第5章 成れ、主役に。

第23話 幻想

”ビービービービー、ビービービービー”

 部屋にアイフォンのアラーム音が響く。

 俺は寝ぼけたまま右手でアラームを止めた。外はすでに明るく、どこかポカポカした陽気だ。

 もう少し寝るか、と寝返りを打とうとした瞬間、身体に不思議な違和感があることに気付く。左手の感覚が、ない。左手に幽霊が憑りついているかのような、ずっしりとした重みがある。

 これはおかしいと思い、左手を確認する。そこには、自分以外の誰かの姿があった。

 俺の左手の上で、羽島さんがかわいらしく眠っていた。

 小さな顔に花柄の可愛らしいパジャマを着て、無防備に眠る羽島さん。その姿はまさに天使と形容するのが相応しい。

 そうか、俺は昨日羽島さんと寝たんだ。

 羽島さんを軽く抱きしめてみる。小動物のような華奢で柔らかい羽島さんの身体は、強く抱きしめたら壊れてしまいそうだ。

 やばい、どこをとっても完璧にかわいい。

 でもなんで俺羽島さんと寝てるんだ……? まあいいや。

 もう一度羽島さんを抱きしめようとしたその刹那、”バン”と大きい音を上げて、部屋のドアが開かれる。

「オサワリハ、禁止ダ‼」

 なにやらガタイのいい黒のスーツを着た黒人たちが部屋に入ってくる。

 黒人たちはすぐさま俺の周りを取り囲む。そして、気が付けば手足が拘束されていた。

 黒人たちは強く俺を睨んだ後、一斉に俺をくすぐりだした。見た目からは想像できない器用さで、脇の下やら足の裏を撫でまわす。

「くすぐった……、やめっ、……ギャー--‼」


”ビービービービー、ビービービービー”

「はっ……!」

 部屋にアイフォンのアラーム音が響く。

 俺は必死に右手でアラームを止める。……もちろん左手には誰もいない。

「ゆ、夢か……心臓に悪い」

 前半までは桃源郷でユートピアでエデンの花園だったけど、後半はトラウマになりそうなくらい怖かった。

 神様に半分感謝、半分怨嗟だ。

「はぁー……」

 朝から異様な疲労感に苛まれるが、気を取り直し布団をのけてベットから降りる。

 パジャマを脱ぎ制服に着替えながら、俺はのことを考えていた。

 あの人とは、言うまでもなく夢の中でも最強の輝きを放っていたあの人だ。

 羽島さんの好きな人である上峯が下校中にキスをしていたのを目撃してしまった終業式の日から、もう二ヶ月ほどが経つ。早いもので先輩の卒業式や春休みが近づいてくる頃だ。

 あれからの進展というと……、ほとんどゼロだった。

 というか、あれ以来ほとんど話せていなかった。

 羽島さんを好きな気持ちは全く変わっていない、というよりも、その気持ちは高まっていく一方だ。

 でも、羽島さんと目が合ったらすぐに逸らしてしまう。自分から話しかけることも出来ない。

 ”好き避け”というやつかもしれない……。

 めちゃくちゃ好きだけど、余計に意識しすぎてしまってうまく行動できない。話しかけようとしても恥ずかしがってしまう。

 それに、あの上峯イケメンが好きだった羽島さんは俺なんかと釣り合ってなさすぎる、とか思ってしまう。俺が羽島さんに近づくなんて、もはやおこがましいんじゃないかって思う。

 終業式のあの日は「羽島さんを彼女にする!」ってあんな意気込んでいたのに、ほんと情けないな……。

 俺は自己嫌悪に陥りながら洗面所に向かう。

 今日こそは羽島さんと話したいなぁ。

 そんなことを思いながら洗面台の前に立ち、顔を水で洗う。その後、洗顔ネットにチューブの洗顔料をつけ泡立てて、顔全体に泡を満たし丁寧に洗い流す。そして、手に五百円玉くらいの量の化粧液をなじませて顔にやさしくつける。同様に乳液もつけ、手で顔全体を圧迫する。

 終業式のあの日から、スキンケアを始めた。前までは化粧水はおろか、洗顔料すら使っていなかった。しかし、ネットで一からスキンケアの勉強をして、今では普通の女子くらい肌への意識が高い自信がある。

 あの日から、髪も伸ばしている。うちの野球部は坊主が強制ではなかったが、今まではなんとなくずっと坊主にしていた。しかし、今はサイドを刈り上げ、さっぱりとした爽やかな髪形にしている。

 俺は、かっこよくなる努力をしていた。

 それもこれも全て、あの人のため。

 終業式の日の誓い。

 上峯に負けないようなかっこいい男になってやる。

 羽島さんはあのかっこいい上峯が好きだったんだ。俺みたいなかっこよくないやつのことなんて、好きになるわけがない。

 でも、振り向いてほしい。羽島さんに俺のことを見てほしい。少しでも羽島さんと釣り合う男になっていたい。

 そんな想いから、自分磨きを始めた。

 いつか絶対上峯よりもイケメンになってやる。

 俺の誰にも知られていない挑戦は続いている。

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