの。でも、もう一つだけね、やり残したことができちゃったの」


 まだ、やり残したこと?

 そ、それ……ここから離れちゃって、大丈夫なのか? 俺になんか気を遣わなくたっていいんだぞ?


 アロが手でメガホンを作り、逆の手をひらひらと動かし、俺に耳を貸すようにジェスチャーで伝えてくる。

 俺は不思議に思いながらも、そっと耳をアロへと寄せた。

 アロが俺の耳付近へと、そっと口付けをした。


「ないしょ」


 それだけ言って、白い肌にそっと朱を浮かべ、歳相応の笑顔を浮かべると、アロは俺に背を向けて、森の外側へと走り出した。

 呆気に取られて横を見ると、相方が俺を見て、ニヤニヤと笑っていた。

 俺はなんだか気恥ずかしくなって、前に向き直ってアロを追いかけた。


 しばらくアロにペースを合わせて走っていた後、ふと我に返って振り返ると、俺のすぐ後ろを走るプチナイトメアと、遥か後ろの方から必死にえっちらおっちらと追いかけてくるトレントさんの姿があった。

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