第232話

「竜神様! 助けに来てくださったのですね!」


 大男が膝をついた姿勢のまま、深く頭を垂れる。


「長らく姿が見えなかったので遠くへ行かれてしまったものかと思っておりましたが……再びアビスの繁殖期に入る前に帰ってきていただき、このバロン感謝しかありませぬ! 再びお目に掛かることができて光栄に存じます!」


 い、いや、それは絶対竜違いだから!

 悪いけど、前代さんのことは知らねぇぞ。

 そっちの竜は本当にどっか行っちまったんじゃねぇのか。


 つーかアビスの繁殖期ってなんだよ、悪魔かよ。

 俺、あの化け物虫とあんまし関わりたくねぇぞ。


 巫女らしき女が歩いてきて、大男の隣に並んだ。

 彼女は手で宙を切り、「テイ、レス」と小声で唱えた。

 その後俺に向けて大杖を掲げ、すっと目を閉じる。


『竜神様の巫女、ヒビでございます。お姿は変わられていらっしゃるようですが、再び我らの力になっていただけるのだと安堵しております』


 頭にすっと言葉が入ってきた。

 どうやら〖念話〗が使えるらしい。

 前貢物持って来たときは普通に話してたけど、なんか儀式的な意味合いでもあんのかな。

 とはいえ俺は普通に言葉わかるんだけど……まぁ、こっちの意思も通じるのはありがたいか。


 別に〖人化の術〗を使えば会話もできるんだけど、これなら下手なことはしねぇ方がいいのかな。

 アドフの言っていたリトヴェアル族の話だと、危険な部族というニュアンスだったはずだ。

 外の人間に対して敵意を見せるのかもしれねぇし、俺も竜神じゃねぇとバレたらひょっとしたら一気に敵対されるのかもしれねぇ。


 いや、でも魔獣から助けた身ではあるし……後々ボロが出て拗れる前に身を明かしとくってのはありなんじゃねぇのか。

 それで敵対したら目も当てらんねぇけど、竜神様ですーって言い張り続けるのもなかなか無理がありそうな気がする。

 相手の数が少ない今なら説得も楽かもしれねぇ。


 よし、方針は固めた。

 万が一戦闘になっても、この戦力差なら簡単に無力化できるはずだ。


 玉兎に話しかけていたように、ぐっと自らの意思を相手に投げ掛けるイメージを持つ。

 実は俺、先代の竜神とは別……。


「竜神様が、我らに愛想を尽かして去って行かれたのではないかと……俺は、俺は……!」


 大男、バロンが嗚咽を上げながら目元を手で覆う。

 地面に頭を打ち付けんが勢いでさっと頭を下げ、指の合間から涙を漏らして歓喜していた。


 いや、あの俺、別竜といいますか、あの……。

 …………。



『竜神様、どうなさいましたか?』


 再び〖念話〗が投げ掛けられてくる。

 俺は焦りから、半ば勝手に首が頷いていた。


 バロンががばっと顔を上げる。

 顔に描かれていたメイクが涙で滲んで汚くなっていたが、表情は輝いていた。


 ……な、流されやすい俺の馬鹿野郎。


 俺はそっとバロンの熱い視線から目を逸らした。


「バロン、竜神様の御前で見苦しい真似は止めなさい! 竜神様も困っておられるではありませんか」


「しかし、しかし!」


 竜神の巫女ヒビが目を開き、バロンを窘める。


 ヒビは背も低く、肌もきめ細かく幼く見える。

 高くて十五、十七歳程度だろう。

 それに比べてバロンは体格もあってか、それなりの歳に見える。だいたい二十歳中頃ほどだろう。

 だがやり取りを見るに、ヒビの方が位は上のようだ。


 やっぱり竜神の巫女っつうのは重要な役職なんだろうな。

 年齢の割にはバロン以上の落ち着きが見えるし、それなりの苦難も経験しているのだろう。


 と、とにかく頷いちまったもんは仕方ねぇな。

 こうなりゃプランBだ。初代がどこで何してやがんのかは知らねぇが、二代目竜神様になるしかねぇ。


 まぁこっちの方がとりあえず敵対のリスクは避けられるし、相手の混乱も避けられる。

 バレたときにも信頼関係がしっかり築けてりゃ問題はねぇはずだ。

 二人の様子を見ている限り、噂で聞いてた程血の気の多い集団には見えねぇし。

 なんか誤解があったのかもしんねぇ。


 ……それに、ちやほやされるのって悪くねぇし。


 バロンとヒビの目を見てから、俺はさっと空へと顔を向ける。

 いかん、いかんいかん、ちょっと口許が緩んじまう。

 俺は竜神様なんだから、もっとしゃきっとしてねぇとな。


 こういった目で複数の人間から見られるのはかなり久々だ。

 厄病子竜時分のときに、村でリトルロックドラゴンと戦ったとき以来か。

 ……あのときは、まぁ、一時間も持たなかったけど。


 ついに来たのか、俺の守り神ルートが。

 竜生最大のモテ期だぞ、おい。


 ……ただ、そろそろ戻らねぇとな。

 ワイトが待っているはずだ。

 ボディーガードのトレントも付けてはきたが、高ランクのモンスターと接触したらまず持つはずがねぇ。


 俺は身体を翻す。


「もう行ってしまわれるのですか、竜神様! 皆も不安がっておりますので、一度我らの集落に来ていただければと……!」


「今件を伝え、皆を落ち着かせるのは私の仕事です! バロンは黙っていなさい! 竜神様のお手を煩わせるようなことを……」


 い、いや、一回訪問するくらいいいっていうか、一回行ってみたいっていうか……。

 でもEランクのワイトから長時間目を放すわけにも……。

 それはまた、ワイトがもうちょっと大きくなってから……。


「それに、旅の方のための薬草を取りに来たのを忘れたのですか? 今もあの方は苦しんでいるのですよ」


「し、しかし……いえ、はい……その通りですヒビ様」


 バロンががっくりと項垂れる。

 ……大男が女の子の前に小っちゃくなってんのは、なんというか、情けなく見えちまうな。


 しかし旅人の保護か。

 やっぱり噂で聞いてた程危険な連中ではないのでは……ん?

 苦しんでる、旅人……? なんか引っ掛かるような……。


 俺はワイトが待っているであろう、森の向こう側へと目をやる。

 元同胞の身を案じるように、リトヴェアル族のいる先へと指を指していたワイトの姿が脳裏に浮かぶ。

 ……不安点は解消しておくか。まさかとは思うけど。


 再び身体の向きを回し、ヒビとバロンに向き直った。


「竜神様……?」


 ちょっと、その旅人のことを聞かせてもらおうか。

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