第93話 side:マリエル
「白魔法〖レスト〗」
私が叫ぶと、杖先から光が出て、血塗れの村人を包む。
腹部に開いていた大きな傷が塞がっていき、顔色が幾分和らぎ、呼吸も落ち着いた。
これで、命に危険のありそうな負傷者は最後だ。
くらりと視界が揺らぎ、手から力が抜け、持っていた瓶を落としてしまった。
地に落ちた瓶が割れ、底に僅かに残っていた緑の液体が散らばる。
マナポーション。
魔力を即席で回復させる薬だが、その効果の分、副作用は大きい。
一日二瓶分飲めば、最悪死ぬことになる。
「マリエルさん、わ、私にも、その薬、使わせてください! まだ、屋敷の方にあるんですよね?」
立ち上がった私に、弟子のミリアが駆け寄ってくる。
今この村で白魔法を使えるのは私を除けばミリアくらいのものだ。
白魔導士の人手が足りない今マナポーションは有用だが、普通の人間であり、ましてや子供であるミリアにこれを飲ませるわけにはいかない。
成長が止まるだけではなく、寿命もごっそり減ることになるだろう。
「もう、命に関わる怪我を負ったものはおらん。あれを飲めば、成長が止まるぞ」
「でも、マリエルさんも成長……」
言いかけて、しまったというように口を塞ぐミリア。
この子のこういうところは好きだが、許容していれば、師匠としての関係が崩れる上に、この村の長老としての面子が立たなくなる。
私としてはそっちの方が良かったりするのだが、村のことを思えばそんな暢気なこともいってられない。
これからは、特に、だ。
荒らされた村を立て直すには、威厳ある指導者の存在が不可欠だ。
ただ歳を重ねていて白魔法が使えるだけの私より適任はいくらでもいるが、その候補者だった内の一人は、これを機に子供と村を出るつもりだという噂を耳にした。
年月が違えば思い入れも違うのだろうかと少しがっかりしたが、止めるつもりはない。
しかし、そんな話を聞いてしまえば、安易に他の者に押し付けよう気にはなれない。
「ワシを子供扱いするでない。だいたい、あの薬は高いものなのじゃ。命に危険のある者の治療は終わったのに興味本位で使いたいというのなら、20万Gワシに払うことじゃな」
私はあえて憎まれ口を叩き、ミリアの要望を断る。
実際、街で買えばそれくらいの値がする。
私が持っているのは安い材料だけ街で買い集め、高い薬草は森で採って自分で調合したものだから、掛かった費用は1000G程度だが。
「ぜ、絶対に、払います。将来……お金が、稼げるようになったら。ポメラちゃん、ずっと苦しそうにしてて……」
つい口許が綻んでしまったのを、私は手で隠す。
本当に優しい子だ。
「……後、一回分くらいならまだワシも使える。ポメラはワシが見に行っておく。ミリアは傷薬と包帯を辺りの家から譲ってもらい、掻き集めておけ」
「ありがとうございます!」
ミリアが頭を下げ、さっと走って行く。
……さて、約束してしまったものだから、またマナポーションを取りに行かなくてはいけない。
二瓶目まるごとは無理でも、半分くらいならそこまで問題はないはずだ。
元より、長すぎる寿命を持て余している身だ。
ちょっとくらい減ったって、後悔などするはずがない。
死んだ大事な人は庭に埋めることにしているが、その数も今では三つにまで増えてしまった。
気になることがあったのだが、後回しになってしまうな。
体調はマナポーションのせいで最悪だし、事は一刻を争うが、他の者に任せられるようなことではない。
闇竜の、追跡など。
気になるとはいえ所詮勘の範疇だし、かなりの危険も伴う。
追い掛けたい理由も、ただの私の我が儘だ。
あの姿……大昔に絵でしか見たことがないが、厄病竜だったか。
一旦屋敷に戻り、追加でマナポーションを飲み、ポメラに白魔法を掛ける。
ポメラが回復したのを確認してから、数人掛かりで医療具を集めてあたふたしているミリアに簡単な指示を出し、「少し屋敷で休んでくるから、後のことは任せる」と言い、私はこっそり村を出た。
気配を薄くする魔法を自らに掛け、森を走る。
ミリアはドラゴンに殺されかけたことを気に掛けていないように振る舞っていたが、村の状態を思えば塞ぎ込んでなどいられないと、そう考えてのことだろう。
内心では、かなり気にしているに違いない。
結果的に幸いしたとはいえ、闇竜が村人を殺したことには変わりない。
あれを村に連れてきたとなれば、ミリアの村での立ち場が悪くなることは避けられない。
死人に押し付けるようだが、数人に口止めを掛け、グレゴリーが闇竜を引き連れてきたことにするのが一番丸く収まる。
ミリアに了承してもらうのが難しそうだが、後々のことを考えれば間違いなく最善だ。
だが、その手を打つ前に、確かめておきたいことがある。
今回の騒動は、規模の割に死人が少ない。
村に入り込んだマハーウルフに喰い殺された者が一人、ドーズに斬り殺された者が一人、ロックドラゴンに殺された者が三人、それから闇竜に首を撥ねられたグレゴリー。
喜ぶのは不謹慎だが、あれだけのことがあって死者がたったの六人というのは奇跡だ。
グレゴリーの死体を後で確認したが、リトルロックドラゴンの起こした地割れに巻き込まれ、身体が潰れていた。
首を撥ねられたとき、グレゴリーが生きていたのかどうか、私にはそれさえ怪しく思えてくる。
負傷者に怪我の理由を聞いて回ったが、闇竜に襲われて怪我を負ったという者は、ただの一人もいなかった。
残虐と悪名高い厄病竜にしては被害があまりに少ない。
ミリアを襲ったことにしてもそうだ。
あんな至近距離から大振りで外すなど、普通では考えられない。
私程度の魔法で、あっさり身を退いたのも変だ。
弱点属性で攻撃したとはいえ、当たったのも所詮手の甲だ。
ひょっとしたら、全てただの偶然なのかもしれない。
私も長いこと生きていたし、そんなたまたまが重なることなんて、そこまで珍しいとは思わない。
それでも、引っかかるのだ。
村を守ってくれた英雄に誹謗を浴びせ、石を投げて追い返すような真似をしてしまったのではないか、と。
「うぷっ!?」
走っていると、吐き気が込み上げてくる。
私は一度立ち止まり、木に手をつく。
やっぱり、さすがにマナポーションを飲み過ぎたらしい。
頭の痛みが引くまで休憩しようと、木に寄りかかる。
もう、今日は戻った方がいいのだろうか。
あの闇竜も、もうずっと森の奥まで入り込んでしまっただろう。
奥に行けば、魔物の危険度も上がる。私の気配を消す魔法では、撒けなくなる。
一旦、立て直した方がいい。
そう自分に言い訳して立ち上がったとき、近くから大きな音が聞こえてきた。
大型魔獣同士の闘いか?
巻き込まれたらひとたまりもない。
そう考えて村の方に数歩進んでから、足を止める。
大型魔獣など、森の比較的浅い部分に、そう数のいるものではない。
片方はさっきの闇竜ではないのかと思い、振り返ってから、音につられて顔を上げる。
宙に、さっきの闇竜が飛び上がっていくのが見えた。
その手には不定形の魔物、スライムががっしりと掴まれていた。
空高くから闇竜はこちらを向き、それからすっと顔を背ける。
そしてそのまま、崖底へと一直線に急降下していった。
私は崖淵まで走り、崖底へと目をやった。
川の流れに呑み込まれたのか、闇竜の姿はもう見えなかった。
私が顔を上げると、同じように崖底を見ていた、大蜥蜴と目が合った。
大蜥蜴は私になぞ興味はないらしく、すぐに目線を川の先へと移す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます