第84話

 リトルロックドラゴンは、倒した。

 なぜドーズが卵を持って村に入ったのか、あの状態異常がなんだったのか、なぜスキルが消えていたのか、それはわからない。

 だが、とにかく、とりあえず、村の危機は去った。


 だからもう、後は去るだけだ。



「ひぃっ! 見逃してくれ! 見逃してくれぇっ!」


 俺と目が合った男が、動かない両足を引き摺りながら、腕の力だけで逃げようとする。

 摩擦でズボンが破れ、擦れて怪我したところからは血が流れている。


 これ以上、この村にいる意味はなさそうだ。

 いや、今だけではなく、二度とここを訪れる意味はないだろう。



「あ、あ、あいつがグレゴリーを殺した、殺したんだぁ!」


 誰かがそう叫んだ。

 その直後、背に衝撃を受けた。


「ガァッ!」


 魔法攻撃らしい。

 背に高熱が走ったが、さほどダメージはない。


 振り返れば、背丈ほどの大杖を持った、橙色の髪をした少女が立っていた。

 そしてその後ろには、唖然とした表情のミリアがいた。


「ちっ! やはりワシ程度の攻撃魔法では、どうにもならんか。鱗が硬すぎるの。ミリア、お前は倒壊した櫓の所にいる赤子を連れて逃げ……」


 ミリアは数秒固まった後、橙の髪をした少女の、杖を持つ方の腕にしがみつく。


「な、なにをするのじゃミリア! 放さんか! 魔眼にでもやられたか!」


「待ってくださいマリエルさん! あのドラゴンが、あのドラゴンが私の言っていたイルシアさんです! 大きくなってるけど、間違いありません! きっと何かの誤解です!」


「グレゴリーの頭部を見ろ、綺麗に切断されておる! ロックドラゴンに鋭利な爪はない! ドーズの錆びた剣でも無理じゃ! あの闇竜がやった以外に、何がある!」



 橙髪の少女は、名前をマリエルというらしい。

 ステータスを見てみると、HPは低いものの、意外とLvが高い。

 威力がさほどではなかったのは、本来回復専門だからのようだ。

 〖エルフィングル・ヒューマ〗という見たことのない種族だった。


 恐らく、竜退治の援護と、負傷した人の救助のために来たのだろう。



 マリエルはミリアを振り解き、再度俺へと杖を向ける。

 ミリアは俺とマリエルの間に飛び出し、俺に手を伸ばしてくる。 


「イルシアさ……」

「グゥルガァァァァアアアアアァッ!」


 俺は吠え、ミリアに向けて爪を伸ばす。

 彼女の耳のすぐ下に小指を掠らせ、そのまま地を抉る。

 ぱさり。

 彼女の毛が、数本宙を舞った。


「あ……あ、ああ……う、嘘……」


 ミリアが腰を抜かし、力なくその場に座り込む。

 そのまま、俺はもう反対の手をミリアへと伸ばす。

 ゆっくりと、今度は顔に狙いをつけて。


「ど、どうして……」


「光魔法〖ライトスフィア〗!」


 マリエルの放った光魔法が、俺の手に当たる。


「グァガァッ!」


 俺は大袈裟に痛がって見せ、数歩退く。

 それからわざと目を細め、マリエルを睨む。


 マリエルは一瞬怖気づいたようだったが、すぐに目に力を取り戻し、睨み返してくる。

 俺はマリエルからすっと視線を外し、地を蹴って翼を広げ、空へと飛び上がる。


 上から村を見下ろす。

 口に手を当てながら俺を見つめるミリアと、俺に大杖を向けるマリエルの姿が見えた。

 その他の村人達も、脅えた目で俺を見上げている。


 マリエルは数秒ほど俺に大杖を向けていたが、やがて下にそれを逸らした。

 射程距離がそう長くないからなのか、離れた俺を刺激しないためにそうしたのかはわからない。


 俺は村全体を見渡してから顔の向きを変え、視界から外す。

 そのまま、〖飛行〗で村を出た。




 〖竜鱗粉:Lv4〗がどう人間に作用するか、わかったものではない。

 ミリアがどう弁解してくれたって誤解を解くことはできないだろうし、誤解を解いたところで〖竜鱗粉:Lv4〗がある以上、人里に入るわけにはいかない。


 何もせず別れていたら、ミリアはきっと、俺を捜して森奥まで来てしまうだろう。

 あの子は、そういう子だ。

 だからこそ、はっきりと示しておく必要があった。

 辛くはあったが、今更だと、そうも思えた。


【耐性スキル〖孤独耐性〗のLvが5から6へと上がりました。】



 村を出たところで着地する。

 〖厄病竜〗の巨体を支えて飛ぶのは、かなりしんどい。

 〖飛行〗のスキルLvが上がればマシになるのだろうが、長時間飛ぶのは無理だ。


 もうちょっと距離を取った方が良かったのかもしれないが、まさか村人達も追い掛けてくるようなことはしないだろう。



 着地してからは、洞穴への道を歩いた。

 走るべきなのだろうが、身体の重さがそれを許さなかった。


 HPは自動でどんどん回復しているが、疲労感は拭えない。

 悲しみや虚しさが取り払えないように、それは〖HP自動回復〗の領分ではないらしい。

 〖疲労自動回復〗とか、〖精神負荷耐性〗とか、そういうスキルがあってもいいんじゃなかろうか。

 それは勝手にやってろってことか。



 しばらく歩いたところで、見たことない花が目についた。

 白をベースに、赤い斑点模様がある花弁。

 綺麗に並んだその花弁の配置は、純白と合わさり、どこか気品と気高さを感じさせた。

 控え目な赤の斑点は、その印象を崩すどころか、絶妙なバランスで助長させている。


 綺麗な花だったから、つい足を止めた。

 ほんのりと甘いような、鼻腔をくすぐるような、春を連想させるいい匂いがした。


 爪先で摘もうとしたのだが、どうにも上手く行かなかった。

 俺の今の身体と比べて、その花はあまりに小さすぎた。

 俺の爪で、花弁がばらばらになって崩れ落ちる。

 花弁を失くした茎だけが、俺の手に寂しげに残る。


 〖人化の術〗を使ってから摘むべきだったかもしれん。 

 そう後悔させられちまうほど綺麗な花だった。


 せっかくだから、花の情報だけ確認しておくか。


【〖イルシア:価値D+〗】


 思わず、唾を呑み込んだ。

 聞き覚えのある……っつうか、俺がミリアからもらった名前だ。


 そういえばミリアは、自分の好きな花の名前だと、そう言っていた。


 ミリアのことを思い返すと、心が傷んだ。

 俺がこの名前を背負って生きて、いいものなのだろうか。


 俺も暢気にいつかその花を見てみたいものだとあの時思っていたが、まさかそれが今見つかるとは思わなかった。


【赤と白の配色が美しい花。】

【贈り物に好まれるが、この花は魔物の生息する地にしか咲かないといわれている。】

【だが、上記の理由もまた、贈り物に好まれる所以のひとつであったりもする。】


 こんなに苦労してあなたのために取ってきましたよって感じか。

 プレゼントと同時に強さのアピールもできるってわけか。


【花言葉は勇敢な者、勇者。あるいは、勇気。】


 手の中で散った花を見て、胸底から罪悪感が湧き上がってくる。

 ミリアは、どんな想いで俺にこの名前を渡したのだろうか。



「グォガァァァァァァァッ!」


 俺は衝動に駆られるように吠えた。

 木にとまっていた小鳥の群れが散って飛び立ち、遠くからグレーウルフの悲鳴のような遠吠えが聞こえてきた。


 消せ、消してくれ。

 俺がミリアからもらった名前を使い続けていいはずがない。


【名前は一度決定すると、変更することはできません。】


 頭に、メッセージが浮かび上がってくる。

 俺がミリアから名前をもらったときにも浮かんできたものだ。


 まるで俺を嘲笑っているようで、ただただ、それが不快だった。


 俺はすでに散った少女の希望が込められた名を背負いながら、これからも生きていくのだろう。

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