第306話 side:トールマン

「ぐ、ぐぅ……あの、あのクソドラゴンめ……! この吾輩の、吾輩の肩に傷を……ぐう!」


 吾輩はアザレアに身体を支えられながら、飛竜に乗って戦場から離れておった。

 卑怯にも、死角から放たれた遠距離攻撃……。

 デカい図体の割には、なんと卑怯な手を使うことか。

 民族が野蛮な猿ばかりならば、守り神も守り神といったところである。


「おい、アザレア! 早く吾輩の肩に〖ハイレスト〗を掛けんか!」


「急ぐ気持ちはわかりますが、ここでは少々集中に欠けます。残してきた第四大部隊と合流するまでは、お待ちください。私の未熟さのために治療が遅れ、申し訳ございません」


「なっ……そ、そこまで退くというのか! 第一、吾輩は傷さえ塞がればまだ戦えるわい! なぜこんな……」


 気にはなっておった。

 なぜアザレアは、飛竜まで持ち出して撤退をしたのか。

 何か考えがあるのであろうとアザレアがなすままにしておったが、まさかそこまで退くとは……。


 それでは、蛮族の駆除は全部アラン任せになってしまうではないか。

 この日のために武器を選りすぐりしてきたというのに、無駄になってしまう。

 吾輩の昂った気持ちも落ち着かん。


「すぐに引き返さんかアザレア! あのドラゴンは、吾輩がぶっ殺すのだ! 早く戻らねば、アランが叩き潰してしまうではないか! あやつは腕が立つが、大馬鹿であるぞ! 吾輩のために獲物を残しておくなどということは……」


 アランは絶滅寸前の巨人族の末裔であり、巨塊のアランと呼ばれておる。

 ほぼ単独で中位ドラゴンを討伐したことがあるほど腕力に優れており、単純な力勝負であれば『飢えた狩人』の中でもダントツで一番である。


「……閣下、無礼を承知で申させていただきます」


「なにぃ?」


「アラン如きでは、どうしようもございません。殿にも不十分です。せいぜい、道に置いた小石とでもいったところでしょう。だからこうして、飛竜を飛ばしたまま着地せずにいるのですから。我々と共に集落内部へと乗り込んだ第一大部隊、第二大部隊、第三大部隊は……すでに壊滅状態と考えた方がいいでしょう。他の大部隊も、いくつ無事なものか……」


「は……?」


 言葉の意味が、一瞬理解できんかった。

 第三大部隊は、少々応用力には欠けるが、突破力では全大部隊の中でもトップである。

 第一大部隊に至っては、アザレアを筆頭に総合力において秀でる猛者ばかりである。

 それが、壊滅状態など……何を言っておるのだ?


「あの素早さ、射程距離、威力……今まで私の見てきた魔物とは、比較になりません。私がゴビア男爵に仕えていたとき、リビング・マウンドの討伐に駆り出されたことがありますが、総合的に見て、あれよりも遥かに格上と考えるべきでしょう。私は魔物には幅広い知識があるという自負がありましたが……あのドラゴンが何であるのか、どうにも特定できません。あまりに、得体が知れない……」


 リビング・マウンド……生きる小さな山とも呼ばれる、土塊を蔦が覆ったような姿をしておる魔物である。

 Bランクであると恐れられてはいるが……山に籠って降りてくることがないため、国が介入して討伐に来てくれることなど、まずない。

 ゴビア男爵は数代前から鉱山を所有しておったが、リビング・マウンドのせいでまともに採掘を行うことができなかったという。


 そのリビング・マウンド討伐の指揮に当たったのがアザレアである。

 吾輩がアザレアに目を付けたきっかけでもあり、よく知っておる。

 あれよりも、遥かに格上であると……?


「ば、馬鹿なこと言うでないわ! Bランクであるリビング・マウンドよりも上の魔物など……そんな、そんな化け物が、なぜリトヴェアル族などに肩入れしておるのだ!」


「閣下、今回は……退きましょう。国へ報告すべき事案です」


「ばばっ、馬鹿な……そんな馬鹿なことがあるか! それにこの時期に、『飢えた狩人』の上位部を丸ごと失えば……吾輩の、王候補としての道は断たれるではないか! この絶好の機会を、みすみす逃せというのか!」


「いいえ! 閣下さえ生きておられれば、いくらでも好機はあります! 私もこれまで通り全力でサポートいたしますので、どうかご聡明な判断を。ここは、閣下のようなお方が命を懸ける場ではありません!」


「ぐ、ぐ……ぐ、ぐ……」


 そうは言っても、こんな絶好の機会、もう二度と回ってくるはずがない。

 それにあのドラゴンがリビング・マウンドより格上であるとはいっても、あの頃はアザレアの装備も部下も、自身の体調も、今よりも遥かに下であったはずだ。


 ゴビア男爵はアザレアの力を恐れられ、反抗する意思が芽生えぬように拷問に近い行為を行っておったという。

 元々アザレアは、ゴビア男爵領の教会司祭が邪教に被れ、孤児に怪しげな術を施していたときの生き残りなのだ。

 王家の兵が乗り込んで教会司祭を捕らえた際には、地下にはアザレアと、教会で育てられておったはずの孤児の亡骸が転がっておったという。

 アザレアの高い身体能力や、通常のヒューマには扱えないはずのフレアの魔法も、そういった背景が関係しておるのだろう。


 そのためゴビア男爵は、異様にアザレアを怖がっておったのだ。 

 名剣は三流剣士には扱いきれないものである。

 吾輩の下についてから、アザレアは当時よりも遥かに才覚を発揮しておるはずである。


 あんなドラゴンなど、アザレアが本気を出せばどうにかなるものではないのか……?

 まさかアザレアめ、死ぬのが怖いから吾輩の命を出汁に脅しを掛けて、撤退を迫っておるだけではないのか?

 おのれ……恩を忘れて、付け上がりおって……!


 ふと後方へ目をやれば、遠くに森を駆ける複数の兵の姿が見えた。

 あの真っ赤な髪……第二大部隊長の、グローデルか?

 よくよく見てみれば、どうやら所属がバラバラの兵を十人連れておるようであった。

 直属の部下はどうしたというのだ。


 奴め……大部隊長の身で逃げおったな。

 こうなれば……本当に、リトヴェアル族の巣へ乗り込んだ部隊はもう壊滅しておるかもしれん。

 いや、しかし、合流できたのは好都合である。


「おいアザレア、向こうにグローデルがおるではないか! とにかく、一度降りよ! 話はそれからである!」


「しかし……第四大部隊が控えている場所まで近くですので、どうかそれまで……」


 普段は二つ返事で言うことを聞いてくれるというのに、どうにも今は反応が悪い。

 ただでさえこっちは苛立っておるというのに!

 機転が利いて勘もいい奴だと思っておったのに、自分の危機が迫れば途端にこれか! 


「いいか? 傷が、深いのだ! 貴様が上手く対処できていれば、こんな怪我を負わずに済んだものを! このままでは、剣公たる吾輩の腕に後遺症が残るわい! 早く降りよ! いいか、これは命令であるぞ!」


「……はっ、申し訳ございません」


 飛竜が身を翻し、高度を下げながらグローデル達の許へと向かう。

 地面に近づくと、グローデルに同行している兵が、リトヴェアル族のガキを抱えておるのが目に見えた。


「へっへっ……トールマン様ァ! 奴らのガキを捕まえましたぜ! 聞いてください! こいつら、カーバンクルについて知っているそうです!」


 グローデルが、媚びるように引き攣った笑みを浮かべて吾輩へと叫ぶ。

 だから逃げた件は不問にしてくれ、とでも言いたげである。


 この馬鹿のせいで、集落での戦いの敗北は決定したようなものである。

 ……が、それはもう、いいとしておいてやろう。

 カーバンクルの情報は確かに有用である。

 持ち帰ったことは賞賛に値する。

 最悪……カーバンクルだけでも回収できれば、まだ吾輩が王になれる芽がギリギリ残る。


「チッ……この吾輩が、次善に甘んじなければならんとは! この苛立ちは、ガキ共で晴らさせてもらうとするかの」


「それがいいですぜトールマン様! 目玉くりぬいて手足を捥いで晒しもんにしてやれば、奴らへ揺さぶりをかけられますし、何より最高にスカッとしますぜ!」


 ふん、相変わらず趣味の悪い奴よ。

 ま、吾輩も……雑魚が焦燥や怒りに駆られる様を眺めるのは、嫌いではないがな。


「…………」


 アザレアが黙ったまま、グローデルを睨んでおる。


「どうした、アザレア」


「……いけるかも、しれません」


「なにぃ?」


「情報を取った後は……私にあの蛮族の子供を、預からせてもらえませんか? あれを使って……ドラゴンを罠に掛けることができれば、無力化することもできるかもしれません。ドラゴンが、本当にリトヴェアル族に肩入れしているのであれば、ですが」


「ほ、ほほ、本当か! よく言ったわ! さすがアザレアである!」


 ようやくいつもの調子が戻ってきたようである。


「私に第四大部隊か、他の部隊の残兵をいくらかお貸していただければ……。化け物相手であれば、第四大部隊に置いてきたネルも、存分に戦ってくれることでしょう。閣下は毛嫌いされておりますが、あれは本気で戦わせることさえできれば、アランを遥かに超える優秀な兵ですから」


「任せるとしよう。貴様の判断で、いくらでも連れて行くがいい」


「しかし、あまりにも情報が不足している今、危うい賭けではあります。閣下は一度……この森を離れてください。ここは、予想よりも遥かに危険すぎます。もしも万が一に閣下が亡くなられるようなことがあれば、アーデジア国の損失です」


「……まぁ、よかろう。この場はすべて、アザレアに任せるとしようかの」


 不服ではあるが……アザレアがここまで言うのは稀である。

 それだけ危険なドラゴンであることは間違いあるまい。

 アザレアの言葉を信じて、吾輩は退き、朗報を持つとするかの。


「うぉっ! お、おい、止まれぇっ!」


 不意に、グローデルが悲鳴に近い声を上げながら手綱を引く。

 乗っておる馬は速度を急速に落とした後、何かにぶつかったかのように動きを止める。

 それもグローデルだけではなく、他の者もである。

 馬は止まった後、まるで見えない縄にでも縛られているかのように、ぷるぷると身体を震わせておった。


「な……なな、何が起こっておる!」


「魔物のようです。後にあのドラゴンと戦うことを考えれば、魔力の浪費は避けなければ……」


 アザレアはそう言うと、飛竜が着地するよりも先に地面へと飛び降りおった。

 グローデルの近くに着地し、剣を抜いて周囲へと振るう。

 途端に馬がその場で暴れ出し、グローデルが地面へと投げ出された。


 遅れて、吾輩を乗せる飛竜が地面へと降り立った。

 アザレアの対処を見るに、動きを封じておったのは糸か……。

 どうやら、蜘蛛の魔物でもいるようであるな。


 蜘蛛の巣に入り込んでしまったか……まぁ、低級な魔物など、吾輩達の敵ではない。

 吾輩が降りた直後、辺りに濃い霧が広がり始めおった。


「な、なんであるかこれは……?」


 吾輩が呆気に取られていると、少し離れたところから悲鳴が聞こえて来る。


「ばっ、化け物だ! 化け物がいる! 助けっ、助けてくれぇッ!」


 下級魔物相手に何をびびっておる……そう考えておったのだが、次の瞬間、ごしゃりと何かを握りつぶすような音が声の方から聞こえてきた。

 目をやれば、小さな女の影が霧の中にぼんやりと浮かんでおる。

 ただ……その片腕だけが、奇妙に大きい。

 あまりに不気味なシルエットであった。


「な、なな……な……」


 吾輩は、手にしておった剣を、その場に落としてしまった。

 アザレアが表情を険しくし、叫んだ。


「アンデッドだ! 先手を打たれた、少々時間が掛かるぞ。グローデル! 念のため、閣下と共に飛竜に乗り、第四大部隊の方へと逃げろ! 他の奴も、馬を捨てて子供を連れて霧から逃れて閣下の後ろについて走れ! 絶対に子供を手放すな! 手ぶらで逃げたものは、今助かろうとも後々どうなるか覚えておけ! ハンズとジェイドは私と残り、アンデッドと蜘蛛の足止めと討伐に当たれ! ただ先に言っておくが、今私は、後々のために魔法は使えぬ! それを踏まえた上で立ち回れ! 長引いた場合に備え、第四大部隊と合流した後は援軍を寄越せ!」


 つ、次から次へと……この森は、いったいどうなっておるのだ。

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