第92話

 俺はスライムを強く抱きかかえる。

 スライムの針が俺の鱗を貫き、肉にまで到達する。

 しかしそれでも俺は、スライムを抱き締める力を弱めない。


 針玉状態のスライムにしゅっと一本の切れ目が現れ、それが開く。

 どうやら喋るために口を作ったらしい。


「君、何を考えている?」


 残念ながら、俺はこいつと違って喋れる能力がねぇから答えられない。

 あっても答えねぇけどな。


 俺はスライムを抱えたまま崖を目掛けて一気に駆け、地を蹴って翼を広げ、飛び上がる。

 空高くまで飛んだとき、わずかに人の気配を感じ、俺は地上に目を向ける。


 見覚えのある橙の三つ編みに、本人の背丈ほどある大杖。

 確か〖エルフィングル・ヒューマ〗だとかいう種族の、マリエルという少女だ。

 ぽかんと口を開け、俺を見上げている。


 なんだ?

 俺を追って来たのか?

 いや、でも、何のために? 俺に敵わないことは、わかっているはずだ。

 まぁ、理由はいいか。

 今人の目があるというのなら丁度いい。後の心配事が減った。


 黒蜥蜴が、俺を見て必死に鳴いているのが見える。

 あー、あの三つ編みの少女とかち合わなきゃいいんだけど……。


 結局、また黒蜥蜴を置いていくことになっちまうな。

 でも、仕方ねぇ。

 俺が森にいる以上、次々と俺を討伐するための剣士やら魔術師が送り込まれることになるだろう。

 〖竜鱗粉〗のことも気掛かりだし、馴れ親しんだ森での生活を捨ててついて来てくれなんて、そんなことは言えねぇ。


「おい、何を考えている厄病竜!」


 スライムが叫ぶ。

 俺はそれを無視し、どんどん高くへと飛んでいく。


 途中で、急にがくっと疲労感を感じた。

 俺の身体に刺さったままのスライムの針が、膨らんだり縮んだりを繰り返している。

 スライムの奴、〖マナドレイン〗か〖ライフドレイン〗かやってやがるな。

 飛行中に体力がなくなって墜落したら元も子もねぇ。

 高度はこの辺にして、一気にダイブしてやるとするか。


 崖の真上に滞空し、崖底を見下ろす。


 今更ビビんじゃねぇぞ、俺。

 俺に名前をくれたミリアのところに、こんな化け物を向かわせられるかよ。

 俺を名前で呼んでくれた、グレゴリーとの約束を破れるかよ。

 俺と親しくしてくれた黒蜥蜴や猩々のいる森に、こんな化け物残していられるかよ。


「は! また僕を、崖底に投げつける気かい? ワンパターンだねぇ。でも、こうするとどうなるかな!」


 スライムから触手やら針が伸び、俺の身体を刺したり巻き付いたりして来る。

 クソッ! HPがガンガン減ってやがる。

 こいつの攻撃力自体は低い。耐えろよ、俺の身体。


「これだけ絡みついたら、僕を下に投げることなんてできないだろう! 残念だったねぇ! 思考放棄して、一度対処された技を使うなんて! おかげで僕は、無防備な君を攻撃し放題だよ! ほら、ほら、ほらぁっ!

 へへ、リトルロックドラゴンに続いて厄病竜まで自滅してくれるなんて思わなかったよ! 安心するといい、君のスキルは全部、僕が引き継いで有効活用してあげるからさぁっ! 君の〖竜鱗粉〗があれば、モンスターの仕業だって露呈させずに、じわじわとあの村を滅ぼすことだってできる!」


 スライムは得意気に言うが、俺はむしろ、絡みつかれてラッキーだった。

 一番の不安点が、中途半端な状態で逃げられることだった。

 それをスライムが墓穴を掘って、閉ざしてくれるとは思わなかった。


「な、何を笑っている! 何がおかしい!」


 俺はスライムを掴む手に力を込め、〖痺れ毒爪〗でスライムの動きを鈍らせてから、一気に崖底へとダイブする。

 〖星落とし〗が蜘蛛の糸で回避されたのなら、今度は〖くるみ割り〗だ。

 しっかり押さえつけてっから、前の手段で回避することはできねぇだろう。


 上空まで飛んだ分に合わせて、崖底までの距離。

 これだけの高低差があれば、あのダメージ軽減スキルの羅列を持ってしても、大ダメージは免れられねぇはずだ。


「ばっ! や、やめろ! 直接底まで叩き付ける気か! そんなことしたら、僕だって、全力で君を巻き添えにしてやるからな! 崖底の濁流に呑まれたら、君だって無事では済まないはずだ! やめろ、やめろぉっ!」


 確かに、スゲェ川の流れだな。

 スライムをクッションにして墜落時の衝撃を和らげるにしても、俺の身体にこれだけ絡みつかれてっから、俺もそれなりにダメージを負うことになるだろう。

 そん後飛ぶ気力が残ってるとは思えねぇから、崖底の川に流されることになるだろう。


 そっから先俺がどうなるか、それはわからねぇ。

 ひょっとしたら死ぬかもしれねぇし、全然知らないところまで流されるかもしれねぇし、案外そう遠くないところで引っ掛かって止まるかもしれねぇ。


 だけどあの村がスライムの脅威に晒されることはもうなくなるし、俺が落ちてくのを村人が見ていたから、村に押し入ってきて人を殺した厄病竜に脅えながら暮らすこともないだろう。


「わかった! 僕の負けだ、あの村には行かないし、僕はこの森を出る! だから、だからァッ!」


 針玉状態のスライムが、大きな口を開けて叫ぶ。

 信じられるかっつうの。

 こいつが俺のステータス上回ったら、俺の力じゃまともに戦うことすらできなくなるっつうのに。


「やめろ、やめろ、やめろ!」「やめろ!」

「僕はこんなところで」「死んじゃいけないんだ!」「ヤメロ!」


 スライムの形が崩れ、至るところに口らしきもができていき、各々に俺を引き留める。

 俺はそれを無視し、崖下の川底を観察し、大きめの岩に狙いをつける。


「ガァァアアッ! コンナ、トコロデェッ!」


 スライムの身体から糸が伸び、崖の上へと飛んでいく。

 上に引き上げて落下速度を殺し、墜落時のダメージを軽減するつもりらしい。


「トドケェッ! トドケェッ! トド、トドイタ……」


 糸が崖壁に付着したところで、俺は片腕をスライムから引き抜き、爪で糸を断った。


「キミ!」「ヤメロ!」「オマエ!」「ヤメロ!」

「ヤメロ!」「ヤメロ!」

「イルジア”ァ”ァ”ア”ッ!」


 俺は体勢を変え、腕を勢いよく伸ばして、スライムを真下に突きつける。

 HP結構削られてるし、これミスったら反動で俺死ぬな。

 かといって保身優先したらスライムに逃げられる可能性もあるし、加減が難しい。


「ヤメロ」「ゼッタイ」「ヤメロ」

「ボクハ」「ヤメロ」「ドンナテヲツカッテモ」「ヤメロ」

「ナニヨリモ、ツヨクナル」


 いくつもの口が、文字通り口々に言葉を発する。

 そのせいで、どれが何を言ってんのか、ほとんど聞き取れねぇ。


「ヤメロ」「コンナトコロデ」「ジネナイ」

「ガミザマト」「ヤグソクジタ……ァ」


 川から覗いている巨大な岩に全体重と落下速度を乗せてスライムを叩き付けたところで、スライムの言葉が止んだ。

 岩が砕け、破片が飛び散る。

 俺の手の爪が割れ、腕の骨に激痛が響く。


 身体をモロに打ち付けないよう、足を伸ばして思いっ切り岩を蹴る。

 足裏の鱗が砕け散り、骨が歪む感触。

 だが、その甲斐あって、俺の身体が宙に浮く。


 安堵した瞬間、俺の身体に纏わりついたままだったスライムの触手が動き、俺の身体を岩へと押し付けた。


「グゥガァッ!」


 頭を岩に打ち付けたせいで、俺の意識が一瞬暗くなる。

 俺の足が川の流れに取られ、そのまま身体ごと濁流に呑まれた。


 俺の身体に纏わりついていたスライムの残骸が力尽き、剥がれていく。

 そしてそこで、俺の意識が途切れた。

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