第9話

 ミリアを背負いながら、俺はただただ森の中を走っていた。

 リトルロックドラゴンは追ってはこなかったが、血の匂いのせいか灰色狼に目をつけられたようだ。

 それも一体ではなく、複数いる。少なくとも三体。

 真っ向から戦えば勝てそうだが、ミリアを守りきれるかどうかはわからない。


 灰色狼共はこちらに姿は見せていない。

 しかし微かに、不自然な音が耳に入ってくるのだ。

 すぐに行動に起こしそうな雰囲気ではないが、確実に準備を整えている。


 今の戦力で敵わないと踏んで撤退を検討しているのならいいのだが、戦力を強化するため仲間を呼ぶ係と、見失わないよう追跡する係で分かれている可能性がある。

 グレーウルフは仲間の臭いを嗅ぎつけることに秀でているため、そういう行動に出ることが多いらしい。

 神の声が説明してくれたことがある。


 すぐに襲ってくるようでないのなら、相手の撤退を信じて放置するしかない。

 ミリアのことを思えば、先に潰してやろうという余裕はない。


 ミリアはHP、MP共に既に雀の涙だった。

 しかも彼女のHPはたまに減少している。

 最初は気のせいかと思ったが、心配で何度も確認している内にそれに気が付いた。

 恐らく原因は状態異常、〖流血〗にある。

 このペースだと彼女は後五分も持たない。


 俺、弱いじゃん。

 ステータス見て格下狩って強くなった気でいたけど、俺、弱いじゃん。

 全然戦えないじゃん。

 やっと人間を見つけたのに、せっかくちょっとだけ仲良くなれた気がしたのに、誰一人守れないじゃん。


「ガァァッ!」


 ベビードラゴンの咆哮。

 あの小岩竜と違い、周囲を脅すことなどできないかもしれない。

 カモがいると知らせ、外敵を寄せ付けるだけかもしれない。

 そう考えていても、俺は叫ばずにはいられなかった。胸中に渦巻くもやもやを少しでも取り払いたかったのだ。


 もっと強くなりたい。

 あんな不格好なドラゴンくらい楽々粉砕できる。そんな強さが欲しい。


 走れば走るほど、ミリアの生暖かい血が俺の身体に流れてくる。

 それは彼女の身体から生命力が奪われていっていることを意味した。


「ガァァァァツ!」


 俺は叫ぶ。

 助けを求めるように叫んだ。

 けれど返ってくるのは獰猛なモンスターの唸り声と、反響する自分のちっぽけで情けない声ばかり。


【称号スキル〖救護精神:Lv1〗を得ました。】


 そんなもの得ても……気持ちだけじゃ、何もできねぇじゃねぇか……。


 いや、待てよ。称号スキルも、何かしら付与効果があるはずだ。

 〖歩く卵〗の称号スキルも、経験値を倍増してくれる効果がある。

 そもそも〖スキル〗とついているからには、普通に考えれば何かしらを可能にしてくれる技能のようなものであるはずだ。ひょっとしてこれも何かできるんじゃねぇのか?

 おい、答えろよ神の声ッ!


【特性スキル〖神の声:Lv2』では、その説明を行うことができません。】 


 ふざけてる場合じゃねぇだろ!

 命が懸かってんだぞ!



【特性スキル〖神の声:Lv2』では、その説明を行うことができません。】


 嘘だ!

 お前が送ってきた『強くなれ』と『逃げろ』のメッセージは、どう考えても意図して無理にねじ込んできたものだろうが!

 どこの誰だか知らねぇが、それはそんな融通の利かないもんじゃねぇんだろ?

 もう時間がねぇんだよ!


【特性スキル〖神の声:Lv2』では、その説明を行うことができません。】


 繰り返される、同じ答え。

 壁に向かってボールを投げているような不毛な感覚。

 底知れない正体不明の物に触れてしまったという、妙なざわつき。


 神の声は役に立たねぇ。

 どうすればいい?

 どうすればミリアを助けられる?


 考えに考え、俺を支配するシステムの矛盾から思い返し、そして一つの案に到達する。

 なんとなく相手の言っていることがわかるようになったとき、俺は〖グリシャ言語〗の特性スキルを得た。

 しかし、スキルを得たからと言ってそこから更に発展があったわけではない。

 細かい部分は何もわからない。


 だから、つまり、逆なのではないかという考え。

 スキルがあるからできるのではなく、あのステータスとやらはただできるようになったことを記しているだけではないかと、そういう考え。

 あんな数値に世界が縛られているなど、そうは考えられない。

 だから逆なのだ。

 あのステータスとやらが世界を創るのではなく、すでにある世界を読み取ってデータ化したものがあのステータスなのだ。

 それでも謎は残るし無論これは憶測でしかないが、そっちの方が現実的で筋は通っている。


 つまり、何もないところからポンとスキルが生まれるわけではない。

 身体の構造上だったり、力の及ぶ範囲だったり、そういうものがスキルとして表示されるのだ。


 俺だって魔力はある。

 練習すれば俺でも、回復魔法を使えるようになるはずだ。

 いや、不完全なものであれば今すぐにでもできるかもしれない。


 俺はミリアを背中から降ろし、地の上に寝かせる。


 思い出せ、彼女に魔法を掛けてもらったときのことを、あのときの光を、感触を。

 ミリアのステータスを見るに、回復魔法は〖レスト〗というはずだ。


 心の中で〖レスト〗と念じながら、必死にあのときの光景を思い浮かべる。


 〖レスト〗、〖レスト〗。

 駄目だ何も起きない。


 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗!

 今何かを掴めた気がする。


 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗!


 ぐらり、脳を揺さぶる急な疲労感。

 疲労感? 念じているだけで?

 俺のMPが減っているということは、魔法が成功しかかっているということではないのか?



 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗!

 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗!

 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗!

 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗! 〖レスト〗!

 


 何十回も繰り返した頃、じわりと辺りを光が包み、ミリアの傷がわずかに癒える。

 いける!

 俺は魔力の続く限り、〖レスト〗を繰り返し続けた。


 自分の息が上がり、限界を感じてからステータスを確認してみる。

 自分のMPが0になり、ミリアのHPがちょっとだけ回復していた。


 俺のMPを全部使い倒してもこれだけかよ……。

 いや、しかし、〖流血〗のバッドステータスも消えている。

 これで死は免れたはずだ。


【称号スキル〖救護精神〗のLvが1から3へと上がりました。】


 称号スキルはいいから〖レスト〗をスキル認定してくれねぇかなぁ……。

 今の段階だと本来の五分の一くらいの効果しか出せていなかったような気がする。


 とりあえず流血死の危険性はなくなったが、HPの少ないミリアを安全なところまでどうにか運ばなくてはならない。

 森を抜け、人間の集落を探すしかないか。


 俺が見つけたとき、ミリアはHPとMPがあまり減っていなかったし、疲労している様子もなかった。

 案外人里は近いのかもしれない。

 ミリア達が来た方向へ、ひたすら走ってみよう。

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