第55話 side:メルティア
洞穴の中を軽く見渡す。
洞穴は内部が煉瓦張りになっていて、奥には壺が並んでいる。
壺を覗いてみようかと考えたが、そんな悠長なことをしている場合ではないかもしれない。
すぐにここの宿主が帰ってくる可能性がある。
私はユノの方を向く。
「一旦、引き返すぞ。少し不可解なことが多すぎる。あまり長居していてもロクなことにならなさそうだしな」
「ふー良かったぁ、よーやくその考えに至ってくてましたかぁ。正直ユノちゃん、ここにいるとなんだか生きた心地がしないんですよぉ。野生の勘っていいますかぁ、なんか毒っぽい匂いがするといいますかぁ……」
ユノが答えた瞬間、洞窟の方から「ガァァッ!」と、ドラゴンらしき鳴き声が聞こえてきた。
私は咄嗟にユノの口を塞ぎ、言葉を中断させる。
こんな狭い袋小路でドラゴンに捕まったら、どうなるかわかったものではない。
ドラゴンの鳴き声が止んで数秒ほど待ってから、私はユノの口から手を退ける。
「……すぐに出るわけにはいかなくなったな。あのドラゴンが遠くに行くのを待つことにしよう」
「は、はひぃ……」
そのとき、がさりと洞穴奥から物音が聞こえてきた。
ユノが素早く、音の方へと光るキノコを向ける。
「キシィッ!」
舌を伸ばしながら鳴く、大きな黒い蜥蜴。
「な、なんですかぁ!」「絶対に近づかれるな!」
ベネム・プリンセスレチェルタ、毒姫の異名を持つDランクモンスターだ。
強力な毒性ばかりが危険視されているが、真に恐ろしいのはその知能の高さだといわれている。
幸い、ベネム・プリンセスレチェルタは私達を避けて洞穴の外まで走って行った。
良かった。
二人掛かりで戦えば勝つこと自体は難しくないが、恐らく解毒ができずに二人共死ぬことになっていただろう。
Dランクである種最も危険なモンスターだ。
「まったく……ここは、本当になんなんだ」
一刻でも早く出たかったが、外にはまださっきのドラゴンがいるかもしれない。
もう少し待機しておく必要がある。
「メルティア様ーなんかこの壺、香辛料が入ってるみたいですよ。見たことない奴ですけど」
「香辛料だと? なぜこんな所に……」
ユノの覗き込んでいる壺の中身を見れば、赤い粉がいっぱい入っていた。
その香りは鼻腔を刺激し、空腹感を増長させる。
一度だけ、商人の護衛に付き添ったとき、この香りを嗅いだ覚えがあった。
「まさか、赤い砂金か!?」
「え、て、ひょっとして、ピペリスですかぁ?」
ピペリスとは、この香辛料の元となっている植物のことだ。
とんでもなく高い価値がついているため、商人の間では干して潰して粉にしたピペリスを『赤い砂金』という名で呼んでいる。
実際、資産としてピペリスを持っている貴族もいるという話だ。
国や景気の状態によっては金よりも価値の変動が大きいため、行商人達によく好まれる。
単価は高いが、ピペリスの行商を行うための元手を貸してくれる専門の金貸所もあるくらいだ。
そこのせいで夢に破れ、首を吊る行商人も少なくないらしいが……。
問題なのは、その『赤い砂金』がなぜ当たり前のように大壺三つ分ほどあるのかという話だ。
「ユノ! ユノちゃんこれ、持って帰る! 手持ち袋に入る分だけでも……」
「や、やめておけ! 厄介な事件に首を突っ込むことになるぞ!」
ようやく全貌が見えてきた。
恐らく、ここは昔の村人が造った祠だ。それは間違いない。
こんなところに建てなくともと思うが、信仰心を示す一環として危険な場所に神聖な建造物を建てる、という風習を耳にしたことがある。
ここもまたその一種であったか、それとも昔はここもさほどモンスターがいなかったか、そのどちらかであろう。
だが、今ここに住んでいるのは、恐らくただの盗賊団だ。
行商人を襲って『赤い砂金』を奪い、ほとぼりが冷めるまでここに身を隠そうとしているのだろう。
今はなるべく刺激しないようにここを去り、後でこのことを他の冒険者に伝える必要がある。
これだけの『赤い砂金』があるのだから、行商人もかなりの護衛を雇っていたはずだ。
それを打ち倒して略奪し、ばかりかこのモンスター溢れる森の奥地を隠れ家に選ぶとは、相当腕に自信のある集団に違いない。
私とユノだけではまず対処できない。
今はなぜか全員いないようだが、もしも盗賊団が戻ってきたら……そう考えると気が気ではなく、私は思わず洞穴の出口に目を走らせる。
巨大な黒い尻尾が一瞬ながらにくっきりと見えた。
さっきの鳴き声の主であるドラゴンが、洞穴の外で私達を待ち伏せにしている。
無言のまま私はユノを見る。
ユノも引き攣った顔で私を見る。
「あの、あのぅ……あの尻尾ってぇ……」
「間違いない。まだ小さいようだが、厄病竜だ。どうやら、戦闘は避けられないようだな」
「ひぃっ! や、厄病竜ってぇ、かなりヤバいドラゴンですよねぇ! なんで、そんなのがこの森に……。ユ、ユノちゃん嫌ですよそんなのとまともに戦うのぉっ!」
「……落ち着けユノ、あのサイズならDランクモンスターの範囲内……の、はずだ」
私は必死に頭の中から厄病竜に関する情報を掻き集め、整理する。
厄病竜に関しては、あまり信用できる記録が残っていない。
それはそのまま、遭遇した人間の生存率の低さを物語っている。
逸話のようなものなら残っているが、さすがに誇張が過ぎていると思いたい。
目にした人間はいずれ病魔に冒されて苦しんで死ぬだとか、残虐趣味で格下を狩るときには甚振るために人間の姿を模すときがあるのだとか、その手のエピソードならば幾らでもあるが、参考になりそうにない。
全部真実だとしたら、今の状況は詰んでいる。
得ても絶望しかない情報なら、ない方がまだマシだ。
「痺れを切らし、向こうから姿を見せるはずだ。ユノは力任せに先制攻撃を仕掛けて、隙を作ってくれ。その間に私が仕留める」
「は、はいぃっ!」
ユノが光るキノコを投げ捨ててハンマーを両手で握り締め、足音を殺しながら洞穴の出口へと向かう。
私はその斜め後ろを歩き、剣を構えて感覚を研ぎ澄まさせる。
ユノがピクリとこめかみを震わせ、ハンマーを振りかぶる。
ユノは勘がいい。敵が来る、というのを感じ取ったのだろう。
入り口で張り込みをしていたモンスターが、ついに姿を現す。
赤黒く堅い体表を持つ、人型の化け物。
人型、されど目はない。鼻もなく、耳もない。
口だけが頬に渡るほど大きく、その狭間からはずらりと鋭い牙が並んでいるのがわかる。
禍々しい爪をこちらに向け、化け物は嗤った。
さっきのドラゴンであることは間違いない。
ふと、厄病竜の逸話を思い出す。
格下と対峙し、相手を甚振るとき、人の姿を模すときがあると。
まさか、あれは本当なのか。
だとすれば、私達二人は格下と見なされたということだ。
そして今から嬲り殺されるのだろう。
勝てない。無理だ。
蹂躙された末、惨殺される。
今すぐにでも剣を喉に立て、そのまま自害してしまいたい。
魔物を前に、そんな感情が湧き出てきたのは何年振りのことだろうか。
剣先の向きを自分へと変えようとしたとき、ユノの不安そうな顔が目に入った。
今、私は彼女の命をも預かっている状態なのだ。そのことに気付かされ、精神をなんとか持ち直す。
「臆するなユノッ!」
私が一喝すると、ユノは手からすり抜けかけていたハンマーを握り直す。
「はっ、はいぃっ!」
ユノはハンマーを振るい、化け物の腹をぶん殴る。
「ブガァッ!」
化け物は軽く宙を飛び、けれども体勢を整えて上手く着地する。
私は一歩前に出て、月光に剣を翳す。
残りMPをほとんど使ってしまうが、出し惜しみして殺されては元も子もない。
「〖ルナ・ルーチェン〗」
月明かりを帯びた剣が幾多もの光の球体を作り出す。
光は化け物に襲いかかり、小さな爆発を起こす。
化け物の身体を壊し、宙に跳ね上げる。そのまま化け物は、腹部を地面に打ち付ける。
「ガ、ガァ……」
さすがにこれをくらって無事なはずがない。
はずはないが、まだ油断はできない。
トドメを刺そうとユノがハンマーを振るうが、私は手で合図を送り、それを制止する。
そろそろ厄病竜も元の姿を現すはずだ。
先手を討てた程度で善戦できているのは、厄病竜が私達を舐めきって人間の姿を模しているという部分が大きい。
ドラゴンの姿に戻れば、動きも鱗の堅さも今とは段違いになるはずだ。
反撃に出られるより先に逃げるべきだろう。
ユノと目を合わせてから小さく頷き、私達は村の方へと走る。
途中で振り返ったが、化け物が追ってくる様子はなかった。
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