3-7
――不必要に他者を壊したいと思ったことが俺様には、ある――不死身のミア。
あれはいつのことだったか、俺様も今となっては鮮明に思い出すことができないでいる。初めて人間を見たときのことだったかもしれないし、初めて人間を殺したときだったかもしれない。そのどちらかだったことは、記憶しているが、イマイチ腑に落ちないでいる。けれど、どちらでもいいのだろう。その程度のこと、人間が絶対的弱者である虫を潰すのと同様に、俺様には人を殺したか殺していないかは重要じゃない。
大事なのは、絶対的弱者と見(まみ)えたとき、何を感じたかということだ。
それから何をもってしてその存在を弱者と見なしたのか。
「ミア様ミア様、あとどれくらいで最下層でしょうか」
「ああ? んなもん知るかよ、そんな顔すんな……あと少しだろ、多分」
弱者と強者、不完全と完全、実のところ俺様は、自分自身のことを究極存在だと認めている。精神と身体が分離しているが故の不死性、他者を破壊するべく生みだされた戦闘兵器としての機能、それらを併せ持った俺様にとって世の中のあらゆるものは、下位者とならざるを得ないだろう。少なくとも物理的な意味においては、そう結論付ける他ない。
けれど、俺様はそんな理論を基に人間を下位者と見なしたわけではない。そもそも理論や理屈と言ったロジック的思考であったかと問われると、寧ろ正反対だ。
俺様はただ――奴らを見て壊したいと直感しただけだった。
細胞レヴェルで破壊し尽くしたいと渇望し、そこに愉悦を見出したに過ぎない。
とは言え、勘違いされても困る。渇望だとか愉悦だとか、そう言った感情は事後の話であって、俺様自身殺しはよくないと思っている。何があっても許されるべきではない。
その証拠に俺様が殺したのは、俺様を生み出した奴と破壊兵器としての使命を全うするために戦った数万人程度だ。
不必要に殺人したことは一度もない。
「ところでよ、アネモネ」
「はい、何ですか?」
俺様は、隣で台車に運ばれているアネモネに声を掛け、しかしすぐに言葉は見つからず、暫く彼女を見つめた。何と言おうとしたのか、思い出せなかったからだ。
ふうむ、俺様はどうもこの女とお喋りがしたいらしい。
そして俺様は、思い出した。
「お前って趣味とかあるのか?」
何故人間を殺したのか思い出したのである。
それは単純に言語が通じなかったからだった。あいつらは、俺様のことを無機物の発明品としか考えていなかったらしく、こちらからどれほど話しかけようともまともに取り合うようなことはしなかった。
奴らは、言語も通じない上、コミュニケーションも取れない。加えて、何を考えているのかも分からない自分とは違う存在だ。そんな正体不明を前にしたとき攻撃せずにいられる者が、果たしているのだろうか。
だから俺様は殺した。虫を潰すみたいに訳もなく、気持ち悪さで殺した。肉塊のサイコロになるまで切り刻み、木っ端微塵になるまで叩き潰し、飽きるまで滅してやった。
きっと理由とは呼べないような理由で、殺した。
「趣味は、そうですね下手ながらに絵を描いています。昔から美しい景色を見るのが、好きだったので」
「ほほう。お前は、目が悪い癖に視覚に頼った趣味をしているのだな。まあ、苦手を克服していく姿勢には、素直に好感を持てる……あと絵なら俺様も書いたことがあるぜ」
「え、本当ですか? ぜひ、見てみたいです! どんな絵ですか?」
「もう捨てた、何せ画材が人間の血肉だからな。腐ってしまったわ」
「うわあ……すごくグロテスクだった」
「まあ冗談だ。とは言え、お前の絵には興味がある。いずれ見せてもらうとしよう」
口約束をするとアネモネは、嬉しそうに笑っていた。そんな彼女に俺様もスマイルマークを返した。笑い合うこと、それは俺様たちにとって居心地の良さを伝え合う行為となっていた。
しかしながら、それはどうしてなのだろうと俺様は考える。
人間殺しの俺様が、人を虫以下としか捉えていなかった俺様が、なぜこの人間の娘と、それも欠陥品のアネモネとフレンドリーに時を過ごしているのだろう。
それは、意思が通じるからなのかあるいは自らが完全体ではないせいなのか。
いずれにせよ、俺様は確かにこの娘のことを気に入っていた。
決して分かち合えることのない孤独を共有できているかのような錯覚に陥る程度には、仲間意識をもっていた。
「もしもの話なんだがな、アネモネ」
俺様は少し、緊張をもって話していたが、それは嫌なものではなく心の内側がくすぐったくなるような感情だった。不思議とこの感情は、アネモネが喜ぶかもしれないと考えると湧いてくるのだ。
「足があったら嬉しいか?」
「あれば嬉しいですけれど……それは、どういう?」
「お前次第ではあるが、もし俺様が身体を取り戻すことができれば義足をつけてやれる……もちろんサイボーグ化するとかそういうトンデモ話ではなく、ちゃんとした義足だ」
「あ、あの本当なら嬉しいですけれど……私、ミア様にお返しできるものがありません」
「お返しなどいらん。お前が喜んでくれるのならそれで俺様は、満足だぞ」
俺様が言い終えるとアネモネは、照れているのか頬を赤くして小さく頷いた。
「じゃあ決まりってことでいいな! 決まり決まり!」
彼女の喜びを堪えるような表情を見てたまらず俺様は、はしゃぐようにその頭上を飛び回ってしまった。とびきりのスマイルマークを浮かべていたかもしれない。
それから最深部までの道のりで俺様たちは、未来の話をしていた。
「足があったら何がしたい?」
「そうですね、全身の筋肉を鍛えたいですね」
「何でだよ! 女の子はすらっとしている方が美しいとされているんじゃないのか?」
言ってアネモネは、自らのベルペットワンピースの袖をまくり、白く引き締まった二の腕が露わとなった。次に何をするのかと思えば、腕を曲げ女性のものとは思えない大きさの力こぶを隆起させたのである。
「めちゃくちゃマッチョじゃねえか!」
「ですよね! 腕しか使えないので普通に生活していたらこうなっていたんです!」
「もう鍛えなくていいだろうよ……服の上からだと細いのにこれは詐欺だぜ、全く」
「バランスが悪いので全身鍛えたいのです」
キャラ崩壊しまくりだった。
アネモネは、照れ笑いを見せた後言った「ミア様は、身体があったら何がしたいですか?」。俺様にとってその問いは、考える必要などなかった。
「テキトーに生きてテキトーに世界の終わりに死ぬ」
「世界の終りまで生きられるなんて……」
「そのくらい造作もねえ。コンピュータさえあれば俺様は、データとして存在するだけでいいんだからよ。電子機器も壊れる前に複製すりゃ無限に生きられるだろ」
「難しいことは分かりませんが、素敵だと思います……テキトーに生きるって素敵です、心からそう思います」
「だろ? お前が良けりゃ傍らくらいには置いといてやるよ」
「その日がとても楽しみですね」
「……本当にそうなるといいな。とりあえず俺様の身体取り戻してやることが終わったら迎えにいくとしようぜ」
そんな風に未来について話していた時間は、あっという間に過ぎていき、気が付いたときには最深部へ俺様たちは辿り着いていた。
艦船の各部分だけあって閉ざされた金属扉は、重厚である。物理的に破壊することは、難しいだろうが、セキュリティーキーによって封鎖されているのみであり、ここまでは俺様一人で開錠可能だった。
艦内廊下の灰色の景色とは一転し、扉の向こう側は円卓が用意されており、俺様の身体はその中央にある巨大な水槽内で管理されているようだった。
機械人形の上位互換、人の究極体、彼女は青い発光液の中で覚醒のときを静かに待っているかのようだった。
不思議と驚きはない、俺様は初めて見る俺様の身体を記憶として知っていたからだ。
邂逅と表現すべきなのだろう。
「まあ……」
美しい赤髪の乙女、一糸まとわぬその姿形は、もはや衣服を纏うことの方が羞恥すべきなのではなかろうかというほどに完成された相貌であった。
アネモネは、それを見上げて感嘆の声をもらしていた。
「こんなにも美しい人を私は、初めて見ました」
「…………」
俺様には、その完全無欠な美貌を表現するだけの言葉が分からなかった。
「アネモネ……」
円卓に置かれた手形の生体認証盤を眺めていたアネモネは、緊張しているようだった。そのせいか遅れて彼女は振り向いた。
「は、はい……いよいよですね」
「うん、本当に感謝している」
俺様は「それから」と続ける。
「さっきも少しだけ話したんだが、身体を取り戻した俺様には使命があるんだ。生きる上で必ず全うしなくちゃいけない……だけど正直に言うと俺様にはその勇気がないんだよ」
だけどお前が傍にいれば、俺様は独りにはならない。
だから。
「最期まで傍にいてくれないか」
「…………ミア様」
「うん」
「使命のことはよく分かりません、聞いたってわからないのかもしれません」
「うん」
「けれど私が傍にいることで誰かを助けられるなら、共に」
「ああ、共に」
そして俺様は、ゆっくりと眼を閉じる。
アネモネの気配が、円卓の方へと向かっていく。
――次に目覚めたとき俺様は、最後の身体を取り戻していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます