第312話 side:トールマン

 吾輩がグローデルと共に第四大部隊と合流してしばらく経った後に、血だらけのアザレアが、自分より背の低い獣人のガキ……ネルに背負われて、姿を見せおった。

 服の肩の部分は裂け、血がこびりついておる。

 吾輩はそれを見て、段々と苛立ってきた。


「ア、アザレア様が、魔物にやられて……あの、誰か、回復魔法を……」


 ネルが、アザレアを地に降ろしながらそう口にする。

 その歯切れの悪い物言いが、吾輩を苛立ちをどんどんと増幅させていく。

 吾輩は自らのこめかみが怒りに震えるのを感じておった。


「アザレア! どういうことか説明せい! 貴様、あのドラゴンを討伐して見せると豪語しておったではないか! ただのアンデッド如きに、なんたるザマか! 残した二人はどうした? 死んだのか? まさか、アンデッドを取り逃がしたのではあるまいなぁ!」


 叫びながら、衝動のままに剣を抜いて地面に突き立てる。

 カンッと勢いのいい音が鳴り、砕けた石の破片が飛び散る。

 そのまま刀身を晒した剣を持って、つかつかとアザレアの傍へと近づく。

 ネルの奴がまたおどおどとしておったが、アザレアが目で合図をすると、ネルの奴はアザレアを地へと降ろした。


「閣下、申し訳ございません。あまりの不甲斐ない失態に言葉もありません。この件に関しては、功績を以て弁解したく……」


「それは、予定通りドラゴン狩りの大役を任せろと!? この重要なときに、こんな体たらくでよくもまぁ……そんな腕では、剣もまともに振れぬではないか! 今の貴様に、何ができるというのだ! 貴様には期待しておったのだが、肝心なときに下等な魔物にしてやられるとはな! わかっておるのか! 此度の遠征にはなぁ、吾輩の王への道が! 我がトルヴェニツ家の名誉が懸かっておるのだぞ! 貴様がドラゴンを討伐して、持ち直して見せるというから信じてみれば……なんたることか!」


 吾輩は激昂に身を任せて剣を振るった。

 少し離れたところから様子を見ておったネルが背を屈めて割って入ろうとしてくる。

 アザレアは負傷していない右の手で近くの兵から剣を奪ってネルへと向けて牽制し、同時に吾輩の振り下ろした剣を左の手で受け止めた。


 剣身を素手で受けて無事で済むわけがない。

 我武者羅に振るった剣であり、そう力が籠っておったわけではないが、剣はアザレアの手の平を半分ほど貫通し、人差し指を斬り落とした。

 手から血がとめどなく溢れる。


「貴様……何を考えておる?」


 ネルを牽制しなければ、防ぐのも躱すのも、今のアザレアには充分できたことであろう。

 いや、ネルを牽制しながら吾輩の剣を避けることもできたはずである。

 アザレアは左利きである。剣士である以上、常に利き腕の大怪我には気を付けるのが常識。

 腕を庇って急所を斬られ、命を落とす者も少なくない。

 吾輩とて、考えなしに癇癪のままに剣を手に取りはしたが、アザレアの指を落とすつもりなど断じてなかった。


「……ドラゴンの討伐には、剣は使いません。私程度の力が通じる相手ではありませんので。そのため……此度の負傷は、ドラゴン討伐にはまったく問題のないことです」


「それを示すため、わざと……」


 アザレアは剣を地へと落とし、その場へと跪いた。


「私は、閣下が王になれるよう、最善を尽くしましょう。そのためならば、この身や命など惜しくはありません。どうか私にドラゴン討伐を命じ……トールマン閣下は万が一に備え、お逃げください」


 吾輩はしばし言葉を失った。

 さすがに、アザレアがここまで吾輩のために言ってくれるとは思っておらんかったのだ。


「……フン、ならば貴様に任せるとするかの。しくじるではないぞ」


「はっ! このアザレア、命に代えましても、必ずやあの竜の頭二つを閣下へ献上してみせましょう」


 ようやく吾輩も怒りが収まり、冷静になってきた。


「……少し、吾輩も気が立っておったようだ。おい貴様ら! 早くアザレアの手当てをせんか!」


 第四大部隊の方へと呼びかけると、白魔導士が数名慌ただしく飛び出してきて、アザレアへと駆け寄って行った。


「してアザレアよ、どのようにしてあのドラゴンを討伐するつもりだ」


 第四大部隊白魔導士に囲まれて治療を受けているアザレアへと、吾輩は尋ねた。

 アザレアは顔を上げて吾輩と目線を合わせた。


「……人質を洞窟の奥に捕らえ、ドラゴンを誘導します。ドラゴンがリトヴェアル族に固執しているのであれば……ドラゴンは、リトヴェアル族を助けに来るでしょう」


「あんな巨大なドラゴンの入れる洞窟が、近くにあるのか?」


「いいえ、ありません。ですから……使うはずです。安全に子供を連れ出そうとするならば、〖人化の術〗を……高位のドラゴンならば、まず身に付けているでしょう。しかし、あのスキルこそ弱点の塊……身体能力が大幅に落ちたところを選りすぐりの剣士で襲えば、決定打を与えることもできるかもしれません。あのドラゴンから魔力を掠め取りつつダメージを与えるには、これしかありません」


「……一見悪くないように思えるが、相手の行動に依存し過ぎではないか。そもそも、ドラゴンが蛮族のためにそうまで命を張るわけが……」


「現状をひっくり返すには、この手しかありません。なにせ……相手は、伝説の邪竜、ウロボロスです」


「ウ、ウロボロスだと!?」


 吾輩はつい大声を上げた。

 吾輩の声に釣られ、周囲の者も驚きを露わにする。


 ウロボロスと言えば、危険度Aランク指定の魔物である。

 危険度Aランク指定といえば、複数の国が手を組み、専用の騎士団を編成して数千の兵を用いて討伐に当たった例もあるとされておるほどだ。


 ウロボロスについては吾輩も詳しく知っておるわけではない。

 だが、恐ろしくタフであるという伝承は聞いたことがある。


「ええ。ですから、奴さえ討ち取れば……その時点でトールマン様の王への道は、間違いないでしょう。他の貴族達が何を持って来ようとも敵うはずがありません」


「そっ、そんな、馬鹿な! なぜアレがそうだと言える! もしそうだとして、本当に殺しきれるのか!? 何せ奴は、不死の象徴……」


「問題なのは、魔力と体力の量です。しかし、伝承は誇張されるもの……生き物である以上、必ずいつかは枯渇します。永遠に生きるなどということもあり得ません。〖人化の術〗さえ行使させることができれば……奴は、大幅にアドバンテージを失うはずです。その後は洞窟から安易に逃げられないよう、人化で身体能力が落ちている間に叩き伏せます」


 綱渡り……だが、成功すれば、確実に吾輩は王になれる。

 それに周辺の国から危機を未然に防いだとして、大いに感謝されることであろう。

 おまけにウロボロスの目玉や肉、骨を使えば、様々な魔法具を作ることができるはずである。

 吾輩の名は、たちまち世界中で騒がれることとなる。

 予想外の痛手を負ったが……成功すれば、それを遥かに上回る見返りを得ることができる。


「し、しかし、貴様……そんな腕では、剣が振れんではないか!」


「私は魔法で姿を晦まし……ウロボロスが洞窟から逃げ出してきたところを、〖人化の術〗が解ける前に、最大にまで魔力を込めた〖フレア〗の連続射出で攻撃します。鱗の薄い身体を〖フレア〗で貫けば、ウロボロスとて無事では済まないでしょう」


 た、確かに……それならば例えウロボロスであろうとも、殺しきることができるかもしれん。


「この作戦は、ネル……お前に掛かっている。一秒でも長く、ウロボロスの人間形態を足止めしろ。お前の腕ならば、ウロボロスが人化している間ならば、引き付けることができるはずだ」


 アザレアがネルへと振り返り、そう命じる。

 ネルがごくりと唾を呑み込み、俯きおった。


「そ、それって……守り神が、リトヴェアル族のために命を張るのを利用するってことですよね……?」


 その場の空気が凍る。

 伝承の魔物を殺せるかもしれんというのに、何を馬鹿なことを口走っておるのだこ奴は。

 これだからこのクソガキは嫌いなのだ。

 アザレアが妙に高く買っておるから使ってやってはおるが、はっきりと気にくわん。


「貴様、何を言い出すかと思えば! アザレアがこれほど……」


 アザレアが手を伸ばし、吾輩を制する。


「閣下、ネルは人化したウロボロスへ対抗できる、貴重な人材です。人化すれば身体能力が落ちるとはいえ、常人ならば十秒と持たないでしょう。私とて、腕があろうと何秒耐えられるか……」


「貴様はネルを評価しておるようだがな! 肝心なときに役に立たんようでは、置いていようと意味がないではないか!」


 アザレアはしばし黙った後、口を開いた。


「ネル……お前がリトヴェアル族に肩入れする気持ちもわからないではない。彼らにも風習があり、文化があり……子供がいて、親がいる。感受性の強いお前には向かないだろうと、そう判断したから部隊から抜けさせて控えに置いていた」


 アザレアは、急に何を話し出すのか。

 吾輩は思わずアザレアを睨んだ。だがアザレアは、吾輩とは目を合わさずにネルの方へとずっと視線を向けておる。


「高位のドラゴンは、頭がいい。その中でも邪竜と分類される者は、狡猾で残虐だ。人に執着することはあれど、人に愛情を持つことはない。決してない」


「え? で、でも、助けに来るってことは……」


「高位の悪魔やドラゴンが信仰を集め、人間を利用することは珍しくない。お前も、さっき見たはずだ。あのアンデッドの子供をな。ウロボロスには、強力なアンデッドを生み出す能力がある。リトヴェアル族は集落に近づいた人間を攫って生贄にしていたという。その理由も……今ならば、なんとなくはわかるだろう」


「…………そ、そんな」


「いずれあのウロボロスが勢力を拡大すれば、アーデジアも、他の周辺の国も、残らず滅ぼされることになるだろう。何万という人間が死ぬことになるかもしれんな。当然、お前が閣下からいただいた給金で養っているフェリス・ヒューマ共も無事では済むまい。それとも、本当にウロボロスが無条件に、自分よりも遥かに劣る生き物を庇護している可能性に賭けてみるか?」


「…………」


「人質は嫌か? その甘えで、被害を増大させることになるぞ。それにウロボロスからリトヴェアル族を開放することは、むしろプラスとなるだろう。生贄狩りを行わなくなれば、わざわざ周辺国がリトヴェアル族にちょっかいを掛ける理由もなくなる」


 あれほど反発していたネルがあっという間に黙り込んだ。

 さすがはアザレアである。吾輩は、ほとほといい部下を持ったものである。


「……お前が今回活躍すれば、充分な褒美を与えた後に、この『飢えた狩人』から解放してやろう。勝手にどこなりと行くがいい」


 アザレアはそう言ってから、吾輩へと確認するように目で合図をしてくる。

 元々、ネルを評価しておったのはアザレアである。それに吾輩が王になれるのであれば、そんな些事には気を留めん。

 金などいくらでも渡してやろう。


「わかり、ました……。ボクが中心になって、ウロボロスを引き付けます」


「よく言った。お前の働きには期待しているぞ、ネル」


 アザレアはそう言い、ネルの頭を雑に撫でた。

 アザレアの手が引いてから、ネルは恐る恐るというふうにアザレアを見上げた。


「持ち堪えられなくなったら、洞窟からすぐに撤退……」


 そこまで言うと、アザレアは言葉を途切れさせた。

 ネルが不安そうにアザレアへと目を向ける。


「……いや、洞窟からは、出るな。限界がくれば間合いを置き、牽制しろ」


「は、はい……」


 アザレアが言い直すことなど珍しい。

 何か、気付いたのか?

 そう考えていると、遠くから声が聞こえてきた。


「トールマン様ァ! ガキ共、情報は充分に吐いたそうですぜ! これでもう、カーバンクルは手に入ったも同然! ここから景気づけにガキを甚振って殺してやろうと思うんですが、どうですかい?」


 グローデルである。

 アザレアが動き、グローデルの前に立った。


「……生憎だがそのガキ共は、私が人質にするのでな。貴様は、とっとと閣下をお連れして安全なところまで撤退しろ」


「あァ!? カーバンクルの情報がわかったんだぞ! こんなところで退けるかよ。なんだテメ、ひょっとしてあのドラゴンにビビってんじゃ……」


 アザレアが、右手でグローデルの首元を掴んで爪を立てた。

 グローデルがその場で縮こまる。


「てっ、テメ……」


「お前はあまり信用していないが……他に、手の空いている適役もいない。だが、もしも余計なことをしてみろ。成功の可否に拘わらず、お前を必ず殺すぞ。わかったのなら、とっとと逃げる準備を始めろ」


「このヤロ、ふざけやがって!」


 グローデルが隻眼を見開いて背を屈め、袖に隠していたナイフを引き抜いてアザレアへと迫る。

 アザレアはその腕を手刀で叩き落とし、グローデルの顔面に肘を打ち込んだ。


「ぶっ!」


 後ざすったグローデルの顔へと拳を叩き込む。

 グローデルの前歯がへし折れ、地に伏した。

 アザレアはその首を掴み、持ち上げる。


「……重ねて言う。私は、お前を信用していない。余計なことは、絶対にするな。わかったか?」


 グローデルが弱々しくこくこくと頷いたのを確認した後に、アザレアは白魔法を扱える者を呼んでグローデルを治療させていた。

 グローデルもかなり腕が立つはずだが、やはりアザレアは別格である。

 ここまで差があるとは思わんかった。

 しかし、吾輩の命令なしにここまでアザレアが厳しいのも珍しい。

 よほどグローデルの気分屋なところを危険視しているのであろう。


 結局グローデルは素直にアザレアの指示に従い、吾輩はグローデルと第四大隊のメンバーの大半を引き連れて森から離れることとなった。


「アザレアよ、必ずウロボロスを殺すのだぞ!」


「承知しております……か細い綱ですが、渡り切ってご覧に入れましょう」

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