第266話

 俺は集会所へと走り、そのままアビスが開けた穴へと首を突っ込んだ。

 天井が崩れ、落ちてきた瓦礫が容赦なく頭に降り注ぐ。


 中には、十体以上のアビスが身を寄せ合っていた。

 床に設置された鉄の扉の上で犇めいている。


 恐らく、あれが地下への入り口だ。

 アビスが張りついているということは、誰かがあそこから中に入るところを見たのだろう。

 端的に言って地獄だった。


 アビスは這いながら、地面に歯を突き立ててている。

 床が削れ、穴ができ始めて行く。


 ふと脳裏に、さっきアビスが地下から這い出て来たことを思い出した。

 こいつら、多少なら穴も掘れるはずだ。

 このままだと、アビスが地下集会所に雪崩れ込んじまうんじゃねぇのか。


 時間は掛けてらねぇ。

 俺は首だけではなく、前足も集会所へと突っ込んだ。

 否応なしに相方も首を突っ込んで集会所に顔を出した。

 集会所全体が大きく揺れる。


「ガァァァァァァァアッ!」


 アビスの犇めく集会所を見て、相方が叫ぶ。

 俺だって叫びてぇけど、今はそんな余裕もねぇ。

 と思ってたら、三体のアビスが俺の顔へと突進して来た。


「ヴェェエェエッェェエェェッ!」


 アビスの大きな口が開く。

 濁った粘液が顎の上下で伸び、独特の臭いを放つ。


「グゥォオオオオオオオッッ!」


 無理っ!

 無理無理! あれ無理だろ!


 三体に続き、他のアビスもこちらへと標的を移す。

 続いて大口を開けて突っ込んでくる。

 五、六、七……ええい、数えてられねぇ。


「グゥォッ!」


 前足を振り上げ、上体を集会所へ完全に突っ込む。

 そのまま右前足と左前脚、各々で別のアビスを爪で叩き潰す。

 トドメを刺すことよりも、とにかく移動できなくすることを優先する。


 前方のアビスが三列に分かれ、俺の顔へと飛び掛かってきた

 俺は心を無にし、一体のアビスを牙で噛み砕いた。


 口の中に、生暖かい感触が広がる。

 まだ、脚が動いている。

 喉の奥から嫌悪感が込み上げてくる。


「ヴェッ、ヴェヘッ! ヴェッヴェッ!」


 俺は激しく咳き込み、口からアビスの破片を飛ばす。

 考えるな、今は余計なことは考えんな。

 どうでもいいことだろ、アビスの触感なんざ……


「グゥオ……オオ……」


 は、吐き気が……吐き気がする。


 横を見ると、相方はアビスを頭突きで叩き落としていた。

 ……俺もああすればよかったか。

 あれ、アビスは三列に分かれてたのに、一体消えた……?


「ガァァァッ!」


 相方が、俺へと頭突きをくらわしてきた。

 不意だったこともあり、かなり力の籠った一撃だった。

 視界が明滅する。 


「グォォッ!」


 てぇ、顎潰れるかと思った!

 俺はそのまま仰け反り、天井に頭を打ちつけた。

 鈍い音が響く。


 そのとき、俺の頭に乗っていたらしいアビスが床へとボテっと落ちた。

 と、飛び乗ってやがったのか。

 相方はこれを落とすために頭突きをかましてきたのか。

 助かったが、勇者戦以来の大ダメージを受けた気がすんぞ今ので。

 気持ちはわかるんだけどよ、いや。


 俺は腹部を晒しているアビスを、前足で体重を掛け、勢いよく踏みつけた。

 もちろん嫌だが、これで中途半端に生かす方が嫌だ。

 確実に仕留める。


「ヴェアッ!」


 床が窪み、アビスの身体が潰れる。

 アビスが短い悲鳴を上げる。


【経験値を144得ました。】

【称号スキル〖歩く卵:Lv--〗により、更に経験値を144得ました。】


 腕が、アビスの体液でネチャネチャになった。

 ちっと痺れる。確か、こいつの体液は痺れ毒があるんだったか。

 ……それ以上は、なんも考えたくねぇ。

 水浴びしてぇ。


「ヴェェェッ!」

「ヴェェェェッ!」

「ヴェァアァアァエェエ!」


 他のアビスが俺へと襲いかかってくる。

 もう、もうこれ以上は無理っ!

 俺が身体を引っこ抜くと、集会所の本格的な崩壊が始まった。

 壁や柱が倒れ、土煙が舞った。 


「ヴェェェェッ!」


 アビスが、俺が退いた穴から逃げようと猛ダッシュする。

 落ちた瓦礫の一つが、アビスの背を捉えて弾き飛ばしたのが見えた。

 あっという間に瓦礫に埋め尽くされていき、何も見えなくなった。


【経験値684を得ました。】

【称号スキル〖歩く卵:Lv--〗により、更に経験値を684得ました。】

【〖ウロボロス〗のLvが68から69へと上がりました。】


 ……集会所の、底は抜けてなさそうだな、よし。

 これ、最初からアビス集ってるの見た時点で破壊した方がよかったかもしんねぇな。

 そっちの方が、色々と苦しい思いしなかっただろうし。


 しかし経験値から逆算するに、死んだのは四体前後か……。

 つーことは、まだまだ来るぞこれ。


 俺が身構えたのとほぼ同時に、瓦礫の山から何体ものアビスが這い出てくる。

 瓦礫によって負傷状態となっていたため、狩るのは容易かった。


 一体、


「ヴェェェッ!」


 一体、


「ヴェェェエェッ!」


 また一体、


「ヴェェェエェェッ!」


 確実に〖鎌鼬〗で潰していく。

 あっという間に新たに七体のアビスの死骸ができあがった。

 三体目のアビスを倒したときに、またLvが70に上がった。


 最後の一体を〖鎌鼬〗で切り刻む。


【経験値を186得ました。】

【称号スキル〖歩く卵:Lv--〗により、更に経験値を186得ました。】

【〖ウロボロス〗のLvが70から71へと上がりました。】


 レベリングの効率はいいな、本当、無駄に。

 もう絶対会いたくねぇけど。

 一生分アビス倒したけど。

 上半身がアビスの体液塗れで、なんかもう、本当に辛い。


【称号スキル〖害虫キラー〗のLvが5から6へと上がりました。】

【称号スキル〖勇者〗のLvが4から5へと上がりました。】


 ……勇者が上がったつーことは、だいたい片付いたと思っていいのかな。

 まだ気は抜けねぇけど……とりあえず、あの瓦礫を片付けて出れるようにだけしておくか。


 俺は自分で壊しちまった集会所の残骸を前足で退かし、地下への扉を露にした。

 ……うし、床の無事確認。

 よかった、よかった。いや、マジでよかった。

 これでアビスとお別れできたらいいんだがな。


 地下への扉が開き、中からヒビが顔を覗かせた。

 下は階段になっているようだった。


 ヒビは俺を見るなり、そそくさと仮面を付ける。

 別にあれ、いらねぇんだけどな……まぁ、形式は大事なもんか。


 ヒビはいつも通りブツブツと呪文を唱え、俺に問い掛けてくる。


『竜神様、アビスは……』


 二十匹近くくらいは倒したぞ。

 もういなくなったんじゃ……とは思うが、確信は持てねぇ。

 気配を消すのがあいつらは上手いからな。


 続いて、先ほど運び込まれていた外からやってきたらしい軍服の男が、リトヴェアル族の男に支えられながら階段を上がってくる。

 包帯代わりか、薄い布が手足に巻かれている。


「デレクさん、アビスはひとまず逃げて行ったそうだ」


「…………」


 軍服の男はそれを聞き、ほっとしたように息を吐き、階段に座り込む。

 運ばれて来たときは錯乱状態だったが、いくらか落ち着いているようだ。


 デレク、と呼ばれていた。

 リトヴェアル族を蛮族呼ばわりして騒ぎ立てていたので、まともに会話するのは難しそうな雰囲気だったが、名前はどうにか教えてもらえたようだ。


 デレクは俺を品定めするかのような目で睨み、立ち上がった。

 彼を支えていた男が手を伸ばすのを払い退け、森の方へと歩きだした。


「おい、もう出るのか? その怪我じゃ、またアビスの餌にされてしまうぞ」


 デレクは、声を掛けられたのも無視して去ろうとした。

 が、すぐによろめき、その場につんのめった。

 ヒビが面をずらして顔を晒し、デレクの傍へと駆け寄って行く。


「あと半日なり、休んで行かれたらどうですか? 武器も失くされたのでしょう。それでは、この森は抜けられませんよ」


「…………」


「お仲間の方の捜索でしたら、こちらで手伝わさせていただきます。もっともアビスの多い時期ですので、あまり広範囲は難しいですが……」


「……あいつらは、無事だ」


 デレクはぽつりと、思い出したようにそう零した。

 ようやく喋ったか。


「そうですか。それは何より……」


「俺を真っ先に置いて、とっとと逃げやがった。まともに戦いもせずに……あいつは新入りだから、欠けても構やしないって……」


 声を震わせながら言い、その場に顔を伏せて蹲った。

 お、おう、思ったよりヘビー……。

 肩がぴくぴくと震えている。

 あれ、泣いてるんじゃなかろうか。


 ヒビはデレクを慰めるように優しく背を擦っていた。


 ま、まぁ、あの人のことはリトヴェアル族に任せよう。

 俺はパトロールに行ってくるとするかな。

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