第235話

 前を歩くヒビが立ち止まり、こちらを振り返る。それから目を閉じ、「テイ、レス」と小さく呪文らしきものを唱える。

 前も念話前に唱えてた奴だな。

 とはいえ〖念話〗にわざわざ呪文がいるとも思えねぇんだけど、集中力でも高めてるんだろうか。

 毎回やってるわけでもなさそうだしな。


『あちらが治療所です。あそこに旅の方がいます』


 予想通り、ヒビから〖念話〗が送られてきた。

 俺は身を縮込め、近くの大きな建物の陰に隠れる。

 それから首をぐっと伸ばし、治療所の方向を見た。

 他の建物からは多少距離がある。


 恐らくあそこにマンティコアがいる。

 人が全員出たら一気に近づいて、中にいる奴が何ものなのかを確かめる。

 魔物だとわかったら、向こうが抵抗するより先にあの治療所ごとぶっ壊す。

 被害を抑えるにはそれしかねぇ。

 他のリトヴェアル族には、マンティコアの死体を見て納得してもらうしかない。

 余計なことを考えて時間が経ったら、それだけマンティコアには考える時間が生まれる。



 一瞬で決着をつけてやる。

 平均ステータスならこっちの方が上だ。


 治療所から、片足のないリトヴェアル族の子供を背負って大人が出て行くのが見えた。

 俺は思わず目を逸らす。

 危険な魔物のいる森の隣だ。

 ああいったこともあるだろう。


 そろそろ全員避難できたのではなかろうか。

 ゴズが知らせに来てくれる流れになっていたはずだが……。


「竜神様じゃ! 竜神様が村に! ヒビ様、なぜワシらに教えてくださらなかったのじゃ! こ、こうしちゃおれん、今すぐ他の者を……」


 後ろから、しわがれた声が聞こえてくる。

 首を向けると、腰の曲がった老婆がいた。


「……今は、それどころではありません。治療所から離れ、集会所の方へ向かってください。他の人にも伝えるようお願いします」


 ヒビはマンティコアが大暴れした場合を想定し、人を見かける度に治療所から極力離れるよう呼びかけている。


「竜神様以上のことなどあろうものか! 巫女であるヒビ様が、そのような世迷言を!」


 い、いや、その問題ごとのために俺が来てるんだけど。


「あ、あのですね、竜神様は……」


 ヒビが老婆に何か言い返そうとしたとき、嫌な胸騒ぎがした。

 目を放していた治療所の方へと目を向ける。


 三人の男女が、治療所から出るところだった。

 一人は門番のゴズ、もう一人はリトヴェアル族の子供。

 三人目は、布をローブのように纏った背の高い女だった。

 ローブの女を引き留めようとしてか、ゴズはあれやこれやと必死に言葉を投げかけているようだった。


 間違いない、あの女が例の旅人だ。

 誤魔化しきれず出てきちまったんだ。

 ど、どうするよ。早く考えねぇと、大分マズイことになるぞ。


 女の吊り上がった目は、どことなくマンティコアに近しいものがあった。

 荒々しささえ感じるクセ毛の強い茶髪も、マンティコアの鬣に似ている。


 一発で調べるには……やっぱ、あれしかねぇよな。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

種族:マンティコア

状態:人化Lv9・毒(小)

Lv :73/80

HP :226/453

MP :130/142

攻撃力:206(413)

防御力:114(228)

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 やっぱし完全にクロじゃねぇかよ。

 ドンピシャじゃねーか。

 俺は大慌てで首を引っ込める。


 つか、MPほとんど最大じゃねぇか。どういうことだよ。

 俺は最大MP引き上げる道を選んだというのに、こんな不条理があっていいのか。

 ……い、今はそれどころじゃねぇな。落ち着かねぇと。


 毒も全然進行してねぇ。

 もうほとんど治療済みか。

 で、でも、どうすんだよあれ。横に二人いるっつーのに。


 だんだんと足音が遠ざかっている。

 話の流れで集会所の方へ向かっているのかもしれない。

 早く手を打たねぇと。

 こ、ここは一度引いた方がいいのか?

 いや、そんなわけはねぇ。

 不審感を持ったマンティコアが何をしでかすか、わかったもんじゃない。 


 あれこれと考えていると、三人のうち、一人の足音が止まった。

 それに続いて二人の足音も止まる。

 マンティコアも〖気配感知〗を持っていたはずだ。

 俺のことが、バレたのか。


 だったらもう、悩んでいる猶予はねぇ。


「竜神様?」


 ヒビが声を掛けてくる。

 俺はそれを無視し、建物の陰から飛び出した。


「グゥオオオオオオオッ!」


 駆ける。

 とにかく、最速で駆ける。

 マンティコアが余計な手立てを考えるよりも早く、あいつをぶっ飛ばす。


 旅人は俺を見ると顔色を変えた。

 前回ボコボコにされて尻尾撒いて逃げ出したことを覚えているのだろう。


 マンティコアが腕を振るう。

 被っていた布を引き裂き、強靭な獣の腕が現れる。

 マンティコアは片腕だけ〖人化の術〗を解いたらしい。


「ぐはぁっ!?」


 ゴズは殴られた勢いで地を転がり、身体中のあちらこちらを打ち付けた。

 ようやく止まったときには血塗れだった。殴られたときに肩を爪で裂かれたらしい。


「……た、旅人さん?」


 残された子供は後ずさりし、マンティコアから距離を取った。


「グゥオオオッ!」


 腕を振るい、〖鎌鼬〗を巻き起こす。

 マンティコアは人間の手で子供を抱え上げ、風の刃を避ける。

 掠った肩から血が噴き出たが、浅い。

 風の刃が、マンティコアの背後にあった木を切り倒した。


 マンティコアは倒れた木を尻目で睨み、表情を険しくする。

 それから抱えていた子供の首を掴み、盾のようにこちらへと突き出してくる。

 次撃てばこいつで防ぐという脅しのつもりか。


 最悪だ。

 結局人質を取られちまった。


「あがぁっ! い、嫌……助け……」


 子供は首を押さえられていて喋り辛いらしく、掠れ声で言った。


 マンティコアが俺を睨む。

 顔つきが若干変化していた。

 髪は更にクセ毛が強くなっており、目も野生動物特有の獰猛なものへと変化していた。

 白目が黄に染まり、目の周囲の皮膚が黒ずみ始めている。

 口奥には、人外ならではの鋭利な歯が覗いていた。


「ゲバハァァアア!」


 マンティコアは俺を威嚇するように大口を開け、咆哮を上げた。

 子供は恐怖のあまり、声さえ出せない様子だった。

 マンティコアはそのまま子供を連れ、近くの建物へと逃げ込んだ。


 マンティコアの奴、なんで自分からわざわざこんなところに……。

 人質がいるから手出しはできねぇけど、それでもわざわざ袋小路に入る意味はねぇだろ。


 俺はとりあえず建物の近くまで寄った。

 どうしたものかと考えたその直後、反対方向の壁が崩れてマンティコアが飛び出した。

 完全に人化を解いていた。

 ぴんと伸ばされた後ろ足が瓦礫を蹴飛ばし、獣の巨体が宙を舞う。

 両前足で着地し、そのまま先へ先へと走って行く。


 やっぱしクソ速い。

 向こうも力じゃ俺に負けるとわかっているらしく、全速力だ。


 後を追おうかと一瞬考えたが、子供のことが頭を過った。

 なんでわざわざ建物の中に一度突っ込んだか、その理由が遅れてわかった。 

 あいつ、時間稼ぎのために瓦礫の下に子供を残していきやがったのか。


「グゥォオオオオオオッ!!」


 俺は鳴きながら、翼を大きく羽ばたかせ、逃げて行くマンティコアの背に〖鎌鼬〗を二発、少し遅らせてもう一発放つ。

 マンティコアが左右に跳ねて避ける。

 予測軌道に放った一撃が、マンティコアの背を削った。


「ゲバァアッ!」


 マンティコアは悲鳴を上げながらも失速せずに駆ける。

 だんっと針玉のような尾の先を地に叩き付け、その反動で大きく跳ね上がる。

 集落を囲う柵を踏みつけて壊し、逃げて行った。


 相変わらず逃げ足だけは速い野郎だ。

 マンティコアが俺を舐めきっていた初対面時に殺しきれなかったのが痛い。

 あいつを仕留めきるには何か、事前に策を練る必要がありそうだ。

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