3-4

 ノアの操縦する飛行機に乗ってから、どれほど時間が経過していたのだろうか。

 辺りは、薄暗く目覚めたばかりのぼんやりとした視界のままアネモネは、辺りを見回した。

「日が沈んでしまったのでしょうか」

 言いながらアネモネは、ここが室内であることに気が付いた。

 視線を足元から壁を這うように上げていくと壁掛けランプが目に留まる。しかしそれは、照明と呼ぶにはやや頼りなく、雪明かりのように微弱である。地についた手にある感触は、ざらざらとしており、それは彼女の知らない感覚であった。それから僅かに揺れを感じるこの場所は、明らかに人工物でありながら人間が生活するには適していないようにも思える。

「もしかして」

 列車かもしれないなどと憶測していると、自らの隣で妙な風を感じ、アネモネは反射的に振り向いてしまう。

暫し暗闇を見つめアネモネの眼が慣れ始めると、その空間には手の内に収まりそうなサイズの四角い物体が浮遊していた。

「何だろう」

 呟いて、驚くことに言葉が返って来たのだった「何だろうな、人間」。

「あまりの驚きで言葉がでないと言ったところか? フフ、では俺様を畏怖したまえ!」

「…………」

 やけに饒舌なその物体が発する声は、生身の人間のものというより機械的なフィルターを通したものであり、アネモネにとっては聞いたことのない不思議な音質をしていた。

「夢の中でしょうか……?」

「ちげえよ、現実だよ!」

 先程の尊大ぶった物言いから、やけに興奮気味で謎の物体は言った。アネモネは、その光景を異様に思いつつ、質問を続ける「ではなぜでしょう?」。

「なぜって何がだよ……いや、確かに外の世界じゃ俺様みたいなのは珍しいのかもしれねえな……なんせ俺様は、そんじょそこらの機械人形とは違う最強個体だしよお」

 「要するにお前は、どうして四角い金属の塊が話せるのかって言いたいんだろう?」と自信たっぷりに謎の物体は、言ったがアネモネは静かに首を振る。

「どうして顔もないのに話せるんです?」

「いやそこかい!?」

「私は、初めて見ました。顔がないのに話せるお方を。もしかして背を向けてお話しされているのですか?」

「向けてないけど話せるんだよ……いいだろ、そんなこと」

「どうしてですか? 人と話すときは眼を見て話すようノア様から教わりましたので、大事なことだと思います! 背を向けておられるのですね」

 言ってアネモネは、手を伸ばして謎の物体を掴み、手のひらで四角形をころころと転がし始めた。しかし、どれだけ顔を探しても見つからずアネモネは、手を止めて呟いた。

「お顔がありません」

「あう……」

「もう一度お探ししてもよろしいでしょうか?」

「やめてくれ! 頼む! 顔なら出すから、ほら」

 「これで勘弁してくれ、眼が回っちまう」と謎の物体の一面に青白い光でスマイルマークが映し出され、その眼は物体の状態が表示されているのかバツ印へと変化する。

「まあ……可愛らしいお顔をされているのですね」

謎の物体は、その大きさとポップな表情の見た目も相まって妙に愛くるしいヴィジュアルであり、それに子供心をくすぐられたアネモネは、思わずそれを抱きしめてしまった。

ごつごつとしているが、抱いていると妙に落ち着くのだった。

「やめてやめて見えない見えない、真っ暗だあ! 俺様、怖いよお!」

 そんな悲鳴を謎の物体は胸の中で上げていたが、アネモネは小動物を愛でるように数分ほど抱き続け、途中あることを思い出して呟いた。

「そういえばここは、どこなんだろう」

「人間……取引だ。教えてやる代わりに開放してくれないか」

 抱きしめていた謎の物体を身体から離すと、それは安堵の息らしきものを吐き再び宙へ浮かんだ。物体の表情は、スマイルマークの弧でもバツ印でもなく、まん丸の点が二つ目のように存在しており、時々瞬きをしているかのように点灯している。どうやらこれこそが通常体であるらしい。

 アネモネは、足はないが正座を作り、やはりどこか愛くるしい謎の物体の言葉を待った。「おほん」恭しく、そしてわざとらしく物体は咳払いをして話始める。

「ここは機械帝国海軍第一等空母ミア、その艦内だ。本来であればお前のような部外者は、眺めることさえかなわない機密ランク特別秘密とされる空間である」

「はあ」

「少しくらい驚け」

「わあ」

「あう……まあいい。ここからが驚きポイントだからな、覚悟せよ人間!」

 何がどうなっているのか一かけらも理解できていないアネモネにとって、それは精一杯の反応だったのだが、謎の物体の期待値には届かなかったようだ。あるいは、先程のやりとりに疲れているだけなのかもしれない。どちらにせよアネモネにできることは、話を聞く以外になかった。

「ではなぜ、そんな部外者で低俗なお前がここへ招かれているのか」

「低俗なのですか私……」

「フン、細かいことはよかろう凡俗……喜ぶがいいぞ人間。お前はこの俺様に選ばれたのだ!」

「…………」

「どうした歓喜に打ち震えるあまり言葉も出ないのか?」

 胸があれば張っていたのであろう謎の物体は、言い終えるとアネモネの頭上をぐるぐると飛び回りながら高笑いをしていた。

どんな言葉を返すべきなのか暫し考えて、アネモネはまず間違いを正すべきだろうと否定を口にする。

「えっと……まだ何も分かっていないのですが、その四角様に選ばれることはそれほどにまで喜ばしいことなのでしょうか。いえ、きっと誰かに選定されることは無条件で喜ぶべきなのでしょうけれど……うーん」

 現在の状況は、あまりに不可解でそれでいて情報過多だった。アネモネは小さく唸って何から整理すべきなのかを考える。そして最後は思案顔のまま、思いつく疑問をそのまま言葉にしたのだった。

「まず私は、ノア様と一緒に飛行機に乗っていたはずです」

「ああ、その通りだよ。よくあんなに旋回しまくっている中で眠れたもんだ。お前、見た目より図太いみたいだな」

「……お褒めにあずかり光栄です。それから私、誰によってここまで運ばれたのでしょうか。飛行機に車椅子は積めませんでしたので、少なくとも寝相でここまで来たというのは考えにくいです」

 アネモネは一度、辺りを見回すようにして続ける「ノア様の姿もありませんし、四角様には大きさ的に考えて私を運ぶことは難しいように思います」。

「一体誰が何のためにこのようなことをなさったのでしょうか」

「ふうむ、お前……あのノアとかいう機械人形から何も聞いていないみたいだな」

「ノア様をご存じなのですか!?」

「……まあな、俺様に知らないことはない(ついさっき会ったばかりだけど)、だがどこへ行ったのかまでは分からない……この船の中でやることがあるらしいからどこかにはいるだろうがな」

 謎の物体は、アネモネの追及を見越していたように補足を入れる「探そうとしても無駄だぞ。この船は想像以上に巨大で迷路みたいに入り組んでいるからな」。

「ちなみに俺様には、奴のやろうとしていることは全く分からない。知っていることはこれで全てだな、質問は以上か?」

「あ、いえ……私はどうやってここに」

「お前を連れてきたのは俺様だよ、足元を見ろ」

 言われて足元を見る、とそこは鈍い青白い光を放っている円形の台車の上だった。車輪はついているようだが、ロックされているのか今の今まで地面のように安定しており、気が付かなかったようだった。

「そいつは、俺様の意思によって動く遠隔操作型の台車だ。今はお前の足でもあるが、見方によっては俺様に拘束されているも同然なのだぞ」

「拘束ですか……一応、ゆっくりでよろしければここから降りて移動することも」

「くっ……ああいえばこう言う奴だなお前」

 照明の色や、建物の建材を見る度にどこか知らない世界へ迷い込んでしまったような気分になる。しかし、不思議と目覚めたばかりの不安はなく、今となっては居心地の良い場所だと感じていた。この灰色で無機質な空間は、まだ旅立つ前の自室と似た雰囲気をもっているような気がした。

「他に質問はないな?」

「いえ、まだ」

「何だよ、質問が多いなお前!」

「すみません……あの私、四角様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ふうむ、名前など何でもよいだろう。俺様は四角様とやらでも構わんが、それでも知りたいのか?」

 謎の物体は、ちらりとアネモネを窺うようにして言った。まるでそれはアネモネが肯定することを期待しているような眼差しだったが、純粋な彼女は眼を向けて「もちろんです!」と答える「申し遅れましたが私は、アネモネ・ヴァレンタインと申します」。

「ふん、よかろうアネモネ! よくぞ俺様の名を聞いた、中々に見所があるようだな」

 表情のスマイルマークを輝かせた謎の物体は、やや溜めるように間をおいて名乗った。

「聞いて驚き轟くがいいぜ! 俺様は――」

――機械帝国海軍の究極殺戮兵器にして。

――敵対者に向けられた死そのものにして。

――絶望の体現者にして。

――決して語られぬ戦場の赤き花、その名は不死身のミア。

「俺様こそがその不死身のミアだ、どうだどうだ!? 今度こそ言葉もでなかろう」

 謎の物体もといミアは、紡いだ言葉とまるで不似合いな表情で言った。加えて興奮するとアネモネの頭上を飛び回ってしまうらしく、彼女はそれを目で追いながら言葉を探す「えっと……」。

「ミア様は、随分と長いお名前なのですね」

「…………」

「キューキョクヘーキにして……ええと、つまりミア様とお呼びすればよろしいのでしょうか?」

「聞いてなかったんかい! こらあ!」

 ミアは、むっとした表情を作り、アネモネの眼と鼻の先まで迫ると彼女のことを睨みつけていたが、暫くして疲れたのかゆっくりと床に降りた。

その一連の様子をぼんやりと眺めていたアネモネは、降り立ったミアを手に取り膝の上に乗せた。そしてミアを見つめていると何だか可笑しくなって笑ってしまった。

「何だよ、お前」

「いえ、悪意はないのですが何だか可笑しくて笑ってしまいました」

「ふん!」

「コロコロと表情が変わるのですね。先程は落ち込んでおられましたが、どの表情でも可愛らしいです」

「あう……身体さえあればこんなことには。やめろ、じろじろと見るなあ」

「あ……お顔が」

 からかい過ぎたのか、ミアは表情を消してしまった。とは言え、ミアがいなくなったわけではないらしく、アネモネの膝に残った四角い物体は話に答える。

「しばらくはこれでいかせてもらう……別に恥ずかしかったからではない」

「良かったです、恥ずかしかっただけでしたなら……嫌われてしまったのかと」

「恥ずかしくないって言ってんだろ……いやもういい、何でも」

 ミアは、長く嘆息ついて続ける「そんなことより」

「アネモネ、お前は俺様に選ばれてここにいる」

「それは一体どういう意味なのですか?」

 何気なく聞いた質問に対する返答は、時間をおいて返って来た。その時間の質量が微量なものだったのか、あるいは莫大なものだったのか、きっとミアにとっては後者だったのだろう。

 そう、アネモネは思った。

「お前は、俺様の死を看取る権利があるのだ」

 そして聞くべきではなかったと、アネモネは思った。


――だからまあ、これは時間潰しみたいなものなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る