第216話

 アドフに連れられ、ハレナエの処刑場方面へと向かった。

 皆避難した後らしく、人影はない。


 建物の陰に、三人の騎士がいた。

 俺を見てびくりと身体を震わすも、剣を抜く様子はない。

 三人の騎士の後ろに、玉兎と……それから、ニーナがいた。

 彼女は、無事だった。怪我一つない。


 三人は恐らく、アドフの指示で彼女を守っていてくれたのだろう。

 俺は安堵し、息を吐く。

 囚われていたアドフの親族も一緒にいるはずだったが、すでに避難しているようだ。


「……ドラゴンさん、なんですよね?」


 ニーナが、俺の顔を見上げる。

 相方が首を伸ばして俺よりも前に出ようとしたので、軽く頭突きをしておいた。

 紛らわしいから、今は大人しくしててくれ。

 いや、お前も俺なのかもしんねぇけど。


「ドラゴンさん、本当に、ありがとうございますにゃ。ニーナなんて、ただの、親にも捨てられたような奴隷なのに……ニーナなんかのために、こんな……」


 ニーナは言い切るより先に泣き崩れ、その場にしゃがみ込んだ。

 俺は爪を立てないよう、軽く、触れるか触れないか程度にニーナの頭を前足で撫でた。


 厄病竜に進化したときは、もう二度と、こんなふうに人間と関わることはねぇんだろうなと思っていたが……人生、いや、竜生はどう転がるかわからねぇもんだ。


 ……さて、これ以上、ハレナエを混乱させるわけにはいかねぇな。

 さっさとここを出るとするか。


「グォッ?」


 俺はアドフへと鳴く。


『アドフ、ドウスルノッテ』


 玉兎が翻訳を行ってくれた。


「……俺は、教会に自身の潔白を認めさせ、刻印を消してもらおうと思う。身内のこともあるのでな。それから、この国を去るつもりだ」


 まぁ、それが順当だよな。

 ニーナのこともあるのでできればついてきてもらいたがったのだが、まだアドフや騎士達は教会相手にあれこれと動き回る必要があるのか。

 このまま関係者が全員逃げましたじゃあ、とんでもない混乱が起きちまいそうだからな。


 ……でもそれ、勝算はあるんだよな?

 下手すりゃあ、再度牢に繋がれるなんてことにもなりそうだけど。


「安心してくれ。さすがに奴らも、あれだけ人の目がある場所で起こったことを黙殺はできないだろう。イルシアを、完全に切り捨てる方向で動くつもりのはずだ。教会の権威も今回の件で失墜した。今までのような無茶はできないだろう」


 ……そ、そうか。

 それはいいんだけど、なんかその名前出される度、複雑な気分になるんだけど。


『アドフ』


「む?」


『イルシア、名前』


 玉兎は〖念話〗を送った後、ちらりと俺を見る。

 どうやら玉兎は俺の名前を知っていたらしい。

 ……というよりも、イルシアの名前が出る度に俺が思っていた思考を読み取った、という感じなのだろうか。


 アドフは数秒ほど固まっていたが、ようやく理解できたのか、しまったといったふうに口許を顰めた。


「いつも妙な反応をしているから、まさかとは思っていたが……そ、そうか。そういうことだったのか。しかし、誰がそんな名前を……い、いや、失礼」


 お、俺、昔はもっと愛嬌ある姿してたから……!


「……しかし、勇者がいなくなったことで、他国からの支援が途切れるかもしれんな」


 アドフは言ってから、高い建物を見上げる。

 教会関連の建物らしい。


 ……そ、そうなるのか。

 なんか、後味悪いような……。


「と、すまない。わざわざお前の前で口にするようなことではなかったな。安心しろ、支援など、元より教会上層部にしか行き渡っていなかったのだ。今よりも悪くなることはないだろう」


 どっちにしろロクでもねぇ。

 本当にここ、大丈夫なのか。

 俺が気にしても、仕方ねぇことなんだろうけどさ。


 俺は背を屈め、ニーナと玉兎を背に乗せる。


「グォォッ!」


 アドフへと吠える。


「……お前がいなければ、あの外道はずっと野放しにされていただろう。俺が仇を討てる機会も、永遠に失われていたはずだ。心より感謝する、竜よ……いや、イルシア」


 別れの言葉は、翻訳がなくても伝わったようだった。

 俺は地面を蹴って、空へと飛び上がった。


 建物がどんどん小さくなっていく。

 途中で身を翻し、俺を見上げるアドフから目を放す。

 俺は、ハレナエを後にした。


「……ドラゴンさん、本当は、イルシアという名前だったんですね。とてもお似合いの、いい名前だと思いますにゃ。ニーナもこれから、そう呼んでいいですか?」


 飛行中、ニーナが声を掛けてくる。

 『これから』という単語に反応してしまい、俺はつい反応に遅れた。


「ガァッ!」


 相方が勝手に鳴いた。

 こんにゃろ……いや、訂正する必要もねぇけどさ。

 ちらりと横目でニーナを確認する。

 彼女は、俺の方を見ていた。


 どっちが本体か、わかっているかのようだった。

 或いは、今の反応で何かを察したのか。


「あの、イルシアさん……これからも、ニーナと一緒に、いてくれますか?」


 俺は少し迷ってから、首を横に振った。

 嘘を吐いても、仕方がねぇ。


「……そうです、よね。これ以上迷惑掛けちゃ、いけませんよね」


 きっとニーナは人里が不安なのだろう。

 奴隷にされて、ムカデの餌に蹴落とされて、挙句の果てには公開処刑にされかけて……。

 これでトラウマにならねぇ方がおかしい。


 だが、俺には〖竜鱗粉〗がある。

 連れて行っても、また数日の内に呪いの症状が出ることはわかりきっている。


 それに、これからもきっと、何度も危険な目に遭うことだろう。

 新居地先のこともそうだし、神の声のことも気にかかる。

 とてもじゃねぇが、ニーナは連れていけねぇ。


「……ごめんなさいにゃ」


 ニーナが、ぽつりと口を開く。


「本当は、ずっと、わかってたんです。イルシアさんが、ニーナのことを考えて離れようとしているって。イルシアさんも、寂しそうにしてるの……顔見たら、わかりますから。……迷惑だとかなんだとか、そこに付け入るような言い方をしてしまって、ごめんなさいにゃ」


 ……そうか。

 魔獣の表情でも、人間に伝わるもんなんだな。


 ニーナのステータスでは、まともに生きていくこともできない。

 やっぱり人間は、人間の中で生きていくしかないのだ。

 それは今の俺ができねぇことだから、羨ましくも思うんだけどな。

 皮肉なもんだ。


 玉兎、伝言頼む。


「ぺふっ?」


 近くに、ハレナエへ獣人保護を訴えていた国があった。

 そこへ連れて行くってな。


『ニーナ、一緒ニ……』


 それは、無理だ。

 知ってるだろ。


『デモ……』


 俺だって、そうしたいよ。

 ある程度心の読めるお前がそこまで言うんだから、よっぽどニーナが人里を怖がってるんだろうってことはわかる。

 わかるけど、それでも……死ぬよりは、いいはずだ。

 アドフの薦めてくれた国だ。

 ひょっとしたらニーナだって上手くいくかもしれないって、俺はそう思っている。


 お前だってニーナを殺したいわけじゃないだろ。


「ぺふぅ……」


 俺だって、心配だよ。

 見ず知らずのところに、ニーナをほっぽりだすなんて。

 アーデジアがどんなところなのか、アドフから聞いたことしか知らねぇ。

 その先でどんな生活を送ることになるかもわかんねぇ。

 無責任かもしれない。でも、それしかねぇんだよ。

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