第281話

 アビスが崖底へと降りて行ったのを見届けてから、俺はアロ達を振り返る。

 アイコンタクトで確認を取ってから、俺も続いて崖の中へと降りた。


 崖の壁はほぼ直角レベルの斜面になっているので、爪を立てて慎重に降りた。

 蜘蛛達はこういった地形は得意らしく、すいすいと崖壁を自由自在に這い回る。

 レッサートレントも、慎重に根を張りながら移動している。


 と、アロが見当たらないことに気が付く。

 降りられなかったのかと思い、俺は足取りを止めた。

 アビスゾンビは待ってはくれないが、ここまで来たらもう道案内は必要ないだろう。


 恐らく、ここを降りていけばすぐにアビスの巣が見つかるはずだ。

 と、死角から、ガツンガツンと音が聞こえてくる。


 振り返れば、アロの背から三本目の腕が生えていた。

 三本目の腕は、アロの首と同等の直径を持っており、指先には凶悪な鉤爪がついていた。


 服を傷付けないためか、着崩して肩を露出させている。

 元々衣服はよれよれの拾いものだったため、ちょっと伸ばしてずらすくらいは容易だ。

 そしてずらして空いた隙間から、三本目の腕を伸ばしている。

 なかなかグロテスクな光景だった。


「…………あ」


 アロは目が合うとぴくりと肩を震わせて声を漏らし、動きを止めた。

 服、というよりは、背中の大腕を見られたのが恥ずかしかったのかもしれない。

 あまり人型から崩した身体は見られたくはないのだろう。


 俺は何事もなかったように、前を向き直す。


「ヴェ、エエ、ヴェェエエ……」


「ヴェエ?」「ヴェア!」

「ヴェエェエ?」


 と、俺達よりも大分下の方で、アビスゾンビとアビスが顔を突き合わせていた。

 アビスは三体いる。


 どこから現れたのかと驚き、周囲を見る。

 アビスの隠れやすそうな、捻れた硬い木が崖壁に幾本も生えている。

 ここはアビスの巣だということを思い出し、俺は気分を入れ替える。


 ガツンガツンガツンガツン、ズガガガガガガガガガガッ!

 凄まじい音が鳴り、俺は思わず振り返ってしまった。


 と、再びアロと目が合う。

 どうやらアロはずり落ちそうになって、どうにか爪を突き立ててしがみつこうとしたところだったようだ。


「――――!!」


 さっきの今で俺が急に振り返ったから、驚いたのだろう。

 アロの身体がぴくりと揺れ、爪先が崖壁から離れた。アロの身体が宙に投げ出される。

 俺は慌てて翼を広げ、アロを受け止めようとした。

 だがそれより先に、レッサートレントの背に腹部を打ち付け、アロの落下は止まった。


「…………」


 ジトッとした目で、アロは俺を見る。


「グォオ……」


 俺は謝罪の意を込めて鳴き、頭を下げた。

 アロはレッサートレントの背に被さっている態勢のまま慌ただしく首を振り、ぱたぱたと手足を動かす。

 俺を責めるつもりはなかったのだろう。


 それからアロはレッサートレントの背に乗って降りると決めたようだった。

 背中の大腕が、ずるずるとアロの身体に戻っていく。

 やや緩んだ衣服を引っ張り、着直していた。


 ひと段落ついたところで、俺は前を向き直す。

 そういえば、アビスが……!

 アロに気を取られて、いきなり警戒を怠っていた。


「グォ?」


 アビスゾンビは、俺の方を向き、折れた牙を突き出していた。


「ヴェハッ! ヴェ、ヴェヴェッ!」


 ぺっと、体液を吐き捨てる。

 その様子から、好意的でないことだけは充分に察した。

 それと同時に悪寒を感じ、俺は振り返る。


 俺が降りてきた崖の縁に、アビスが並んでいる。

 アビスは等間隔に並んで列を成している。

 嫌な予感がし、首をぐるりと回す。


 四方から、わらわらとアビスが現れては列になっていく。

 隙間は大きいが、囲まれている。

 ざっと見たところ、軽く五十体はアビスがいる。

 幾百の脚が蠢き、不快な音を立てる。


 包囲されている。

 こっちから襲撃して、もし余裕がなければさっと逃げるつもりだったのに、気が付いたら包囲されていた。

 おまけに、こんな足場が悪いところで、である。

 最初にアビスゾンビが敵対的だったときに、もう少し気を付けておくべきだった。


「ヴェェェッ!」「ヴェ!」「ヴェアッ、ヴェッ!」

「ヴェエ!」「ヴェア!」「ヴェエェエ!」

「ヴェエェェッ!」「ヴェェ、ヴェェェェェエェ!」


 不快な鳴き声が、何重にも重なり、思考を掻き乱す不協和音となる。


 すっかり油断してしまっていた。

 格上の俺に飛び込んでくる今までのアビスの行動から、さほど賢くないだろうとタカを括っていた。

 やられた。そもそも、格上に飛び掛かってくるのは、卵を産み付けるアビスの習性のためであったからだというのに。


 これまでの行動から察するに、アビスは一体一体の死は、重く考えていないのだ。

 最終的に種が繁栄できればそれでいい、赤蟻タイプの魔物なのだろう。

 これまでのアビス戦が余裕だったので、考えが甘かった。


「ヴェ、ヴェェェェエエ、ヴェェェェェエェッ!」


 ガツガツと折れた歯を打ち鳴らして挑発するのは、アビスゾンビである。

 奴が恐らく、俺がここへ向かっていることを知らせたのだろう。

 途中で、俺は何度もアビスを追い払った。

 あのときに伝えたのかもしれない。

 おのれ、一瞬育てようと思った自分が憎い。

 

 アビスゾンビはくるりと俺に尻を向け、仲間達の方へと這っていく。

 ……が、その足取りが不意に止まった。


 俺も離れていたところから見ていて、なんとなく察した。

 アビス達の目が、異様なまでにアビスゾンビに釘付けになっているのだ。


「ヴェ……?」


 アビスゾンビが後退った瞬間、五体ほどのアビスがばっと飛び掛かった。


「ヴェェェェェェエェエッ!」


 断末魔の鳴き声が響く。

 アビスゾンビの残骸が、奈落の底へと落ちていく。

 アビスは仲間の死骸を喰らっていたが、仲間のゾンビも喰らうらしい。


 しかし、アビスゾンビを憐れんでいる場合ではない。

 気を抜けば、俺達もあのアビスゾンビの二の舞となってしまう。


「ガァッ!」


 俺は壁を蹴っ飛ばし、翼を羽ばたかせ、滞空した。

 あんな足場が悪い状態で、アロ達を守りながらこの数は相手にできない。

 敵にも仲間にも悪いが、安全圏から戦わせてもらおう。


「ガァッ!」


 俺はやや高度を下げ、アロに向かって吠えた。


 アロが飛び降りてくる。

 俺は壁に寄って、アロを背で受け止めた。


「……ッ!」


 よし、これでアロを補佐にアビスを狙い撃ちできる。

 欲をいえば全員回収して一旦逃げ出したいところだが、パニック状態の蜘蛛を全員回収しながら逃げ続けるのは難しい。

 どっちにせよ、アビスの大群を減らす必要がある。


 と、考えていたら、俺目掛けて何かが飛んできた。


「キキ!」


 ……アロに便乗して、変なのが落ちてきた。

 プチナイトメアである。

 糸を使ってか、ワイヤーアクションさながらの動きで飛び込んできた。

 ……いや、お前は蜘蛛の指揮を取ってほしかったんだけど。


「ヴェエエェッ!」


 がばっと足を開いてダイブしてくる三体のアビスを尾でぶん殴り、反対側の壁まですっ飛ばす。

 いくらなんでも、テメェらは乗せねぇよ!?


 ぶっ飛ばしたアビスを見れば、瀕死ではあるがピクピクと蠢いている。

 ……結構タフなんだよなぁ、あいつら。

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