第295話

 周囲のリトヴェアル族の様子を窺う。

 大半の者はどうしていいかわからず狼狽えているばかりだが、一部のリトヴェアル族は期待の入った目で俺を見ていた。

 やはり、マンティコアを倒した功績が印象を手伝ってくれているようだ。


 それに引き換え、ナグロムは苦虫を噛み潰したような顔で俺を見ている。

 明らかにナグロムよりも、それ以外の説得の方が簡単そうなんだがな……。


『アノジジイ、気絶サセトカネ?』


 相方が話しかけてくる。

 多分それやったらようやく落ち着いたこの場がパニックになって、ベラ挟んで対話とかやってる場合じゃなくなるからやめてくれよ。

 多少苛立っても、抑えてくれ。

 こっちは協力を頼む立場なんだから。


 ベラがナグロムに頭を下げ、前に出てくる。

 槍を構えた男が二人、ベラの両側に立つ。


「竜神様……あの、これどういう……竜神様?」


 バロンが、不安げに俺へと尋ねてくる。


「……テイ、レス」


 ベラが目を閉じて呪文を唱え、俺へと杖を向ける。

 前も、同じ呪文をヒビが唱えていたのを覚えていたので、〖念話〗なのだろうと検討がついた。


 ベラさんよ……通じてるのなら、俺の上にいるバロンへ、俺が交渉に来たということを伝えてくれ。


 俺が念じると、ベラはやや顔を険しくした後、ナグロムの方を向いて確認を取るようにこくこくと頷いた。

 ナグロムは腕を組んで突っ立っていたが、ベラからの確認の〖念話〗を受け取ったのかぴくりと瞼を動かし、やや笑みを浮かべた。


「……竜神は、交渉に来たことを、ワシらから貴様に伝えよと言っておる。つまり……貴様は、何も知らずに連れてこられたようだな」


 振り返ってバロンを確認すると、顔を青くしていた。


「恐らく何らかの事情で巫女が動けなくなって、向こうの奴らとの意思疎通に難が生じておるようだな。それでベラを奪いに来たと、そういうことか。なるほどな、竜神がわざわざ我らの元へ乗り込んできながら、穏健派を気取っておる理由がわかったわ」


 は、半分は当たってんな……。

 別にすぐ教えるつもりのことだったからいいんだが……巫女が不在っつーのは、本来ならば敵状態である反竜神派にはあんま知らせちゃいけねぇことだわな。

 ナグロムが笑ったのもバロンが顔色を悪くしたのも、そういうことだろう。


 にしても……どうにも、不穏な受け止められ方をしているようだな。


「ナグロム様? 何かおわかりになったのですか?」


 ナグロムの護衛の一人が、ナグロムへと声を掛ける。


「ああ、すべてわかったぞ。前回マンティコアを倒しに来たときから、おかしいと思っていたのだ。恐らく……向こうの集落で、竜神の巫女の血が途絶えたのだ。穏便にベラを回収するため、我らに恩を売ろうとしてマンティコアを倒し、日を置いてから交渉に来たのだろう。奴らを引き連れていないことが、その何よりの証拠よ!」


 ナグロムが声を張り上げ、他のリトヴェアル族達へと告げる。


 す……筋は通ってるっちゃ、通ってるが……こっちの話聞いてくんねぇかな。


「ベ、ベラ様を奪いに来たのか?」

「じゃあ、最初からそっちが目的で……」

「でも……進化のせいか、明らかに今までの竜神より力があるぞ。暴れられたら手のつけようがないんじゃ……」


 段々、雰囲気が悪くなっていく。

 護衛達の槍を握る手にも力が込められる。


 あのジジイ……憶測で適当抜かしてヘイト煽りやがって。

 さっさと伝えとかねぇと、とんでもねぇことになりそうだな。


「グゥウ……」


 俺は唸り声を開け、ベラの注意を自分へと向けさせた。


 こっちが頼みたいのは、外敵の対処への協力要請だ。

 外から来た人間が、リトヴェアル族を狙ってやがるみたいなんだよ。

 さっさと手を打たねぇと、こっちの集落にまで首突っ込むかもしれねぇぞ。

 俺のせいで対立してんのはわかってっが、今は手を結んでもらえるとありがてぇ。

 そうじゃねぇと、こんままだと共倒れになるかもしれねぇぞ。


 ……伝わった……よな?

 どうにもベラはあまり〖念話〗のスキルLvが高くねぇのか、少々苦戦しているようだった。

 しかし意味を呑み込めると、思わぬ危機が迫ってきていることを知ってか、顔に驚愕を浮かべて目を開けた。


「そ、そんな……」


「おい、ベラッ! 何を聞いたのだ?」


「外の人間が……」


「ワシにだけ伝えんか、馬鹿者!」


 ベラはナグロムに怒鳴られると、慌てて再び呪文を唱え直して〖念話〗状態に入った。

 ……んな悠長なことやってる余裕ねぇんだけどな。


「な、何を聞いたのですかベラ様!」

「半端に止められてはその……余計に気掛かりといいますか……」


 護衛や逃げそびれたリトヴェアル族など、その場に居合わせた者がナグロムとベラへと訴え始めた。

 ナグロムはそれにはまったく意識は裂かず、ベラからの〖念話〗を受け取っているようだった。


 ……間に余分に人を挟むの、やめてくんねーかな。

 時間掛かるし、伝わり辛くて誤解招くだけだと思うんだが……。

 この爺さん、わざと話を進ませねぇようにしてんのか?


「うーむ……しかし、それが本当だと、信じる根拠に欠ける」


 ぼそりとナグロムが呟いた。


 ……こっちはその気になりゃ、武力行使でもどうにかできるってわかってて言ってんだろうか。

 俺が敵意持ってたとしても、こんな回りくどい嘘吐く意味はねぇんだが。


「ベラもそう思わぬか?」


「え? し、しかし……本当だとしたら……手を組んで対処に当たらざるを得ないのでは……」


「本当だとしたら……な。ベラを誘拐しても、ベラが従わなければそれまでのこと。だからどうにか、我らからベラを取り上げる術を模索しているのやもしれぬ」


 そこまで言うと、ナグロムは不安そうに見守っている他のリトヴェアル族達の方を振り返る。


「貴様らはいいのか? およそ血の通っていると思えぬ、邪竜の指図、身勝手に振り回されて……それが嫌で、我らは奴らの元を出て来たのだ! 今もまた都合よく、力を見せつけて脅しを掛けて、ベラを攫いにきておる! 今までベラを裏切り者だと罵っておいて、この手の平返しよ!」


「き、危機の内容を教えていただかぬことには……」


「貴様があそこを抜け出してきたのは、そんな生半可な気持ちであったのか? もう一度問うぞ! また竜神の言いなりに戻るか? おお? 竜神が今になってマンティコアを倒したのが我らに交渉を持ちかけるためだとしたら、もっと早くにマンティコアを処分できていたのに、あえて放置してこちらへ嗾けていたに違いあるまい!」


「う、うう……」


 あ、あんな言い方しなくても……。

 まさか、あのナグロムのジジイ……長の地位から、降りるのが嫌なんじゃねぇのか?


 今回反竜神派が竜神派の窮地を助ければ、そのまま和解に繋がる可能性が大きい。

 元より、対立の原因になっていたマンティコアも竜神も、既にいなくなっている。


 集落が統合されれば、ナグロムは不要になるだろう。

 前にナグロムの屋敷に行ったとき……でっけぇ屋敷の中に、若い女を何人も住まわせてたな。

 随分と長の権力を満喫しているご様子だった。


「しかし、竜神が暴れでもしたら……こうまで力関係が明白になってしまった以上、ひとまずは全面的に向こうの要望を吞むしか……」


「そう思わせるのが向こうの手であろうに。力関係を示しておきながら、低姿勢でしか出られないのだ。そこに付け入る隙はある。……そもそも要望を呑むにしろ、打てる手はいくらでもある」


 ナグロムが、声量を落としてベラへと言う。


「き、貴様……!」


 バロンが憤るが、ナグロムは完全にバロンを眼中に入れていない。


「さて……そろそろ、話を再開してやろうではないか」


 ベラが再び呪文を口にし、目を閉じる。


 くそっ……あんまし時間掛けてもいられねぇのに。

 本当は〖MP自動回復〗で戻った魔力は、また集落に戻ってから〖ハイレスト〗を使って回るようと、敵の迎撃に残しときたかったんだが……最悪の場合は、〖人化の術〗で説得に掛かるしかねぇか。


 いや……ナグロムより先に、ベラを懐柔に掛かってみるか?


 まだ情報が不完全で虫食い状態だが……ベラの様子を見て、竜神について腑に落ちなかったことが、おぼろげながらに全体の輪郭が見えてきた。

 俺の仮説が当たっていて、ベラを納得させることができれば、ナグロムが何を言おうが、そのまま仲間に引き入れられるはずだ。


 ただ、これは賭けだ。

 外せば一気に信用を失う上に、当たったとしても、この重要なタイミングでリトヴェアル族全体がパニックに陥る可能性もある。

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