第115話 side:勇者

 砂漠の地、ハレナエ。

 モンスターが多く資源が少ない、本来、住むにはこの上なく不便な地である。

 優秀な魔術師による幾多もの魔除けの結界、そして他所からの支援があって、ようやく成り立っているのだ。


 そうまでしてこの国が守られているのは、ここが聖地であり、勇者が生まれる地であると、そう言い伝えられているからだ。


 僕はこの地に勇者として生まれたのが、もう18年も前になる。

 物心つく前に教会に連れてこられ、そこで育った。親の名前も教えられていないし、自分の名前も司祭からもらったものだ。

 だが別に、そんなことは気にもならない。どうでもいい。


 司祭が口を滑らせたため、貧乏一族の長男として生まれたのだと、そのことだけは察していた。

 そのことを知ったときは、勇者として生まれていて本当に良かったと思った。


 ハレナエは貧富の差が激しい。

 他所からの支援物資を司祭一味がほとんど独占しているからだ。

 おまけに危険な魔物の出る砂漠に囲まれているため、仕事を求めて他の地へ移住することがまず不可能なのだ。

 こんなところの貧乏一族なんて絶対にごめんだ。生まれるだけ無駄というものだ。


 安全に単身で砂漠を歩けるのも、神の加護を持っている僕くらいのものだろう。

 ついさっきも、砂漠を渡ろうとして商品をほとんど魔物にくれてやることになってしまったと嘆いている馬鹿な奴隷商人と顔を合わせてきたところだ。


 確かにいい馬を持ってはいるようだったが、あの程度では砂漠のモンスターを撒くことはできない。

 魔物の少ないルートはあるのだが、そこを通るためには獣人奴隷の廃止を訴えている国を通過せねばならない。

 そんなところを奴隷を連れて通るわけにはいかない。



 僕はしきたりに従い十四歳になった日から世界中を旅していた。

 いくつか酷い国を見てきたが、上層部の腐れ具合だけに限れば、ハレナエと肩を並べられる国はなかなかない。

 それでも僕は、近くを通ればハレナエへ必ず足を運ぶことにしている。


「勇者様! 噂通り、戻られていたのですね!」

「見ろ、あの勇ましい姿を!」


 ただ歩いているだけで、羨望の目が街のあちこちから飛んでくる。

 そういった奴らへ、貧乏人の弱者共がと、心中で嘲笑ってやると胸がすっとするのだ。

 もっとも今僕がこの地に滞在しているのは、他の目的があってのことだが。


 僕は口許だけで笑みを作り、手を振って乞食共へと反応を示す。

 それだけできゃっきゃっと浮かれて騒ぎ出す猿を尻目に、街の中を進んで行く。


 やっぱりここはいい。

 他所だとあまり僕の名前は浸透していないらしいのだ。


「あのっ、あの、わたし、勇者様とお話がしてみたくて……!」


 道脇から駆け出してきた女の子が僕の前に立ったため、足を止めた。

 母親らしき女が後から出てきて、半笑いで「すいません、この娘ったら……」と言いながら、女の子の手を引いて離そうとし、女の子はそれに抵抗する。


 僕はその様子を見て、思わずふっと笑う。


 母親の腕に触れ、手を離させる。

 ぱぁっと表情を輝かせたガキの腹を、蹴りあげてやった。


 辺りはしんと静まり、僕を見る人々の目に困惑が浮かぶ。


 思わず足が出てしまった。

 僕は道を塞がれることと、馬鹿なガキが嫌いだ。


 この件が広まれば僕の名声に傷がつく恐れもあるが、大丈夫だろう。

 国の象徴ともいえる僕への悪口は、教会への反逆罪にも繋がる。表立って広まることはない。



 教会横には罪人の収容所がある。ハレナエでは、治安の維持が教会管轄のためだ。

 今僕がハレナエに長期滞在をしているのは、ここに用があるからだ。


 収容所は勿論一般人の立ち入りが禁止で、関係者でも入るのには名目と手続きが必要だ。

 ほとんど看守くらいしが出入りできないが、僕だけは顔パスでここへ自由に入ることができる。


 僕を見て慌ただしく頭を下げる看守を眺めながら、収容所の廊下を歩き、ある牢の前で足を止める。


「お久しぶりです、アドフ騎士団長様。いや、今は元騎士団長でしたか」


 僕は笑みを浮かべながら、牢の奥に座る人物を覗く。

 がっしりとした大柄の男が、格子の合間からこちらを睨む。


「いや、大変でしたね。なんでも、婚約者さんと弟さん殺害の疑いをかけられた、だとか」


 アドフは殺人の罪で騎士団長の名を奪われ、牢に入れられている。

 最近、教会による支援物資の独占について問題の提起を行っていたらしいので、これ幸いとロクに調査もせず牢に送られたのだろう。あの司祭はそういう奴だ。


「……なんだ、俺を、笑いにでも来たのか?」


 アドフが低い声で言う。

 いつもならもっと言葉を選ぶ男だったが、そんな余裕も今はないのだろう。

 親族と婚約者を殺された上、婚約者と弟の不貞に怒り剣を振るったなどと死人を穢すような勝手なストーリーをでっち上げられれば、誰でも怒り狂う。


「嫌ですね、いくら僕だってそんなことはしませんよ。昔は色々とありましたが、それも僕が未熟が故の思い上がり、身勝手だったと、今では反省しておりますから。今日まで謝罪もできず、申し訳ございませんでした。騎士だ……アドフ様」


 騎士団長と言い掛けたところで、アドフが顔を苦痛に歪める。いい表情だ。


「アドフ様が冤罪であると、僕はそう信じていますよ。僕の目は、人の善悪を見分けますから」


 正確にはその点に関してはかなり大雑把なことしか判断できないのだが、適当にボヤかし、『人の善悪を見抜くことができる』ということにしている。

 そうしておいた方が色々と便利だったからだ。


「……その、様付けをやめろ」


「え? そこまでご自分を卑下なされずに。確かに地位は失ってしまったかもしれませんが、僕は……」


「お前の様付けは、薄っぺらい。四年前から、変わったのは上っ面だけか」


 思わず、自分の眉間に皺が寄るのを感じる。

 すっと手を当てて、目の上を隠して笑う。


「どうにも荒んでおられるようで。いや、しかし、わかりました。次からはアドフさんと呼ばせていただくことにしましょう。

 それで僕はですね、アドフさんがそんな事件を起こすわけがないと思い、司祭様に掛け合っていたんですよ。なんとか彼を釈放することはできませんか、と」


「そんなこと、できるはずがない! 第一、俺は、あいつに嵌められたんだ!」


「疑心暗鬼になる気持ちはわかりますが、司祭様はその様なことはしませんよ。

 それに現に司祭様は、僕が付き添いの元で、かつ呪いで行動を縛るというのならば一日に限り外に連れ出してもいいと、そうおっしゃられていましたから」


「ほ、本当か? しかし、一日だけで何が……」


「この一日で功績を上げ、信用を回復するんですよ。それから期間を伸ばしてもらい、本当の犯人を探すんです」


「で、できるのか? し、しかし、そう都合よく功績など……」


 僕は口許に手を触れ、笑いを隠す。

 相も変わらず、単純な男だ。四年前から変わらないのは、お互い様だろうに。


「実はですね、商人の馬車が闇竜に襲われたらしいんです。ただその闇竜っていうのが、厄病竜なんじゃないかって噂がありまして。もしそれが本当なら、放っておけばハレナエに災いを撒きに来るかもしれません。今は教会で調査隊を編成している段階だそうで、噂が明らかになるのが、どれほど先になるかの見通しはまだつきませんが。

 仮にハレナエ近くに居座っていた厄病竜を仕留めたとなれば、アドフさんの立ち場も大きく変わるはずです。そうなれば、アドフさんが毎晩看守に訴えていた事件の再調査の件も、善処してもらえるはずですよ」


 アドフが立ち上がり、唾をごくりと呑み込む。


 僕は牢に背を向ける。


「では、無理を通してここに来させていただいている身ですので、この辺りで。また近い内に報告に来ます」


「イ、イルシア!」


 アドフが俺の名を叫ぶ。


「疑って……すまなかった。今回の件、本当に感謝する」


「いえ、僕は勇者として、正しいことをしているまでですから」


 それだけ言い、振り返らずにアドフの牢前を去る。

 振り返られるはずなどなかった。笑いが漏れ出して、隠し通せなかったのだから。


 四年前、僕は諍いの末にアドフと模擬決闘を行い、大衆の前で叩きのめされ、大恥を晒すこととなった。

 上から目線で説教を垂れられたあの屈辱を忘れたことなど、一日もない。僕の人生最大の汚点だ。


 ただこのまま処刑させるなどつまらない。

 この僕にいいようにやられたのだと、骨の髄までそう叩き込んでやらなければ気が済まない。たっぷりと屈辱を与え、後悔と恨みの中でアドフには死んでもらう。

 この僕に楯突いたのだから、そうならなければいけない。

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