第187話

 赤蟻達は一斉にアドフへと向き直り、俺から視線を外す。

 せっかく俺の足場を固めて動きを止め、天井を改築して武器まで作っていたというのに、だ。

 俺を仕留める絶好の機会を、赤蟻達はあっさりと放棄した。


 恐らく、さっきアドフの使った呪文、〖デコイ〗の効果だ。

 あれは自分に目を引きつける力があるのだろう。


 思えば俺も初対面のとき、アドフに気を取られていて背後から迫ってきていた勇者の存在にまったく気づけなかった。

 あれは勇者の持つ〖忍び足〗や〖ミラージュ〗のスキルの効果かと思っていたが、それだけではなかったようだ。

 きっと、あのときもアドフは事前に〖デコイ〗を使っていたのだ。


「クチャァッ!」


 赤蟻達がアドフへと押し寄せる。

 アドフは応戦しようとするが、あそこまで囲まれたら無茶だ。

 正面の赤蟻がアドフの大剣を噛み付いて受け止め、その隙に背後の赤蟻がアドフの肩へと喰らいつく。

 アドフはそのまま、その場へと引き倒された。


 アドフとて、あの量の赤蟻の山に自ら飛び込んで敵うとは思っていなかったはずだ。

 俺が〖クレイ〗の束縛から抜け出す時間を稼ぐため、命を張って囮となってくれたのだ。

 俺は慌てて〖クレイ〗から脱そうとするが、足が引き抜けない。


 わかってはいたが、かなりの強度を持っていやがる。

 全力で足を持ち上げようとすればわずかに軋むのだが、そこまでだ。

 罅さえ入らない。

 焦れば焦るほど時間を無為に浪費しているように思えてきて、無力感に襲われる。

 クソッ、クソッ、なんで割れねぇんだよ!


 赤蟻達の攻撃は、勿論引き倒すだけでは終わらない。

 アドフが無防備になったのをいいことに、組み付いて押し潰そうとする。

 一体、また一体と赤蟻が集っていき、アドフの上に赤蟻の山ができ始めていた。


「グゥガァッ!」


 俺は、全力で牙を床へ叩き付けた。

 脳に大きな振動が入るのと同時に、床に罅が入った手応えを感じる。

 そのまま再び、床に牙を打ち付ける。

 牙が、三本ほど根元から持っていかれた。


 口から離れた牙が地面を転がり、血が垂れる。

 だが、罅は入った。

 俺は床を力いっぱい蹴り飛ばす。罅が大きくなり、床が割れて俺の足が解放される。


「クチャ?」「ク、クチャッ!」


 俺の立てた音を聞いて我に返ったのか、何体かの赤蟻が俺へと振り返る。


 俺は宙に飛び上がり、頭を大きく上下させて玉兎を振り飛ばす。


「ぺぇふぅっ!?」


 身体を丸めながら首を伸ばし、大口を開けて玉兎を口内へと回収する。

 そしてそのまま、〖転がる〗へと切り替える。

 すまん、玉兎。

 〖転がる〗を使うためには仕方がなかったんだ。


 玉兎の〖灯火〗が消え、周囲が真っ暗になる。

 だが、周囲の地形や赤蟻の位置はだいたい把握している。


 このままあのアドフへ集った赤蟻の山へと……いや、突撃しても、あの赤蟻の山は崩せるか?

 それに確かさっき、数体の赤蟻達が俺へとまた視線を戻し始めていたようだった。

 アドフを助けに飛び込んでも、他の赤蟻に妨害されるのは目に見えている。


 だったら一か八か、賭けにでてみるしかねぇ。

 俺はアドフへと向けていた進行方向を直角に曲げ、壁へと飛び込んだ。

 暗いので距離感がよく掴めなかったが、それでも思いっ切り加速して飛び込んだ。


 背が、壁に直撃する。

 身体が拉げるかと思った。

 ゴォンと音が鳴り、辺りの通路が揺れる。

 それを疑問に思ってか、赤蟻達の暴れていた音が止まった。


「……クチャ?」


 暗闇の中、ぽつりと赤蟻の鳴き声が響く。

 さっきまで聞こえていた喧騒がぴたりと止んでいたため、その鳴き声はよく通った。


 その後、通路の天井が剥がれ落ちてきた。

 ほんの一部分とはいえ、赤蟻がクレイで固めた強固な砂の塊だ。

 当たり所によっては大ダメージを与えるポテンシャルを持っている。


 天井が崩れるのに伴い、土の塊や石も落ちてくる。


「クチャッ!」「クチャァッ!」

「クチャァッ!」


 赤蟻達が散り散りになっていくのが、音でわかる。


 とりあえずは上手くいってよかった。

 この通路は赤蟻達が隠れるために壁を作り変えていたため、天井の支えが不安定になっていた。

 更に天井の一部を針に作り変えたため、隙間ができていた。

 そこに俺が大きな衝撃を加えたため、歪んでいた部分に力が加わり、支えの弱い天井が崩壊を始めたのだ。


 上から大きな岩が落ちてきて、俺の肩を掠めた。

 危ねぇ、あれが当たっていたらそれなりのダメージになっていたはずだ。


 ひとまず、灯りがほしい。

 俺は玉兎をペッと上に吐き出し、頭でキャッチする。

 俺の涎が染みついていたお蔭か上手く頭に張りついた。


 ……なにか物凄く言いたげな玉兎だったが、黙って〖灯火〗を使ってくれた。


 俺は姿勢を低く屈め、通路を駆ける。

 逃げ惑う赤蟻や落ちてくる瓦礫を避けながら、アドフへと向かう。

 赤蟻達はここから離れようとしているようだったのだが、一体の赤蟻が、俺と目が合うと飛び掛かってきた。


「クチャァッ!」


 俺は鉤爪振るい、赤蟻の身体を抉る。

 落下物に激突していたのか、毒で弱っている個体だったのか、戦闘中にダメージを負っていたのか、その一撃で赤蟻は動かなくなった。


【経験値を432得ました。】

【称号スキル〖歩く卵:Lv--〗により、更に経験値を432得ました。】

【〖厄病竜〗のLvが64から65へと上がりました。】


 またレベルが上がった。

 確かにレベルはすぐ上がるが、ここまで危険な目に遭うとは思っていなかった。

 選択肢が他にないため、わかっていても同じ手を取っていたかもしれないが。


 アドフは、床の上に血塗れでぐったりと倒れていた。

 集っていた赤蟻は、崩壊で驚いて既に散っている。


 口許が動いたのが見えたため、まだ生きていたかとほっとした。

 が、それも束の間のこと。

 アドフへと、大きな土の塊が落ちていく。


 俺は飛びかかるようにし、その土の塊を背で防ぐ。

 俺の背で、土の塊が爆散した。

 なんとか間に合った。


 俺は頭を下げて舌を伸ばし、アドフを口の中へと回収する。

 それからまた、赤蟻達と一緒になって逃げた。


 この付近の、赤蟻が壁を弄った通路はこのまま崩れるだろう。

 安全な部分まで逃げなければ。

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