第259話

「ゲ、ゲバ……」


 マンティコアが退く。

 だが、この奥は行き止まりだとタタルクに確認済みだ。

 マンティコアがここを出たいのならば、俺を突破するしかねぇ。


「りゅ、竜神だと! そ、そんな馬鹿な! なぜ、なぜ竜神がここにいる!」


 尻目で背後を確認すると、ヤルグが槍を俺へと向けていた。

 タタルクの持っていた槍だ。

 ただ声も腕も震えており、急にこっちへ襲いかかってくることはなさそうだ。


「ガァァァ……」


 相方が睨むと、槍を取り落としてその場にへたり込んだ。


「あ、ああ……ああ、何が、どうなっている……」


 ……あんまし怖がらせてやんなよ。

 座り込むより、もうとっとと逃げてほしいんだけどな。


 タタルクもヤルグ同様、目を見開いて俺を見つめているばかりだった。


 とと、後ろにばっかり注意を向けているわけにもいかねぇ。


 俺はマンティコアへと意識を向け直す。

 マンティコアは動きを止め、足で地面を踏み鳴らす。


「ゲバァッ!」


 洞穴内に砂嵐が吹き上がる。

 灯りがヤルグの持ってきたカンテラしかない、ただでさえ視界の悪い暗闇の中だ。

 おまけに風は、音さえも掻き消していた。


 〖砂嵐〗のスキルだろう。

 砂漠の魔物に使われた同種のスキルよりも威力が強い。

 スキルLvのこともあるだろうが、狭い空間だからこそ勢いを調整しやすいのかもしれねぇ。


 まだ逃げるか、俺を倒すかを考えているようだ。

 俺は〖気配感知〗でマンティコアの位置を探る。

 マンティコアの気配が俺の前方で左右に移動した後、動きを止めた。


 残念だったな、マンティコア。

 お前に俺のスキルが見えてたら、こんな手は取らなかっただろうに。


 マンティコアが、俺の左斜め上へと一気に跳ね上がった。

 とはいえ、ご自慢の脚力も先ほどの相方の一噛みで大分弱らせている。

 この程度の速さで、おまけに〖気配感知〗で位置が割れてる状態じゃあ俺は抜けねぇぞ。


 俺は身体を翻し、宙にいるマンティコアを尾で叩き伏せた。


「ゲバァッ!?」


 地面に衝突したばかりのマンティコアを相方が噛んで持ち上げ、首を撓らせて右側の壁へと叩き付ける。

 俺は目前に来たマンティコアを、頭突きで追撃した。


「ゲォッ!?」


 マンティコアは腰から地面に落ち、そのまま頭突きの衝撃で転がって行く。


 追撃のために前に出ようとしたが、マンティコアの目が俺の背後へと向けられていることに気が付いた。

 俺の後ろにいるのは、ヤルグとタタルクだ。

 不穏なものを感じ、俺は足を止めた。


「ゲバゲバゲバァッ!」


 マンティコアは体勢を持ち直して踏ん張りながら、尾を前へと回した。

 尾の先端は、針玉になっている。


 まさか〖針千本〗とやらのスキルか。

 マンティコアの目線からいって、狙っているのは背後の人間だと見て間違いないだろう。

 距離が開いている今尾を出したということは、遠距離スキルだということだ。

 となると、考えられる〖針千本〗攻撃方法は一つ。針の射出か。


 俺は翼を大きく広げた。

 マンティコアの尾先の何十という針が、一気に放たれる。

 俺は翼をはためかせて風を起こし、その風に魔力を乗せる。

 〖鎌鼬〗が、針の軌道を逸らした。

 すべての針は、俺とマンティコアの間に力なく落下した。


「ゲ……ゲ、ゲバ……」


 人間を狙って俺の気を逸らさせるつもりだったみてぇだが……残念だったな。


 ここまでみてぇだな、さすがのマンティコアも。

 ステータスじゃ、こっちの方が格上だ。

 問題の速さも、真っ先に足へ攻撃を加えて潰しておいた。

 〖ステータス閲覧〗があるから、マンティコアのスキルも全部俺の手の上だ。

 おまけに、これ以上の隠し玉がないということがはっきりしている。


 マンティコアはゆっくりと起き上がり、息を荒くしながら俺を睨む。

 ぐるぐると黒目を周囲に走らせる。

 何か使えそうなものがないか、探しているんだろう。


「ゲバ…………ゲバ…………」


 こんな袋小路に住み着いたのが運のツキだったな。


 マンティコアは、壁に体当たりを始めた。

 洞穴全体が大きく揺れる。

 まさか、今から壁に穴を開けて逃げようとでもいうつもりだろうか。

 んなもん、この土壇場で成功するわけがねぇだろうに。


 俺はマンティコアへと突進し、大きく前足を持ち上げた。

 これでもう、終わりだ。


「ゲ、ゲゲ……」


 首を飛ばしてやろうと腕を振るった瞬間、マンティコアの身体が小さくなっていく。

 あっという間に茶髪の女の姿へと変化した。

 咄嗟に爪の軌道を逸らしてしまう。

 地面に前足の爪が突き刺さった。


 こ、こいつ、この土壇場で〖人化の術〗使いやがった。

 慌てて逆の前足を持ち上げたが、その前足も宙で止めてしまった。


『オイ、何ヤッテンダ!』


 相方の思考が飛んできて、俺は冷静に戻る。

 前足に力を込めようとした、そのときだった。


「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ……」


 マンティコアは腕で顔を覆い、謝罪の言葉を繰り返し始めた。

 その姿は、あまりにも弱々しく見えた。


 こいつは、長らくリトヴェアル族を苦しめてきた人喰らいの化け物だ。

 直接害した以上にも、竜神の不審感を煽って集落に軋轢を生んで二分したり、生贄を強いたり、好き放題やって甚振ってきた。

 アロだって、こいつに殺された。


 なのに、今更こんな……卑怯じゃねぇかよ。

 そう頭を納得させようとしても、前足が動かない。


 マンティコアの人間形態は、女型にしては背丈が高いものの、華奢な印象を持っていた。

 今が弱っていることもあってか、人喰らいの魔物からあまりに乖離していた。


 振り切れない。腕が金属にでも変質してしまったかのように重い。


『オイ、シッカリシロ!』


 俺はつい、腕を降ろしてしまった。

 その瞬間を待っていたかのように、マンティコアが顔を上げる。


 人間形態ではあったが、人の成す表情ではなかった。

 悪意を詰め込んだような、そういう笑いだった。

 細められた瞼の狭間からは殺気の眼光が漏れている。

 大きく裂けた口は、すでにマンティコアが人化を解き始めていることの証明に他ならなかった。

 口許からはだらりと舌が垂らされていた。


 牙が、どんどん大きくなっていく。

 マンティコアは負傷していない方の足で地面を踏ん張り、俺の喉元目掛けて跳び上がった。

 速い。

 この一撃に余力をつぎ込んだのだろう。


「ゲバゲバゲバゲバゲバァッ!」


 嵌められた。

 そう理解したときには、マンティコアの牙が俺の首に突き立てられていた。

 俺の顎のすぐ下に、マンティコアの牙が深々と突き立てられる。


「グゥ……」


 頭が、痺れる。

 そういや……〖麻痺噛み〗のスキル、持っていやがったな。

 くそっ! 不意打ち騙し打ちが得意だって、ステータスや今までからもわかってたことじゃねぇか。


 マンティコアの姿がどんどんと魔物の形を取り戻していき……完全に戻ったとき、マンティコアの身体が俺の喉元から離れた。

 相方が、マンティコアの喉元に喰らいついて引き離したのだ。

 相方の首の方までは麻痺が回っていなかったのだろう。


 マンティコアが、喉から血を噴き出しながら宙を舞う。

 腹を上に仰向けに転がった。


 相方がぺっぺと血を吐く。


『イツモ甘過ギンダヨ、オ前ハ』


 ……わかっては、いるんだけどな。

 お前がいてくれてマジで良かったよ。


 俺はマンティコアに噛まれた部位を押さえて流血を妨げながら、〖自己再生〗で貫通された体表を回復する。

 すぐに傷口は塞がり、痺れていた感覚も遠のいていく。


【特性スキル〖麻痺耐性〗のLvが5から6へと上がりました。】


 俺はマンティコアへと目をやる。

 マンティコアはガチガチと牙をゆっくり打ち鳴らし、それから完全に動かなくなった。


【経験値を2044得ました。】

【称号スキル〖歩く卵:Lv--〗により、更に経験値を2044得ました。】

【〖ウロボロス〗のLvが61から65へと上がりました。】


 久々にまとまった経験値が入ったな。


【称号スキル〖勇者〗のLvが2から4へと上がりました。】


 おおう、飛び級したか。

 マンティコア、俺が見てきた中じゃ、ステータスでいえば大ムカデを超える最大級の脅威だもんな。


【通常スキル〖星落とし:Lv2〗、〖くるみ割り:Lv3〗が〖天落とし:Lv3〗へと変化しました。】

【通常スキル〖地返し:Lv1〗を得ました。】


 え?

 こ、これ、勇者の持ってたスキルじゃね?

 いいのか、俺がもらっちまって。

 大丈夫? 性格悪いの移ったりしねぇよな。


 ふと、勇者と戦ったときのことを思い出す。

 後半戦、勇者が虫の塊を召喚したとき、確かあいつはこんなことを言っていた。


『ふっ、ふふ、ふふふ……僕を、本気で怒らせてくれたな。もう、いい。この国ごと、呪い殺してやる。〖ホーリー〗を持っている僕以外、誰も助かりゃしない。お前も、アドフも、馬鹿司祭も、あの獣人も、全員苦しんで死ね! お前が、しつこく僕を追いかけ回したのがいけないんだ。地獄で後悔すればいい』


 ……口振りから察するに、〖ホーリー〗というのは呪いを解除できるスキルなのだろう。

 もしも〖勇者〗の称号スキルで覚えられるのだとしたら、厄介な〖竜鱗粉〗によって振り撒かれる呪いを制御できるんじゃねぇのか?

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