第236話

 俺は駆け去って行ったマンティコアを視界から外す。

 癪ではあるが、今はあいつの思惑に乗ってやるより他ねぇ。


 振り返って、あいつの崩していった瓦礫の山に目を向ける。

 この中に子供が囚われたままになっているはずだ。潰されてなきゃいいんだが……。


 前足で、慎重に煉瓦を掻き分ける。


「グォオオッ」


「う、うう……」


 俺が呼びかけると、呻き声が返ってきた。

 良かった、まだ生きてるな。

 ここにいるのか。

 俺は丁寧に崩れた煉瓦を取り除く。瓦礫の狭間に肌色が見えた。

 俺は相方にちらりと目をやる。


「ガァッ」


 相方が吠えると、光が瓦礫の下敷きになっている子供を包む。

 怪我が塞がって行く。子供の苦し気な表情がいくらか和らいだ。

 俺は前足で子供を持ち上げて移動し、地面の上へと寝かせる。


 子供が、薄っすらと目を開ける。

 目に涙をにじませ、頬が仄かに赤らんでいた。

 なんというかこう、心酔しきった表情をしていた。


「あ、あ、ありがとうございます……竜神様……」


 ついじんわりと、こっちの涙腺まで緩くなってくる。

 前足で目を擦ると、わずかに手が濡れていた。


「竜神様が、人に化けていたマンティコアを追い払ったぞ!」


「見たかあのマンティコアの逃げっぷり! さすが竜神様だぁ!」


 様子を見守っていた村人達が集まってくる。

 避難していた村人も話を聞きつけたらしく、大慌てでこちらへ向かってくるのが遠くに見えた。


 や、やだ。

 そんな目で見られることってなかなかなかったから、なんかこそばゆいぞ。

 竜神様どんだけ人望あるんだよ。

 もう俺竜神でいいか。いいよな。

 うわ、どうしよこれ、本物の竜神様帰って来たらマジでどうしよう。


 ヒビが俺へと近づいてくる。

 また杖を掲げて目を閉じ、小さく呪文を唱えている。

 〖念話〗か。俺、普通に喋ってもらってもわかるんだけどなぁ……。


『まさか、あの旅の者が魔物であったとは。私の不覚です。竜神様が戻っていらっしゃらなければ、どうなっていたことか……』


 それよりも、仕留めきれなかったのが不安なんだけどな。

 あのマンティコア、また戻ってきて人間を襲うんじゃあ……。


『その心配ならば、大丈夫でしょう。あのマンティコア、とても脅えていました。竜神様を警戒し、しばらくこちらには姿を見せないはずです。それに、あの方向も……こう言ってはなんですが、丁度よかったかもしれません』


 丁度いい?

 そりゃなんで……。


『……竜神様にお伝えするほどのことではありません。何にせよ、しばらくは警戒する必要はないはずです』


 ……そう言われっと、余計に気になんだけど。

 ま、まぁ、いいか。リトヴェアル族にもリトヴェアル族の都合ってもんがあるんだろ。

 ヒビもあまり喋りたくなさそうな顔をしている。


 しかしあの崩れた建物……なんか、俺なら簡単に建てられそうだな。

 手先はちょっと不器用になっちまったが、なんていっても俺デカいし。

 割と粘土感覚で一件建てられちまいそうな気がする。

 俺のヘマで崩しちまったところあるし、建て直すか……いや、いやいや、ちやほやされていい気になってる場合じゃねぇ。


 俺は軽く自分の頬を前足で張った。

 すかさず相方が回復魔法を撃ってくれる。

 ありがたいけど、別にダメージはほとんど入ってねーよ。


 森奥にワイトとトレントを放置したままだ。

 このまま建物建てるのに協力ーなんて、暢気なこと考えてる場合じゃねぇ。一旦帰らないとな。

 結構時間が経っちまってる。


「竜神様を持てなす準備をしろ!」


「は、はい! 食糧は、どの系統の……」


「ありったけだぁ! 事後承諾で掻き集めろ!」


 村人達がぎゃーぎゃーと騒いでいるのが見えた。


 ちょっと待って! 俺帰るから!

 悪いけど俺、用事あるから! 気持ちはすげー嬉しいんだけども!

 ヒビさんちょっと! 悪いけど俺帰るって伝えて!


「おおっ! 竜神様が俺を見たぞ!」


 皆、俺の一挙一動に大騒ぎしていた。

 なんか落ち着かねぇ。変な汗掻いてきたぞ。

 あっちを見てもこっちを見ても、熱の籠った視線が俺へと向けられている。


「ガァア……」


 相方もすっかり委縮して首をすぼめている。

 普段能天気で好奇心の塊みたいなこいつがここまでビビってんの、初めて見たかもしれねぇ。


 ……一人だけ、目を細めて俺を睨んでいる女がいた。

 歳は三十代……に、入っているか入っていないかといったところか。

 表情は暗く、頬がこけていた。やつれた顔をしている。本当は俺の予想よりも若いのかもしれない。


 全員が全員暖かな目をしているもんだから、すぐ目についた。

 思わず俺は顔を止めてしまった。

 俺と目が合うとバツが悪そうに視線を逸らし、逃げるように近くの建物へと入って行った。


 皆が騒いでいる中一人去っていったその女へ、他の者達は怪訝気な視線を送っていた。


 な、なんだ?

 俺、なんかまずいことしたか?


『……気を悪くしないでください。彼女には、後で私から言っておきますので。それでどうか、お許しを』


 ヒビが俺の心の上辺を読み取ったのか、そう〖念話〗を送ってきた。

 俺が怒っていると思ったのか〖念話〗に勢いがなく、不安そうな思いを感じる。


 いや、それはいいんだけど……なんか、俺まずいことしちまったか?


『いえ、そういったわけではないのです。彼女はその……なんといえばよろしいのか……そう、疲れているのでしょう。悪く思わないであげてください』


 ……俺に関わることなのか?

 それだけちょっと聞いときたいんだけど。


『……竜神様に、お伝えするほどのことではありません』


 ……またそれか。

 あんまし続けられると、なんか疎外されてるみたいで不安になるんだけどな……。

 今の反応見るに、俺絡みじゃねぇとは思えねぇし。


 何気なく考えただけなのだが、ヒビの表情がさっと青くなった。

 あ、ヤベ。今のも拾われたか。

 強くは念じてねぇから、そこまで深くは伝わってないはずではあるが。


 い、いや別に言いたくないのならいいんだけど……。


『……彼女は、名をアイノと申します。アイノには子供がいたのですが……マンティコアに、殺されてしまったのです』


 ……見方によっては、俺は気紛れに出てって気紛れに帰ってきたようにも見えちまうんだろうな。

 竜神不在の間に化け物に祠乗っ取られて、子供喰い殺されて……その後ひょいと俺が戻って来たって感じか。

 そりゃあ、あんまいい印象持てないよな。

 他の村人が手放しに歓迎してくれてんのも、またどっか行くんじゃないかって不安が混じってるんじゃなかろうか。


 俺はふと空を見上げる。

 本物の竜神さんよ、どこ行っちまったんだ。

 祠まで作ってもらって長年連れ添ってたなら、せめて何か言ってから出て行けば良かったのに。


 単に貢物がもらえたから助けてやってただけなのか?

 俺が前世の記憶残ってるってだけで、他のドラゴンからしてみれば人間なんて、数ある他種族の動物の一つに過ぎないのかもしんねぇけど。


 ……と、感傷に浸ってる場合じゃねぇんだったな。

 俺はそろそろこの集落を出るとするか。

 早くしないとワイトが……ん?

 まさか、ワイトがアイノの娘なのか?


 い、いや根拠はねぇし、マンティコアに喰われた人間なんていっぱいいそうなんだが……それでも、どうにも引っ掛かっちまう。

 俺はヒビへと向き直す。

 ヒビは俺が何かを伝えたいと察したらしく、目を瞑った。


 アイノの娘さんは、なんて名前なんだ?


『アイノの娘は、名をアロといいます。まだ十にもならない、とても愛嬌のある小さな女の子でした』


 アロ……か。

 歳も、あの骨格から察するに近いんじゃないだろうか。


『竜神様?』


 い、いや、教えてくれてありがとうよ。

 それじゃあ俺はやらなきゃいけねぇことがあるから、そろそろここを出させてもらう。

 他の者達へは上手く説明しておいてくれ。


『本当にもう行ってしまわれるのですか? せっかくですし……』


 俺は首を振り、ヒビに背を向ける。

 俺の進路も人で塞がっていたが、首をくいくいとすると退いてくれた。

 ちょっと落ち込んでいるようだった。

 ま、また来るから。今度は、もうちょいワイトが強くなってから……。

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