第190話

 俺は赤蟻の巣を出てからもしばらくは転がり続け、赤蟻の巣から距離を取ることにした。

 巣の赤蟻はまだ、半分以上残っているはずだ。

 追ってくる可能性もある。


 俺の身体は散々〖クレイガン〗を撃ち込まれ、噛みつき倒されていた。

 ガードに酷使していた翼も尻尾もボロボロだ。

 アドフも重傷を負っている。

 とりあえず、今は安心して身体を休ませられる場所に行きたかった。


 赤蟻の巣から少し離れたところにサボテンを見つけたので、とりあえずはここで止まってアドフを回復させることにした。

 ちょっとした丘の上になっており、見晴らしもいい。

 ここなら危険な魔物が近づいて来たら、すぐに発見することができる。


 俺はアドフと玉兎を、土の上に吐き出した。


「べふぅ……」


 玉兎が身体を震わせる。

 唾液の飛沫が飛んできた。うわ、きったねぇ。


 海の近くまで行けばよかったかな……。

 今はまだマシだが、乾いたときが妙に臭いんだよな。

 動物って自分の臭いには無頓着だって聞くし、玉兎は俺の五倍くらい臭いんだろうか。

 玉兎は、死んだ魚みたいな目で俺を睨んでくる。


 と、とにかく、アドフの回復が先だ。


 アドフは身体中傷だらけだ。特にまともに噛まれた右肩が、潰れている。

 いや、でも、肩以外は思ったより怪我が浅いか……?


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

〖アドフ・アーレンス〗

種族:アース・ヒューマ

状態:囚人の刻印・流血(小)

  :昏睡

Lv :49/85

HP :42/320

MP :14/105

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 思ったよりも、ステータスが安定している。

 俺の口の中で、玉兎がある程度は〖レスト〗を掛けておいてくれたのだろう。

 俺は安堵の息を吐いた。


 グッジョブ、玉兎。よくやった。

 今日は〖灯火〗に〖念話〗、おまけに〖レスト〗だ。

 MPがよくもったものだ。

 もうゆっくりと休んでいいぞ。


 玉兎へと目をやると、半目で睨まれた。

 し、仕方ないじゃん……。

 もう、唾のことは諦めようぜ。


 俺も自分に一度〖レスト〗を掛けた後、アドフに三回〖レスト〗を掛けた。

 これで俺のMPもからっからになったが、アドフのHPは大方回復した。


【通常スキル〖レスト〗のLvが2から3へと上がりました。】

【称号スキル〖救護精神〗のLvが8から9へと上がりました。】


 進化前にこれはありがたい。

 回復魔法が得意なドラゴンが進化先に増えたらありがたいのだが、厄病竜にそんな道はあるのだろうか。


 俺はアドフの腕をそうっと摘まんで持ち上げる。

 肩のところ、ちょっとおかしくなってねぇか? 大丈夫なのか、これ?


 俺が今まで見てきた限り、基本的に回復魔法は自然治癒力にブーストを掛けたような効果しか得られない。

 要するに怪我は塞がっても、欠損した部位は生えてこない。

 がっつりダメージを負えば後遺症が残る可能性もある。


 アドフの右肩は、赤蟻に噛まれたせいでごっそりと肉が削がれていた。

 一応、くっついているように見えるが……今後、今まで通り動くかどうかはわからない。

 もしも冤罪が晴れたとしても、もうアドフは、剣を生業にして生きていくことはできないかもしれない。


「ぺふぅ……」


 玉兎が俺を見上げながら、耳を垂れさせる。

 玉兎も、アドフの腕が心配らしい。


「……う、うぐ、ぐ」


 数分後、回復魔法のおかげか、アドフが起き上がった。

 アドフは上体を起こしてから、目を細める。


「……ああ、まだ、俺は生きていたか」


 ぽつりと、そう呟いた。


 あの勇者に背中をざっくりとやられたときも、きっと死を覚悟したのだろう。

 赤蟻に集られたとき、今度こそ死んだと、そう思ったはずだ。


「また、助けられたようだな」


「グゥゥ……」


 い、いや、礼を言うのは絶対こっちだって。

 足場を固められて動けなくなったとき、アドフが自らを囮にして抜け出す時間を稼いでくれたのだ。

 あれがなければ、赤蟻に集り殺されていただろう。


 アドフは周囲をきょろきょろと見回す。

 何かを探しているようだった。

 水を飲みたいのだろうか。

 だったら、俺が今すぐサボテンを解体して……。


「ぺふっ」

『アノ、オッキイ剣』


 さすが玉兎、察しがいい。

 大剣は、アドフと一緒に回収している。

 ぺっぺっと、俺は大剣と鞘を吐き出した。

 ……一瞬、アドフが真顔になった。


「あ、ああ、すまない」


 アドフはよろめきながら立ち上がり、一瞬躊躇してから、右腕で大剣を担ぎ上げる。

 い、今の間はなんだ。

 俺の唾液のせいか?


 しかし、赤蟻に肩をやられた右手でも十分大剣を持ち上げられている。

 この調子なら大丈夫なのではないだろうか。


 アドフが、右手だけで大剣を振り上げる。

 高く掲げたところで腕が震え、アドフの手をすり抜け、大剣が地へと落ちていった。


 しゃがんで大剣を鞘に戻してから、ゆっくりと座り込む。

 それからゆっくりと、首を振った。


 ただ、そこまで落胆した様子には見えなかった。

 アドフはきっと、起きたときにはすでに気が付いていたのだろう。

 自分の利き腕が、使いものにならなくなっている、と。


「もうあの国に仕える気にはなれそうになかった。こんな俺が剣など持っても、仕方ないのかもしれないな。……だが、俺の命に代えてでも、あの男に一太刀浴びせてやりたかったものだ」


 寂しそうに、そう言った。


 重苦しい沈黙が続く。

 アドフの心が読めているであろう玉兎は、しょんぼりと耳を畳んでいる。


 俺も、どう返せばいいのかわからなかった。


「……敵討ち、お前に託しても、いいだろうか」


 俺が困っていることに気付いたのか、アドフはそう付け加えてくれた。


「グゥォッ」


「ぺふぅ……」

『任セテ、クレッテ……』


 玉兎が〖念話〗でそう伝えると、アドフは固くなっていた表情を和らげ、小さく笑った。

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