第307話 side:アザレア

 霧の中に立っている少女の影は、その小さな体躯に見合わぬ大きな異形の腕を振るい、兵の一人の頭を握り潰した。

 叫び声を上げることもなかった。

 明らかに即死である。

 死ぬ直前まで自身に何が迫っていたのか知ることはなかっただろう。


 あの異形の人型の影、そしてこの瘴気の霧。

 アンデッドと見て間違いはなさそうだ。

 最悪のタイミングだった。

 ここから最善で動いての巻き返しを要されているというのに、人質とトールマン閣下を連れている状態で魔物相手の待ち伏せを受けるなど。


 蜘蛛の巣を張り、グローデルを待ち構えていたようだった。

 馬の機動力を削ぐためには確実な手法である。

 あまり考えたくはないことだが、どうやら知性もあるようだ。

 もしかするとリトヴェアル族内で特殊な儀式を行い、番人として作り上げたアンデッドなのかもしれない。


「な、なな……な……」


 トールマン閣下も今の惨劇を目にしていたらしく、声が震えておられる。

 剣が手からするりと抜け落ち、剣身が地面へと当たって金属音を鳴らした。


 とにかく現状での優先事項は、トールマン閣下の命と人質の確保だ。

 人質を失えば、はっきりいってもう打つ手はない。


「アンデッドだ! 先手を打たれた、少々時間が掛かるぞ。グローデル! 念のため、閣下と共に飛竜に乗り、第四大部隊の方へと逃げろ! 他の奴も、馬を捨てて子供を連れて霧から逃れて閣下の後ろについて走れ!」


 グローデルは腕は立ち頭も回るが、命知らずを気取っている割には臆病だ。

 危ない任務でも平然と引き受けるためトールマン閣下からの信頼もそれなりにあるが、それは度胸があるからではなく、単に危機管理能力にやや難があるからに他ならない。


 自分ならば大丈夫。

 命の危機が具体的に迫るまで、そのことが麻痺しているのだ。

 そしていざ危険を生々しく感じれば、部下に責任を被せて素早くその場から離れる。


 事実、今回も早々に戦うことを諦め、トールマン閣下から不興を買わないように手土産の用意に務めていたようだ。

 だからこそ一早く集落を脱走することができたのだろう。

 

 グローデルのこの習性は、一概に欠点であるとは思わない。

 このやり方で功績を上げて来たこともまた事実。


 しかし、いつか取り返しのつかない失敗を引き起こすのではないかと私は危惧している。

 少なくとも、今のような殿には決して向いていない男だ。

 逃走の指揮を取らせた方がいいだろう。

 こんな男に閣下の命を任せたくはないが……今はとにかく、人を選んでいられる場合ではない。


「絶対に子供を手放すな! 手ぶらで逃げたものは、今助かろうとも後々どうなるか覚えておけ!」


 捕らえているリトヴェアル族の子供の数は十人、グローデル一派の数は先ほど一人殺されたため十人。

 同数ではあるが、グローデルの手は万が一に備えて開けておきたい。

 こちらに人員を残せば、それだけ確保できない人質の数が増える。


 人質は多いに越したことはないのだが、相手の戦力もわからない状態で一人でここを引き受けるわけにはいかない。

 脅しを掛けても手ぶらで逃げる奴も出るだろう。

 そう考えれば……こちらに残せるのは、二人が限度といったところか。


「ハンズとジェイドは私と残り、アンデッドと蜘蛛の足止めと討伐に当たれ! ただ先に言っておくが、今私は後々のために魔法は使えぬ! それを踏まえた上で立ち回れ! 長引いた場合に備え、第四大部隊と合流した後は援軍を寄越せ!」」 


 今、絶対に魔法を使うわけにはいかない。

 フレアを二発撃ち込めば、確実に仕留められるだろうが……私は後々、あの蒼いドラゴンをほぼ単独で沈める必要がある。

 推定Bランク上位……最悪、Aランクまであり得る。

 おまけにもしも持久型であれば倒しきれる手段はかなり限定される。

 あまり使いたい魔法ではないが、久々にドラゴフレアを撃つことになりそうだ。

 MPを温存できれば、それだけ後の作戦の成功率に繋がる。


 しかし魔法を使えないとなると、視界の悪いこの状態で接近戦を強いられることになる。

 霧に潜んでいるであろう蜘蛛も把握できていない。

 かなり不利な戦いになる。まさかとは思うが……念のため、援軍も送ってもらった方がいい。


 今は待機している第四大部隊の中にネルがいる。

 ネルの足ならば、真っ先にここへと到着することができる。

 ネルは魔術師タイプではないので魔力を温存する必要もない。

 この程度の魔物相手に後れを取ることもないだろう。


 私の一言で、待っていましたとばかりにグローデルが動く。

 足止めに割り振られず、ほっとしているのだろう。わかりやすい男だ。


「よ、よし、わかった! さぁ行きましょうぜ、トールマン様ァ!」


 よろめく閣下の肩を支え、グローデルは周囲を警戒しながら霧の外側へと向かう。


「〖ゲール〗!」


 霧の中から少女の声が響く。

 ゲール……強風を巻き起こす魔法だ。

 魔法を唱える声には、人間にしては確かにわずかに引っ掛かりを感じるが、アンデッドにしては綺麗すぎる。


 小さな竜巻が霧を掻き乱し、地面を削りながらこちらへと向かってくる。

 私の先にいる閣下を狙ってのことだろう。


 威力が想定よりもかなり高い。

 やはりただの下位アンデッドではない。


「げ、げぇっ!」


 グローデルが悲鳴を上げる。

 単体なら充分避けられるだろうが、腰を抜かしている閣下を支えている今、対処が難しいと考えたのだろう。

 仕方ない……一度だけ、魔法を使うか。


 足に力を込めて強風に耐えながら、その場に留まる。

 剣を抜き、竜巻へとあてがう。


「〖レジスト〗!」


 竜巻は威力を失い、その場に四散する。

 〖レジスト〗は魔法を撃ち消すことのできる高位の魔法である。

 成否は使用者と相手の技量に大きく依存する。

 魔力の消費量はやや高いが、背に腹は代えられない。


 竜巻の通り道に、ぽっかりと霧のない空間が見えた。

 その隙間の先にいるアンデッドの姿が視界に入る。

 大きな爪のついた禍々しい腕を持ってはいるものの、その先にいるのはごく普通の少女の姿に他ならなかった。


「なっ……!」


 しかし、あれがただの人間であるはずがない。

 ただの人間が、あのように身体を変形させられるわけがないのだから。

 レヴァナ系統のアンデッドであるはずだが、あそこまで精巧に人型を模していることを思うに下級リッチクラスである。


 しかし下級リッチなど、そう簡単に現れるものではない。

 リッチに関する研究は禁じられているが、不死を求めてその研究を行った権力者やら魔術師は、歴史上数えれば切りがないほど存在する。

 そのほとんどが誤って命を落とすか、ただ本能のままに蠢くアンデッドに成り果てたとされている。


 アーデジア国でも、進化を重ねれば人間に近い姿になると信じ、五十年掛けて恋人を世にも恐ろしい化け物へと変えた錬金術師のベルミレンなんかが有名な例である。

 蘇りの魔法など、そう簡単に制御できるものではない。

 恐らく、最初の魔法から不完全な掛かり方をしていたのだろう。

 百年以上昔の話ではあるが、当時は国を揚げての大問題になったとされている。


 だが不可解なことに、幻覚魔法でもなさそうだ。

 あの魔法特有の違和を一切感じない。


 あれほどの人の姿を得て、知能も魔力も有しているとなると……ただの未開の部族にできることではない。

 ただ、容易にそれを可能にする魔物が世に存在していた例もあるという。


 幾つもの頭蓋を併せ持つアンデッドの王、スカル・ロード。

 冥界の番人と呼ばれることもある、大悪魔サリエル。

 そして生死を司る双頭竜、ウロボロスである。


「まさか、あのドラゴンが……」


 どれも伝説クラスの魔物である。

 もしもあのドラゴンがウロボロスならば……この集落で起きている、妙な違和感にも納得がいく。

 伝説通り、生死を操ることができるのであれば、この集落でなく世界のどこで信仰を得るのも容易なことだろう。


 後にそんな化け物が控えているのなら、これ以上は絶対に魔力を使うわけにはいかないが……ここも、楽に突破できるとは思わない方がよさそうだ。


 いるはずの蜘蛛の位置も把握できていないのが痛い。

 この濃霧の中では、不意を突かれかねない。


 しかし霧を脱そうとすれば、その間に奴は閣下を追うだろう。

 地の利で大きく劣り、魔法の行使もできない。

 おまけに大した部下もいない……だが、この程度の危機なら何度も潜ってきたつもりだ。


「隠れている魔物に注意しつつ、アンデッドを取り囲め! だが、臆病にはなりすぎるな! 好機を逃し、不用意な隙を生むぞ!」


「はっ、はい! アザレア様!」


「しょっ、承知しました!」


 ハンズとジェイドの声が聞こえて来る。


 二人にはあまり期待はしていない。

 視界が危うく、仲間が殺された直後だ。

 この状況では普段通りの実力も発揮できないだろう。

 ただ、霧に隠れた伏兵を暴き、アンデッドの意識の分散をすることができれば、それで充分だ。


 レジストを使えばそれだけで完封が狙えるのだが……今は、ハンズとジェイドにレジストの代わりになってもらうしかない。

 レジストの半分でも役に立ってくれればいいのだが……。


 剣を構え、改めて濃霧の向こう側にいるアンデッドの姿を視界に収める。


 アンデッドといえど、頭部と胸部を潰せば無事では済むまい。

 間合いに入り込み、一瞬で仕留めてくれる。

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