第285話
俺は竜神の前へと降りる。
アビスの死体を何体か踏みつけたが、とりあえず気にしないことにした。
最初に出会った頃なら近づいてきただけで発狂もんだったのに、やっぱ慣れって怖いわ。
アロが地面に気を付けながら、俺の背から飛び降りる。
俺はちらりと、崖に空いている大量の穴を睨む。
穴は大小様々だが、ほとんどはアビスがギリギリ通れそうな程度のスペースしかない。
人間でもやや屈まなければ入れない。
ヘビーアビス用なのか、やや大きめの穴もある。
あれならば、〖人化の術〗を使えばどうにか入れそうだ。
狭すぎてまともに戦えなさそうだし、そもそも光がねぇという欠点もあるが。
とりあえずは、アビスが出てくる様子はない。
「…………」
アロは、落ち着かなさそうにそわそわとしている。
アロはこれから集落に戻るつもりでいるんだろうか?
そんなことを、少しもやもやとした気分で考えていた。
『進化、サセネェノ?』
……ああ、相方よ、いつも通りに頼む。
俺が心中で答えると、相方は頷いてからアロへと顔を向ける。
「ガアァッ!」
相方が一声鳴くと、黒い光がアロを包んでいく。
〖
黒い光から、ジジジ、ジジジジジジと、何かを焦がすような、奇妙な音が鳴り響いた。
嫌悪感をそそられる音だった。
俺は不安になって、つい一歩前に出る。
ボワっと黒い光が広がり、思わず目を瞑った。
目を開けると、黒い光が空気に混じり、薄くなっていくところだった。
光の中からすぅっと白い手が伸びる。
土、ではない。少なくとも、見ている限りはそういった感じはまったくしない。
血の気は感じないが、すべすべとした少女の腕だった。
やがて黒い光が完全に晴れる。
ぱっちりと開かれた、魔力の滾りを感じる紅い瞳が俺を見る。
髪質も肌質も、目の色も受ける印象も全く違うが、顔の輪郭、背丈の高さ、髪の長さ、どれをとってもアロと全く同一である。
確かに前回の進化形態の容姿の面影を残していた。
間違いなく、アロである。
アロは俺の驚く様子を見てから瞬きをし、それから恐る恐ると自分の腕を見る。
自分の肌を手で触れた瞬間、身体をぷるぷると震わせ、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
自分の身体を抱きしめるかのようにしながら、嬉しさのあまりか、泣きだしそうな表情を浮かべていた。
ついに、ついにここまできたのだ。
生気の感じない生白い肌と、通常よりもやや瞳の大きい紅眼はやや通常の人間から外れているようには思えるが、これまでのアンデッドアンデッドした姿からは全く異なる。
とりあえず、種族情報のチェックから入る。
【〖レヴァナ・ローリッチ〗:C+ランクモンスター】
【土を自在に操り、仮初めの肉体を造り出す。】
【生者に強い執着を持っており、誘惑して愚かな人間を誘い出すことが多い。】
【気が付いたときには、そこはもう〖レヴァナ・ローリッチ〗の狂気の宴の中である。】
C+、か。結構ランクも上がったな。
この調子だと、次はレヴァナ・リッチになるのか。
……なんか不穏なんだけど、大丈夫だよな? アロはアロだよな?
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
名前:アロ
種族:レヴァナ・ローリッチ
状態:呪い
Lv :1/65
HP :138/138
MP :38/154
攻撃力:88
防御力:76
魔法力:151
素早さ:65
ランク:C+
特性スキル:
〖グリシャ言語:Lv4〗〖アンデッド:Lv--〗〖闇属性:Lv--〗
〖肉体変形:Lv5〗〖死者の特権:Lv--〗〖土の支配者:Lv--〗
〖悪しき魔眼:Lv1〗
耐性スキル:
〖状態異常無効:Lv--〗〖物理耐性:Lv3〗
〖魔法耐性:Lv4〗
通常スキル:
〖ゲール:Lv6〗〖ポアカース:Lv4〗〖ライフドレイン:Lv3〗
〖クレイ:Lv6〗〖自己再生:Lv3〗〖土人形:Lv5〗
〖マナドレイン:Lv5〗〖未練の縄:Lv1〗〖亡者の霧:Lv1〗
称号スキル:
〖邪竜の右腕:Lv--〗〖虚ろの魔導師:Lv6〗〖朽ちぬ身体:Lv--〗
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
れ、Lv1でこれかよ……。
え、強くね? C+ってこんなもんなのか?
これちょっとレベル上げたら、俺なしでもアビス乱獲できるぞ。
〖マナドレイン〗を上手く使えるかどうかがキーになってくるだろうが。
……つーか、なんか不穏なスキルぽんぽん生えてるんだけど。
〖土の支配者〗はいいとして……〖死者の特権〗、〖悪しき魔眼〗、〖未練の縄〗、〖亡者の霧〗、〖朽ちぬ身体〗……。
え、これ、大丈夫……だよな?
何で何ができんのか、さっぱりわかんねぇけど……。
俺がステータスを見て頭を抱えている間に、アロは立ち上がっていた。
じーっと俺の目を見る。
なんだと思いきや、俺の目を通して自分の顔を確認しているようだった。
眼球に映りこんだ自分の姿を見て顔色を輝かせ、俺の顎の部分に抱き付いてくる。
く、擽ってぇ。
俺が反射的に首を上げると、アロは俺に腕を伸ばし、やや頬を膨らませる。
俺は前足で顎に触れ、アロの感触を思い出す。
完全に、人間の肌の、柔らかい感触だった。
熱はほとんど感じなかったが、肌の質は間違いなく人間そのものである。
土から作ったとはまるで思えない。
アロはふと、俺越しに竜神の骸へと目を向ける。
竜神の骸には、黄色いぶよぶよした糸と、アビスの幼体の死骸、体液塗れになっている。
……落ち着いて見てみれば、このぶよぶよしたものは泡巣に似ているような気がする。
泡巣は、魚やカエルなんかの卵を守る、半透明のうにゅうにゅした奴である。
幼体が近くにいたことからも、恐らくこの黄色いぶよぶよは元々は卵が入っていたのだろう。
幼体が育つ間の餌になったりもするのかもしれない。
いや、あんまし考えたくねぇけど。
俺が竜神の骸の方に身体を向けると、アロが竜神の骸の前へと移動した。
アロはじっと竜神の骸の観察した後、今度はまた俺を見上げる。
てっきり俺を訝しんでいるのかと思ったが、そういうわけではなさそうだった。
「……かわいそう」
ぽつりと、アロがそう洩らした。
俺はアビスに蹂躙された竜神の骸を見てから、頷いて肯定を示した。
俺は大きく息を吸いながら喉奥に魔力を溜め、竜神の骨に向かって〖灼熱の息〗を吐き出した。
猛炎が、竜神に絡みついてたぶよぶよした糸やアビスの幼体の死骸を焼き尽くしていく。
ごうごうと音を立て、その内に骨に残っていた腐肉だか土だかわからない汚れは焼けてなくなった。
やや焼けた跡のある、綺麗な骸だけが残った。
アロは綺麗になった竜神の骸に近寄り、そっとその頭を、優しげに撫でた。
「……ありがとうございました、竜神さま。ゆっくり、お休みください」
声もガラガラではなく、滑らかに発せられた。
アロも骸を見て、昔竜神様と讃えられていた双頭竜であると察したのだろう。
俺はただ、その様子をじっと見守っていた。
……べ、別に、嫉妬なんかしてねぇし。
「……あの、竜神、さま?」
少し疑問符の残りそうな言い方で、アロが俺を見る。
なんとなくバツの悪さでたじろいでしまう。
別にアロの目に、疑りや敵意はない。
元々、竜神が代ごとに変わっていたことは、薄々リトヴェアル族の大半が察していたことなのかもしれない。
今となってはだが、竜神の巫女のヒビも、極端に俺に対して突っ込むようなことを、何も訊いて来なかったような気がする。
つっても疑問は残るし、いったいヒビが俺をどういう目で見ていたのか、若干怪しい部分もある。
俺が気まずげに顔を背けた、そのときだった。
急に嫌なざわめきがした。
「グォ……」
俺が鳴いたその瞬間、巣穴から一気にアビスが零れ落ちてきた。
首をぐるりと回して周囲を確認した次の瞬間、巣穴の一つから大量のアビスがごちゃ混ぜになって押し出されてきた。
ひっくり返り、腹を上に向けて蠢ているアビスもいる。
な、なんだ……何が起こったんだ?
アビスを押し出したその奥から、青黒い謎の図太い触手が伸びてきて、アロの身体を弾いた。
一瞬だった。
とんでもねぇ素早さだ。
意識が逸れていたことはあったが、それでも俺が完全に反応が遅れた。
俺は慌てて地を蹴って飛んで追いかけ、壁に叩き付けられる前に尾で包んでアロを回収する。
そのまま止めたら衝撃でアロが潰れてしまいそうだったので、尾で円を描くように回して勢いを殺した。
「あう……」
アロが呻く。
打撃を受けたらしい横っ腹の服が裂け、肉が大きく抉れている。
血こそ出ていないが、抉れ飛んだ白い肉片はなかなかグロテスクだった。
直撃をもらっておらず、弾かれた衝撃も殺したのにこの威力である。
俺もこれはちょっと、余裕ぶっていられねぇかもしれねぇ。
巣穴からずるずると伸びる、謎の触手。
アビスよりも遥かに大きい。一体この巣穴、何が潜んでいやがる……。
「ウヴェェェェエェェエエッ!」
甲高い爆音が響き渡る。
それと同時に、触手の出ていた壁の付近ががらがらと崩れ始めた。
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