第321話 side:トールマン

 無数のラランが眩いばかりの緑の光を放ちながら、一か所へと集まっていく。

 辺りの草木は枯れ、それらに燃え移った炎は一層と勢いを増して赤々と焼野原を照らす。

 緑と赤の光が、辺りの地形を蹂躙していく。

 そして集まったラランは互いの光に呑み込まれるように形を失くしていく。

 すでに倒れた枯れ木が吾輩達を取り囲むように倒れ、火を纏っており、まともに逃げられる状態ではなかった。


 最早、何が何なのかわからない。

 ここは現実世界ではなく、冥界だとでもいうのか。


 吾輩は剣を構えたまま、呆然とその様子を見ていることしかできなかった。

 背中側から熱を感じて慌てて身体を振って火を払い、そこで吾輩はようやく我に返った。

 吾輩はそこで、兵達が剣を持つ手をだらんと地に垂らしてラランをただただ眺めているのに気が付いた。

 ぼうっとした兵共を見ておるとふつふつと怒りが込み上げてくる。


「こっ! 殺せ! なぜだかわからんが、奴らは一か所に集まろうとしているではないか! 殺せ! 殺せ! 何をしておる!」


 吾輩の声を聞いてもなかなか動くものが現れない。

 戸惑うように兵同士で顔を見合わせているばかりである。

 それがなぜなのか、吾輩にはよくわかっておった。ラランが恐ろしいのだ。


「殺せ! このままつっ立っておってはこっちの身が危ういわ! 殺せ! 奴を殺すのに貢献した者には、特別に報酬を渡そうではないか! 貴様らもわかっておるだろうが、吾輩はケチではないぞ! だから早く奴を殺せ!」


 兵の一人が吾輩の激励を聞き、そうっと弓を構えた。

 これで流れが変わってくれればいいと思ったのだが、すぐさまに弓を構えた兵を取り込むように十体のラランが現れ、飛び掛かっていった。

 それを見た兵達が、悲鳴を上げて武器を捨てて四方へと散った。

 中には火の着いた大木を乗り越えようとして、身体が燃えてのた打ち回っておる者まで出る始末である。


 そうこうしている間にも、一か所に集まって混ざり合ったラランは巨大なぶよぶよの光る塊となっており、その塊へとまたラランが集まっていく。


「わ、吾輩を連れて逃げろ! 誰か……!」


「トールマン様ァッ! こっちです!」


 見ればグローデルが、魔術師の一人の襟を掴んで走っておった。

 確かあの魔術師は、水魔法が使える奴であったはずである。

 吾輩は慌ててグローデルを追いかけた。

 身体に多少火が移ったが、今はそれどころではない。


 走りながら体を捩って岩に打ち付けたり転んだりを繰り返し、どうにか火を消してグローデルと魔術師へと追いついた。

 その頃には吾輩の衣服は黒焦げで衣服もすでに焼失し、ほとんど半裸であった。

 杖代わりの剣をしがみつくように持ちながら、よろめきながらグローデルを追う。

 なぜ、なぜこの吾輩が命の危機に瀕しながら転げ回るような、こんな惨めな目に遭わねばならんのだ。

 額から滲んだ血のせいで前が上手く見えないまま、グローデルの服をひっ掴んだ。


「…………」


 グローデルが歩みを止めた。


「ど、どうしたというのだ! 早く走らんか!」


「ト、トールマン様、あれ……」


「は、はぁ?」


 周囲からも絶望したかのようなどよめきが上がる。

 どうやら吾輩の後ろ……ラランに何か変化が起きたようである。

 吾輩は服の袖がなかったため、グローデルの衣服に目を擦りつけて無理矢理血を落とし、後ろを振り返った。


 ぶくぶくに膨れ上がっていたはずのラランはいつの間にか圧縮され、象程度の大きさになっておった。

 そしてその形は、怒りの形相を浮かべた一体の獣であった。

 身体の全身からララン同様の緑の眩い光を放っておるが、目玉だけは炎のような色をしておる。


 獣は空へと顔を向けて、


「ウオォォォォォォォオオオオオオオッ!」


 と大きな声で吠えた。

 鳴き声は森全土へと響き渡らんがばかりの勢いであり、声につられるように濃い雨雲がどんどんと吾輩達の頭上へと向かってきて、あっという間に天候が一変し、強風が吹き荒れて雨が降り始めた。


 あの獣は天変地異を引き起こすというのか。

 吾輩は思わず腰を抜かした。

 吾輩につられるように、グローデルもその場にへたり込む。


「ま、まさか、あれがカーバンクルだとでもいうのか……?」


 確かにカーバンクルは宝石のように輝く毛並みを持っており、その額には大粒の宝石が埋め込まれていると聞いたことがある。

 目前の輝く獣は確かにそれと一致している。


 ここまで大柄だとは知らなかったし、ラランの集合体であるとは思いもしなかったが、元よりカーバンクルはあまりに情報が少ない希少な魔物である。

 情報の誤差は仕方がない。

 元々幻の獣であったカーバンクルと似た外見をしていたため、あのラランの集合体をカーバンクルだと考えた奴がおった、というだけの話かもしれん。

 しかし、それよりも、大事なことは、ただ一つである。

 あの毛皮を持ち帰ることができれば、吾輩は王になることができる。


「だ、誰か! 奴を殺せ! 奴を殺せぇっ! なるべく傷はつけるな! 金はいくらでも渡す! 金はいくらでも渡すぞおおっ! いけぇぇぇっ!」


 残っていた少数の兵達が、獣へと斬りかかる。

 いけるはずだ。

 所詮、ラランなど雑魚なのだ。

 人海戦術でこっちを道ずれにしようと仕掛けてきたので、死ぬ覚悟のなかった兵達が一気に浮足立ってしまいはしたが、ああして一体に纏まった以上、冷静に対処することさえできれば……。


「ウオォォォォォォォオオオオオオオッ!」


 獣は吠えながら、両方の前足を大きく持ち上げ、その後に地面へと打ち付ける。

 その途端、距離を取っていた吾輩の所まで大きな衝撃が襲った。

 暴風に襲われたこともあってその場に転がり、泥まみれになった。

 泥を吐き出しながら獣を見れば、獣の周囲の地面が割れ、兵達がそこに巻き込まれておる。

 動けなくなった兵の頭を、獣が容赦なく喰らった。

 鮮血が噴き出す胴体を足で押し潰し、次の兵へと向かって同じことを繰り返す。


 吾輩は泥だらけになって地面に倒れながら、その様子を目にしていた。

 暴風と大雨に混じり、ゴォンゴォンと大岩の動くような音が遠くから聞こえてくる。

 まだこの上に何かが起きるというのか。

 吾輩は慌てて起き上がり、グローデルへと近づく。


「グ、グローデル! あれを倒せぇっ! グローデル!」


「無茶ですぜトールマン様! 万全ならまだしも、他の馬鹿兵共がこんな調子じゃあ……」


「吾輩は王になる男だぞ! 口答えするなぁっ! あれを倒せ! 吾輩を王にしろ! できんのなら死ね! 死ね! 死ねぇっ!」


 吾輩は唇の端が裂けんばかりに開き、グローデルへと怒鳴りつけた。

 グローデルは眉間に皺を寄せた後、吾輩の腹部を蹴りつけおった。


「ごふっ!」


 吾輩は突然のグローデルの攻撃に対応できず、剣を手放してその場に伏せた。


「下手に出てりゃ、調子乗りやがって! ウゼェんだよ! そこで這い蹲ってあの化け物の餌にでもなってやがれ馬鹿が!」


「貴様っ! 貴様ぁあっ!」


 グローデルが魔術師を連れてどんどん遠ざかっていく。

 吾輩は何をすることもできずその光景を眺めていた。

 暴風と、獣の吠える声と、地形が変動するかのような恐ろしい音……この三つが合わさって混ざり、吾輩の耳を蹂躙していた。

 吾輩は自分が雨の冷たさに震えておるのか、獣の恐ろしさに震えておるのか、もうそれさえわからんかった。


「グ、グローデル! 戻ってこい! 吾輩を助けろグローデル! グローデル!」


 吾輩の叫ぶ声はそれらの音に掻き消されたのか、さらさら聞く気がないのか、反応する者はまったくおらんかった。

 やがて近くの兵を甚振っていた獣が、ふと吾輩へと視線を当てた。

 その後、一歩一歩と吾輩に近づいてくる。


「だ、誰か! 誰か! 吾輩を助けろ! 吾輩を助けんかぁっ! こんなときに何をしておる!」


 吾輩は剣を掴み、立ち上がって獣から逃げた。

 後から獣の足音がついてくる。

 吾輩の近くに来ようとする者の姿はまったくない。

 皆、勝手に吾輩の指示もなくあちらこちらへと逃げていく。


「ハンニバル! ラパール! アラン! 吾輩を助けろ! 吾輩を助けんかぁっ! アザレア、アザレアアッ! なぜこんなときに近くにおらんのだ! 吾輩を助けろアザレアアアアッ! アザレアアアッ!」


 よろめいて転んだとき、遥か先にグローデルと魔術師の姿が見えた。


「グローデルゥウウッ! 貴様だけは許さんからなぁぁぁっ! 吾輩が生きて帰ったら、貴様には世界のありとあらゆる拷問を味合わせてやるわ! ふは、ふはは、ふはははははっ! はははははぁっ!」


 押さえきれなくなった恐怖と怒りのせいか、なぜか笑いが込み上げてきた。

 しかし、決して楽しいわけではない。

 吾輩はどうなってしまったのか。自分でももうわけがわからんかった。


 と、そのとき、木々を薙ぎ倒して突然現れた謎の球体が、グローデルと魔術師を曳き潰した。

 呆気に取られて見ておると、それは急速に速度を落として素早く止まり、吾輩の少し前で起き上がり、二本の首を伸ばした。


「ウ、ウロボロス!? アザレアめ、しくじりおったな! あの、あの馬鹿がぁぁっ!」


 吾輩は身を翻し、ウロボロスに背を向けて走ろうとした。

 その先には、先ほどの獣が爛々とした目を吾輩へと向けていた。

 吾輩は身体中の力が抜け、その場へと蹲った。

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