第36話 side:ミリア

 私は一人、森を歩いていた。


 村近くの森には魔物が出る。

 浅いところならばキノコや薬草を採りによく行くけれども、こんなに深いところまで一人で来たのは初めてだった。

 マリエルさんが知ったら怒るだろうな、と思う。

 それでも、私はどうしても森に行かなくてはいけなかった。


 本当はせめて誰かに付き添ってもらうべきなんだろうけど、ドーズさんが行方不明になり、グランツさんが殺されたばかりだ。

 しばらく前に負傷した大きなドラゴンが森の方へ飛んでいくのを見たという話もあって、誰も森に行きたがらなかった。


 私も危ないことなのはわかっているし、しつこく頼むわけにはいかない。

 それに、あまり村中に頼んで回っているとマリエルさんの耳に入るかもしれなかった。

 だから結局、一人で森奥まで進むことになった。


 元々、守り神様を怒らせるんだとかで、森深くに入るのは禁忌とされている。

 最近は形骸化している節もあるけれど、年長者ほどそのことを重く見ている傾向にある。

 森に入ろうとする冒険者のことも、あまりいいふうには考えていないようで、マリエルさんもその一人だ。


 マリエルさんのああいう村の風習を重んじる面を見ると、やっぱり長生きしてるんだなぁと思う。

 あんなに小っちゃくて可愛いのに。



 耳を澄まして周囲に警戒を払い、足音に気を付けながら慎重に奥へと進む。


 大丈夫。

 私だって一応、魔法を使える。

 ちょっとくらいの魔物なら追い払える。


 脅えながら歩いていると、がさり、背後の草むらが揺れる音がした。

 慌てて振り返る。

 

 私とほぼ同じ大きさを持つ巨大な芋虫、ダークワームだった。

 黒い身体をうねらせながら、私へと近づいてくる。


 びっくりしたけど、同時にほっとする。

 ダークワームくらいなら、私でもどうにかなる。


「火魔法、〖ファイアボール〗!」


 杖先から出た炎が、ダークワームの目前に落ちる。

 ダークワームは後退し、そのまま逃げて行った。


「ふぅ……」


 ダークワームの姿が見えなくなってから、私は安堵の息を吐く。

 マリエルさんが言うには、ダークワームはFランクの魔物らしい。


 Fランクは、一般人でも対処出来る程度の危険性の低い魔物を示して使うらしい。

 これくらいの魔物ならば、私にでもなんとかなる。


 Eランクは獰猛な大型犬程度だ。

 私は逃げるしかないけど、ドーズさんなら一人で対処できるだろう。


 ただDランクともなると、危険性は一気に跳ね上がる。

 Dランク下位の魔物で平均的な冒険者ひとりと同等の力を持つといわれている。

 Dランク上位の魔物となれば、平均的な冒険者が三人がかりでようやく仕留められるレベルなんだとか。


 Cランクともなれば、熟練の冒険者四人が事前に対策を練ってから挑む必要がある。

 場合によっては、単体の魔物に対して大きな街の方にまで行って討伐依頼を出すこともある。


 私がひとりで対処できるのは、Fランクまでだ。

 Dランクの魔物と遭遇したら刺激しないように逃げるか、追い掛けてくるようならダメ元で火を放って足止めするしかない。

 出会った瞬間、命の危険がある。

 そしてこの森では、その機会は少なくない。



 それでも私は、どうしても森に行く必要があった。


 森の方で釣りをしていたベルツさんが、行方不明になったドーズさんを見たと言ったのだ。



 ベルツさんの話によれば、村と森との中間にある池で釣りをしている最中に、森の方から視線を感じたらしいのだ。

 それでふと顔を上げてみれば、木々の間からこちらを見ているドーズさんがいたのだとか。


 ドーズさんは明らかに様子がおかしく、ブツブツと何か独り言を口にしていたらしい。

 声を掛けるとニタリと笑って、かと思えば今度は何かに脅えるように、片足を引き摺りながら森奥へと走っていったという。

 服はボロボロで頬は痩せこけており、唇の先まで不健康に青白く変わり果てていた……と。



 あの状況で、森に取り残されたドーズさんが無事だったとはどうにも思えない。

 それに、村近くまで来ていたのに引き返した……というのも不自然だ。


 結局、村の中ではベルツさんの話は、お酒を呑みながら釣りをしていたベルツさんの見間違いだということで落ち着いた。元々ベルツさんはお酒が好きな人だった。

 森には霊が出るという迷信も、そのイメージの増長を手伝った。

 霊に脅えながら酒なんか呑んでるから、そんな幻覚を見るんだ、と。


 ベルツさんは『その日は酒なんて呑んでいない』と言っていたけれど、誰も信じやしなかった。

 池へと向かうベルツさんがお酒を持っているの見た、と言う人も現れ始めた。

 ある人は『あれだけ騒いで酒の勘違いと認めるのが恥ずかしいんだろう』と言った。


 要するに、認めない方が都合が良かったのだろう。


 もしまだ生きていて森の中をうろついているのならば、本来ならばすぐにでも若い男の人で隊を組み、捜索に当たるべきだからだ。

 捜索隊に選ばれた人が命を落とす危険性もあるが、この村では助け合いがモットー。

 基本的に、こういう状況でただ見捨てることはご法度とされている。


 実際、昔行方不明事件があったときは捜索を行ったらしいし、当時のことを武勇伝のように話しているのも何度も聞いたことがある。


 でも今は、当時以上に皆が森奥を恐れていた。

 ドーズさんの普段の言動を気に喰わないと思っている人も多い。

 それらの理由のため、捜索隊を組みたくないのだ。


 目撃情報を認めた上で、ドーズさんの異常な様子や大型ドラゴンの噂を引き合いに出し、今は森に何が起きているかわからないからリスクが高過ぎるから捜索隊は組まない、と明言してしまうこともできるだろう。

 でもそれよりも、ドーズさんはとっくに死んでいて、見たというのは臆病な酔っ払いの戯言だと、そう片付けてしまった方が後味が良かったのだ。


 だから、きっと、そういうことなのだろう。

 ベルツさんが酒を持っていくのを見た、という話が本当なのかどうかも、はっきりいってかなり怪しい。



 ドーズさんの身に何があったかはわからないけれど、ベルツさんの言っていたことは、きっと正しい。

 私はドーズさんを捜すため、森深くに入る決心をしたのだ。


 あの日、私がドーズさんを止められていれば、こんなことにはならなかった。

 マリエルさんに相談するなり、グランツさんを説得するなりしていれば、ロックドラゴン討伐は止められていたかもしれない。

 それができたのは、私だけだった。


 私が、私が責任を持ってドーズさんを見つけなくちゃいけない。


 ドーズさんはそこまで奥にはいない……と、思いたい。

 一時期とはいえ、村近くまできていたのだから。

 だから、あくまで村の周辺……そこから少し、踏み込んだ辺り。


 この辺りなら……まだ、そこまで危険な魔物は出ない……はず。

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